9章 記憶の中で③

 引退して沖縄に戻ると電話で告げてきた仲間を放っておけるわけなく、比嘉ちゃんの家に近い公園で会って話をすることにした。

 私が公園に着くと、制服姿の彼女は公園のベンチに座っていた。


「比嘉ちゃん」


 声をかけると、顔を上げた。

 元気が取り柄の彼女の顔が、夕暮れのせいもあるかもしれないが暗い。静かな様子は取り乱している感じはしないが、追い詰められている印象を受けた。


「わざわざ、来てくれてありがとう」

「ううん、大丈夫だよ。話を聞かせてくれるかな」


 比嘉ちゃんが少しずれ、私は隣の空いたスペースに座る。


「話は伝えた通りだよ」

「……うん」

「せなっちには伝えておこうと思ってね。私、12月で沖縄に帰ることにした」

「そんな」

「そんなって、当然だよ」


 力なく笑う彼女の表情に、心が痛む。


「この1年で、モブ1つだけだよ。それもオーディションで受かったとかじゃなくて、事務所の力で入れた仕事。解散して責任を感じてもらった、お情けの仕事だけなんだよ。役名の入ったキャラは無し」

「けど、1、2年目は全く仕事なかったなんて人気声優さんたくさんいるよ」

「そういう人もいるのはわかるよ。でも、そんなことも言えずに辞めている人がほとんど」

「そうかも、だけど……。諦めなければ……」

「そんな優しい世界じゃないよ。それはせなっちも知っているよね、当然」

「わかっているよ。優しい世界じゃない、勝負の世界。勝ち負けがハッキリと出る、不安定な仕事だよ。それでも……」


 それでも、の後が続かない。

 それでも頑張れば、役は貰えるのか? 違う。頑張っても、努力しても、必ず報われるわけじゃない。もちろん努力も、演技の経験も大事だ。けど、めぐり合わせと才能が左右する世界だ。絶対なんてない。


「せなっちは違うよね。役名のあるキャラもらっているじゃん」

「それは……」

「それに知っているよ。エスノピカ、受かったんだよね? 3人の中に入れたんだよね」


 誤魔化してもいずれ情報は出る。小さく頷くしかなかった。


「私も受けたんだ」

「うん……」

「テープオーディションは受かったけど、対面の審査で落ちた。でさー、うちの事務所の森谷さんが受かったんだ」


 そうだ、比嘉ちゃんは森谷鈴、鈴ちゃんと同じ事務所だった。


「だから、他に誰が受かったのか社長に無理言って聞いたんだ。そしたらスタッフと社長さんが仲良いらしくてさ、教えてくれた」


 うちの事務所には事前情報はなかったみたいだったが、他には入っていたらしい。そこは咎めはしないけど、でも彼女は知ってしまった。自分が落ちたオーディションに私が受かったことを。


「なんで森谷さんみたいなさ、あんな暗い子が受かって、私が受からないの? 私の方が向いている。ライブには私みたいな明るい子が向いてるよ」

「鈴のことを、悪く言わないで!」


 まだ出会ったばかりだけど、『仲間』のことを悪く言われ、つい大きな言葉を出してしまった。

 何より、悪口をいう彼女を見たくなかった。

 比嘉ちゃんは驚いた顔をしていたけど、すぐに表情を戻した。


「そうだよね、せなっちはもう違うんだよね。エスノピカの瀬名灯乃なんだよね。スターエトランゼなんて終わったグループのメンバーなんてどうでもいいよね」

「どうでも良くないよ。スターエトランゼのおかげで私は今ここにいる。瀬名灯乃でいられているんだ。比嘉ちゃんのことも大事に思っている」


 嘘じゃないことを示すために、彼女の手を握る。

 私がいる。今、私がここにいることを伝える。

 心の温度が通じたのか、比嘉ちゃんも少し落ち着いた。


「ごめんね、ただの八つ当たりなのは知っている。でも愚痴を言えるのが、せなっちしかいないんだ。もうつらいよ、沖縄のお家に帰りたいよ」

「比嘉ちゃん……」

「せなっちとは違うんだ。私は才能がないんだ」


 彼女に何て言えばいいのか。無責任な事なんて言えない。沖縄に帰って、家族と一緒にいた方が彼女は幸せなのかもしれない。普通の高校生に戻って、また挑戦することだってできるんだ。

