9章 記憶の中で④

 スポットライトが私に当たる。


「……え」


 ステージに立っているのに、言葉が出なかった。

 歌詞が1個も浮かんでこない。

 知らないメロディ、知らない場所。

 でも、ここは確かにステージの上で、曲が流れていた。

 歌わなきゃと思うも、言葉が出てこない。出てくるはずがない。


 歌わない私に、お客さんから言葉が投げかけられる。


「不気味」

「空っぽ」

「偽物」

「本物を出せ」

「紛い物は引っ込め」


 矢のようにグサグサと刺さり、私は立っていられず、その場に倒れた。



「はっ……」


 目を開けると真っ暗な世界だった。

 乱れた息を整え、現実を確認する。ここは私の部屋。ミラさんの家に居候している、私の部屋だ。時間は夜。枕の側に置いた携帯を確認すると、まだ眠りについて2時間ぐらいしか経っていない。


「なんて、夢だ……」


 最悪な夢を見た。また目をつぶったら、同じ夢を見るかもと思うと眠れない。胸の鼓動はまだ止まらない。秋なのに汗だくで気持ち悪い。

 ……比嘉ちゃんのことを引きずっている。

 図星だった。夢の中で私に投げかけられた『矢』は、心に深く突き刺さり、赤い血をだらだらと流し、止まることはない。

 

 けど、本物はもういないんだ。


「最悪だ……」


 そう嘆くしかできなかった。

 


 もう眠れないだろうけど、ホットミルクでも飲んで心を落ち着かせようと部屋を出たら、ちょうど自分の部屋に入ろうとしたミラさんに遭遇した。


「どうした、お手洗いか?」


 言葉に出さず、首を横に振る。


「瀬名、何かあったのか?」

「……悪い夢を見ました」

「怖い夢?」

「現実なのかもしれません」


 口に出した声は震えていたかもしれない。

 単なる夢、では片付けられない。現実よりも痛さを感じる夢。


「私にできることはあるか?」


 ミラさんは優しい声で、私に話しかけた。その優しさに泣きそうになるけど、堪えた。そして、私はつい甘えてしまう。


「腕、噛んでください」

「……わかった」


 「変態なのは瀬名のほうじゃないか」、「どうした、甘えたがりか?」なんて茶化しはなく、ミラさんは素直に私の言葉に従った。


「ここで、噛むか?」


 パジャマの左裾をめくり、「ここで」と示すように腕を出す。

 先輩がゆっくりと近づき、私の腕に息がかかる。

 そして、


 カプり。


 いつものように噛んだ。

 

 生々しい感触。先輩が私の腕を噛んでいる。

 瀬名灯乃の腕を噛んでいる。


「……私はいますよね」

「いるよ、瀬名はいる」


 少しだけ口を離して彼女は答え、再び私がここにいることを確かめるように、腕を噛んだ。

 真っ暗な中、静かな時間が流れる。

 少しだけ聞こえる、噛む音。

 私がここにいる、音。


 いつのまにか、悪い鼓動は鎮まっていた。


「……ミラさん、ありがとう。もう大丈夫です」

「うん。そうか」


 彼女は離れ、口を拭う。どうして腕を噛んで欲しいなんて頼んだのか、深く聞いてこなかった。


「瀬名、お前は私の従属だ。だから」

「はい、ありがとうございます。おやすみなさい、ミラさん」

「おやすみ、瀬名」


 行為と厚意に安心し、部屋に戻るとすぐに目を閉じていた。

 今晩は、もう悪い夢を見ることはなかった。



 × × ×


 11月になり、歌のレッスンだけでなく、ダンスのレッスンも始まった。 


「今日からダンスレッスンを担当することになった、矢野です。新人、若手だからといって遠慮せず、ビシバシといくんで付いてきてくださいね」

「よろしくお願いします!」

「よろしく頼む」

「よろしくお願いしますっ!」


 歌うだけでなく、踊るのだ。

 声優って何だろうと思うけど、これも今の時代の流れだ。アイドル声優と揶揄されようともこれがやりたいことなのだ。

 

「じゃあ、まずはストレッチから。私と同じことしてくださいね」


 ストレッチ用のマットを渡され、矢野先生の見よう見まねで身体を伸ばす。


「いてて……」

「瀬名さんは固いですね。これからお風呂後、毎日ストレッチしてください」

「すみません。はい、頑張ります!」


 横を見ると、二人とも問題なくこなしていた。特に砂羽さんの体が柔らかい。


「砂羽、身体柔らかいね、すごい」

「小さい頃バレエやっていたんだ。今でもその習慣でストレッチは続けているの」

「やるな」

「へへ」


 積み重ねの賜物だ。私も頑張らないと。


 ストレッチ後はステップの練習をし、その後は実際の声優さんの曲のダンスを練習した。


「はぁはぁ……」


 1曲踊っただけでも、息が切れる。激しい。

 ダンスだけでこれなの? 歌いながらやるってどんな体力しているんだ。


「難しいねー」

「同意」


 そう言いながらも、砂羽も鈴も平気そうな顔をしていた。膝に手をつく私とは違う。


「二人とも凄い動けるね……」

「ライブで、踊った」

「そうだね、今までの練習した成果だよ。大丈夫、瀬名もすぐに追いつけるから頑張ろう」

「うん……!」


 2曲目を始めるも、鏡に写る自分の動きが遅れていることがわかる。必死すぎる。笑顔なんてない。これで人前に出るなんて無理な表情だ。

 砂羽は楽しそうに踊っていた。動きもキレキレで、惚れ惚れとする。

 鈴は表情は固いけど、動きは柔らかく、きちんと踊れていた。


 踊れていないのは、私だけだ。

 初日だ。わかっている。これからだ。

 でも、最初の時点で差が出来てしまっているのは事実だ。 


 ……もっと上手くならなくちゃ。

 ステージに立つには、まだまだ足りないことだらけだ。

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