2章 初めての収録!⑤

 収録本番前のテストが終わったのも気づけないほど、ミラさんの声が作り出す世界に囚われていた。

 これが、千夜ミラの演技。

 勝気な女性な役だったが、間違いなくミラさんであり、その特徴ある声は存在を主張していた。けれど物語は崩れず、さらに深みを増す。ミラさんが画面の中にいるかのように錯覚してしまう。

 己を物語に組み込んでも邪魔せず、さらに輝かせる。

 この女性の役は、ミラさん以外ありえない。

 そう思ってしまうほど、一度聞いてしまうと他の声で画面のキャラが喋ることを想像できない。


「……すごい」


 そう感動する私と違って、彼女は平然とした表情でまだ仕事に向き合っていた。


「2ページ目の3行目の台詞、こんな調子よい感じで良かったか?」

「ええ、バッチリよ」

「5ページ目の7行目はもっと怒りを露わにした方が良いと思ったのだが」

「いえ、感情はそこまで出さずに、余裕を持ってでお願い」

「了解した。そっちからは何かある?」

「3ページ目の『ああ、これが本当の姿だ』のところは忙しいんで、『ああ』は削りましょうか」

「わかった」

「他はバッチリです」

「ありがと」

「じゃあ3分休憩後、本番に行きましょう」


 完璧な演技だと思ったのに、ミラさんの口から確認、修正が出てくる。

 意味を持って、声にする。

 ミラさんと音響監督さんのやり取りだけで、その大切さが身に染みる。


「どうだった、瀬名」

「ともかく凄かったです! 感激しました!」

「感想はいい。何か疑問に思ったことは?」

「疑問に思ったことですか……、あっ、今日は映像に色がついていました!」


 前回はほぼ白黒の映像だったが、今回は色のついた映像が出来上がっていた。


「前回はコンテ撮か、作画の途中の絵だったんだな」

「基本、白黒でしたねー」

「ほとんどの収録がその状態が多いかな。足りない情報でも想像で補っている」


 それは経験を積まないとできなそうだ。私では、白黒の絵では何が起きているかイマイチ理解できない。


「制作状況によって違うな。アフレコ、アフター・レコーディングといいながら、音をつけてから絵を詰める、プレスコ的な要素も含んでいる」


 プレスコ、私でも知っている言葉だ。プレスコアリング。音声を先に収録し、それを元に映像を後からつくる。


「どっちが良いとか悪いとかはない」

「私は色がついた方がいいな~とは思いました」

「色がついているということはほとんど完成している、ということなんだ」

「いいことなのでは?」

「その絵にぴったり合わせて演技しないといけない。その絵にあわない演技をすると……」

「すると……?」

「絵をもう一度直すことになる」


 確かにそれは大変だ。

 演技の自由がきかなくなるし、ピッタリに合わせないといけないので技術が必要になる。


「私みたいな新人が合わない演技をすると、現場に迷惑かけちゃうんですね……」

「さっき私と音響監督でひとつ台詞を変えたが、そのせいで口パクを修正することになる」

「マジですか……」

「あと白黒だからといって安心しても駄目だ。同時に作画を進めていることもあるので、台詞のタイミングを無視すると後々描く人が直すことになるんで注意だ」


 声を入れるだけで、多くの作業に影響を与える。

 ただ声をあてるだけ、なんて軽々しく言えない。


「でも、それでも1番はいい演技をすることだ。絵を修正させたとしても、それがいい演技、台詞のためなら仕方ない。どこまで追求するか、どこまで妥協しないか」


 迷惑をかけてでも、自分が良いと思うものを信じられ、貫き通せるか。

 その覚悟を持って、演技しなければならない。


「めっちゃ責任重いですね……」


 ……重いな。自分が考えていたより、ずっと責任ある仕事だ。


「だからこそ、面白いんだろ。真摯に向きあえば向き合うほど、作品に影響を与えられる。まぁ、やりすぎたら嫌われるかもしれないけどな。私たちはお客さんじゃない。一緒に作品をつくっているんだ」

「きちんとメモしました。ノートにも、心の中にも」

「よろしい。じゃあ本番はそっちで聞いていてくれ」


 収録ブースから出て、ガラスの向こうの音響監督のいる部屋に移動する。

 ミラさんの本番の演技がさらに素晴らしかったのは言うまでもない。



 × × ×

 アニメ収録の次は、ラジオ収録だった。


『千夜ミラの今夜も寝かさない! 今日はここまでだ。徐々に暖かくなってきたけど油断するなよー』


 脱力系だけど、フランクで親しみやすい。

 近寄りがたい存在に見えて、ラジオでは素が出ているみたいで身近に感じられる。

 それが、ミラさんの違った良さでもある。


『じゃあ、今夜も夜更かしご苦労。また来週~』


 収録ブースの中で番組終わりの挨拶を言い終え、彼女がヘッドフォンを外す。

 私を見て微笑む彼女に、私はただ苦笑いすることしかできなかった。


 

 × × ×


 エレベーターが来るのをミラさんと待つ。すでに20時を過ぎているが、この後も歌のレッスンで移動だ。


「ミラさんは何でもできますね……」

「何でもはできないさ。私にできる範囲で頑張っている」

「いやいや、トークも面白すぎじゃないですか。いままでラジオを聞いていて、台本がしっかりしているんだろうな~と思っていました。でも実際の会議ではほとんどミラさんが喋って、番組で話す内容を決めていたじゃないですか。超人すぎませんか!?」

「大丈夫、瀬名もできるさ。見て、学んで、覚えよう」

「見てもトークスキルは盗めませんよ!」

「時間をかければ……、それは私はずるいか」


 ずるい? どうしてか聞こうとしたら、エレベーターが到着した。

 乗り込み、二人きりの空間になると会話しづらくなり、少しだけ気まずくなる。

 ミラさんもそう思ったのか、口を開いた。


「瀬名」

「はい?」

「腕かませて」

「……はい?」

「疲れた、栄養補給」


 ……感心したら、これだ。


「私の腕に栄養はありませんよ……?」

「いや、元気と癒しが詰まっている」

「はいはい、次の仕事に行きますよー」

「ちょっとだけ、ちょっとだけだから!」

「もうエレベーターつきましたよー」

「瀬名の意地悪!」


 頬を膨らませて主張する女性が本当に凄いのか、わからなくなってくる。


「仕事が終わったら、です」

「言ったな瀬名! たくさん堪能するからな!」


 何だこの会話、と思いながらも楽しくなっている私がいた。

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