 わかっている。

 けど、言わずにはいられなかった。


「辞めるなんて、もったいないよ。比嘉ちゃんだって選ばれて声優になれたんだよ。あの大変だったオーディションを潜り抜けてなれたんだ。なれなかった人だってたくさんいる」

「……」

「私が言ってムカつくかもだけどさ、テープオーディションだって通っているし、対面のオーディションの経験だって何度かしているじゃん。これからだよ。もう少しなんだ。今のチャンスを捨てたら、もう二度と声優になれないかもしれないんだよ」


 一度辞めて、もう一度声優になれる保証なんてない。

 たくさんの星の中から、また見つけてもらえる奇跡なんて二度と起きないかもしれない。

 

「それはせなっちが恵まれた環境、才能があるから言えるんだよ」

「……恵まれてなんかないよ」

「恵まれているよ。私たちはレッスンの途中で解散になり放り出されたのに、せなっちはしっかりできているじゃん。ひだまりシーカーの時のオーディションびっくりしたよ。前のせなっちと演技が全然違ったもん。事務所の力でしっかりとレッスンしているんでしょ? 期待されているんでしょ。私と違って」


 事務所からではないが、確かにその通りだ。ミラさんからレッスンを受けているし、一緒に住むことで家賃も気にせず集中できている。

 でも、恵まれてなんかいない。


「何も、知らないくせに」


 言葉に出ていた。

 私が、恵まれているわけない。

 だって、いないのだ。セナがいない。もういない。この世にいない。

 私の心の中にしか、いない。


「何も知らないって、何も言わないのはせなっちだよね」

「……っ」

「せなっちは何も自分のことを話さない。優しく相談にのってくれるし、真剣に考えてくれる。でもね、せなっちの中身がわからないんだ。正直言って、不気味なんだよ」

「……」


 その通りで何も言えなかった。


「せなっちが岡山出身なぐらいで何も知らないんだ。どんな部活をしていた? どんな家族構成? 自分のプライベートなことは一切話してくれなかった」

「それは」

「せなっちはどこを見ているの? こうやって聞きながらもどうでもいいと思っているんでしょ?」

「違う」

「違うよ。自分が良ければいいと思っているんだ。自分のことしか考えていない。悪いことじゃないよ。私たちは個人なんだ。もう仲間じゃない。他人を蹴落としてでも、自分の小さい頃からの夢を叶えたいと思うのは当然だよね?」

「……当然じゃない。私は、別に声優になりたかったわけじゃっ」


 言葉を止めた。

 何を言おうとした。

 私は何を言おうとした?


 私は、別に声優になりたかったわけじゃない。


 そう言おうとしたのか?

 違う。そう思ったら駄目なんだ。

 義務感。代わり。償い。恩返し。

 違う。私は、私は……。


「もう帰るよ。喧嘩したかったわけじゃないのに、ごめんね。せなっちと過ごした日々は楽しかったよ」

「比嘉ちゃん……」

「ありがとう、元気でね」


 ベンチから彼女が立ち、私に後ろ姿を見せ、歩き出す。

 駄目だ。止めないと。

 そう思うのに、言葉が出ない。

 このまま帰したら、彼女が声優を辞めてしまう。

 そう思うのに、彼女の手を掴んで、引き留められない。


 代わりに出てきた言葉は、嫌味のような台詞だった。


「エスノピカの2月のお披露目見に来て欲しい。私、頑張るから、比嘉ちゃんに見て欲しい。お願い、待っているから」


 言葉は返ってくるはずなかった。

 何て言ったらいいのか、わからなかった。

 私の言葉は届かない。勝負の世界で、私は勝ってしまっている。

 そういう世界なんだ。仲間でも、次の日には敵になる。


「……間違っているのは私?」


 セナとして夢を叶えたい。私じゃなくて、セナを知ってほしい。

 それの何が悪いんだ……教えてよ。

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