2章 初めての収録!④

 従属になった次の日、指定された時刻に収録現場に行くと、いつも通りの優雅さを持った女性がきた。


「おはよう、瀬名」


 その完成された美しさに、近くいたスタッフも見とれていた。昨日のことは夢に思えてくる。しかし、生々しい感覚は今もハッキリと覚えており、暖かい日なのに長袖を着てきてしまった。こんな可憐な女性が私の腕を噛みたいと言う変態だったなんて……。

 それでも憧れは変わらず、気持ちを切り替え、挨拶を返す。


「おはようございますって、もう16時ですが……」

「朝は苦手なんだ」

「それが許されるってVIP待遇ですね…」

 

 ミラさんの本日の仕事はアフレコに、ラジオの仕事に歌のレッスンだ。これが1つ目の仕事なわけだが、すでに夕方で遅い開始だ。


「夜型でな、声の収録はだいたい抜き録りにしてもらっている」

「なるほど、他の声優さんに共演NGにされているんですね」

「そんなわけあるか!」

「だって、腕噛んでくるし……、可愛い女性声優の腕なら何でもいいんですよね?」

「私だって、見境なく噛むわけじゃない! お前の腕だけが特別なんだよ」

「わー、その特別はあまり嬉しくないー」


 腕噛みつきにより、ミラさんとの心の距離も近くなった。嬉しいような、嬉しくないような……。

 階段をくだり、地下の収録ブースへ移動する。

 

「まずは挨拶だ、瀬名」

「はい、ミラさん。それは昨日の収録で覚えました」

「じゃあ詳しい説明はいらんな。場所、時間を間違えずに、元気よく言うこと」

「ミラさんでも場所や時間を間違えたことはあるんですか?」

「そりゃ、まぁ……。私は正しくても、前のアフレコが伸びていることもあるから注意だ。とりあえず中が見えるならチラ見して、合っていることを確認」


 けど、会ったことない人が多い新人の私がチラ見してもほとんど意味がない。声優さんならともかく、スタッフさんの顔まで事前に知ることは難しい。

 ミラさんが細く白い腕で、重たいドアを開く。


「おはよう、シンプロのミラだ。今日もよろしく!」

「ミラちゃん、おはよう」


 女性の音響監督だろうか。ミラさんの偉そうな挨拶にも気軽な感じで返してくる。


「おはようございます!」

「これ、うちの新人だ。今日は勉強の一環で見学させてくれ」


 紹介され、前に出て挨拶する。元気に、明るく、好印象で。


「シングルグレイスプロモーションの瀬名灯乃です! 今日は見学してたくさん勉強させてもらいます!」

「あらー元気で可愛い子ね」

「でも、強情で気持ちが強いんだ」

「それは鍛えがいがあるわね~」


 優しそうな音響監督さんだけど、スパルタなのだろうか。「アハハ……」と苦笑いし、誤魔化す。

 

「ミラちゃん、すぐ収録いける?」

「あぁ、大丈夫だ。瀬名、テストは一緒にブースに入ろうか」


 そう言われ、先輩の後をついていき、ガラスの向こうの収録ブースに入る。この時間なのでミラさん一人のための収録、抜き録りだ。

 

「私、一人の収録だから気軽にな」

「え、ええ」


 そう言われ、逆に収録するでもない私の方が緊張してしまう。でも、その緊張はまた別の緊張だ。

 あの千夜ミラの演技が目の前で見れる。

 ドキドキしてしまうのも仕方ない。


「じゃあ、軽く説明するな。これはなーんだ」

「台本ですね」

「あぁ、正解。台本だ。これを見てどう思う?」


 そういってミラさんが台本を開き、中のページを見せる。


「……けっこう書き込まれていますね」

「あぁ、そうだ。収録は事前の準備を披露する場所なんだ」

「な、なるほど。下準備が必要なんですね」

「蛍光ペンで自分の喋る台詞を塗りつぶしておく人、こういう演技をしようと細かくメモしておく人、色々なタイプがいる。自分なりのやり方で、自分に合った方法を見つけることが大事だ。私は蛍光ペンだと眩しいんで、三色ボールペンで書くことが多いな」

「ミラさんは読むキャラの名前のところだけ、赤ペンで四角に囲っているんですね」

「あぁ。最初は読む台詞全部に赤ペンで直線を引いていたが見づらくなり、キャラの名前をマークするように変えた」


 試行錯誤し、自分ルールを決める。

 ミラさんの台本には書き込みはそれなりにあるが、見づらい印象はなく、整理されており、綺麗だ。赤ペン、青ペン、緑ペンでそれぞれ役割を決めているのだろう。統一感がある。


「私はだいたい抜き録りなんであれだけど、一緒に録る時、台詞が重なるところは先に一人が録って、その後自分が演じることもあるから、そこは『注意』と青ペンで線を引く。あとは何処で言葉を区切るか、赤ペンで「/」を入れて事前に決めている」

「『、』が書かれている場合はいいですが、長い台詞のときはどこで息をするか決めているってことですね」

「そうだ。でも他の意味もある。例えば単なる『ありがとうございます」』でも、『ありがとう』のあとに斜め線を入れると、『ありがとう、ございます』と意味ありげになるだろ?」

「ありがとう、ございます。そうですね、本当にありがとうとは思っていない感じになりますね!」

「台詞で元からそうなっている場合もあるけど、感情的にどうなんだろうと意識するために区切りを事前に決めているんだ」


 読む上での感情を決めておく。ただ読むだけじゃない。意味を持って読む。


「あとは読めない漢字は事前に調べてよみがなを振っておく」

「あー……私も漢字は苦手です」

「特に時代物や、陰陽師ものは漢字が多くて困ったな」

「そういえばミラさんって、どこ出身なんですか?」


 見た目はハーフのような、外国出身のような気もするが、それにしても日本語はペラペラで流暢だ。


「何処だと思う?」

「うーん、異世界とか……そんなわけありませんよね」

「さすがにそれはないな」

「で、答えは?」

「秘密だ」


 そう言い残し、ミラさんが立ち上がる。いったん説明タイムは終了で、これから本番前のテストだ。


「Aパート、テストいきまーす」

「よろしくお願いしますー」


 画面のカウントダウンが終わり、映像が流れ出す。

 あっ。

 思わず声に出そうになり、慌てて口を押える。

 こないだ私が収録した時は、白黒の映像だったが、今日の映像は色がついている。ほぼアニメとして出来上がっている状態の映像だ。

 その映像をさらに活かすため、声が吹き込まれる。


「さぁ、ここからが本番だ。行くぞ、世界の破壊者!」


 物語がつくられ、世界が出来上がる。

 たった一つの声で、流れる映像が全くの別物となった。

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