1章 引退って聞いていません!⑤

 真っ白になった頭に、言葉を与える。ここは落ち着いて、情報を整理しよう。


 グループ解散、仕事ない ⇒ えーん

 憧れのミラさんに出会えた ⇒ わーい

 そのミラさんが声優引退するんだって ⇒ はぁ!?


 駄目だ、整理しても意味がわからない。

 引退、引退?? 頭は困惑しっぱなしだ。


「ミラさん、今年で引退ってどういうことですか……?」


 変わらず落ち着いた調子で彼女が話す。


「言葉通りだよ。元々、期間限定の声優活動だったんだ。なあそうだろ、恵実」


 恵実と呼び捨てされた社長が頷く。


「残念ながらその通りなの、瀬名さん。ミラの気まぐれじゃなくて、前から決まっていたの」

「5年間という約束で今年が最終年だ」


 5年間のみの声優活動?

 千夜ミラが今年で声優を辞める……?


「そんなこと聞いていませんーーーー!」

「……といわれてもな。事務所内でも知っているのはごく少数だ」

「……認めません。ミラさんの引退、絶対に認めませんから!!」


 私の悲痛な声にも、ミラさんは「困ったな~」と言うだけだ。


「そう言われてもな」

「ごめんね、瀬名さん。新人にはまだ伝えることじゃなくて……」

「夢、セナの夢なんです。ミラさんと同じ舞台で共演して、一緒に歌う」


 デビューするはずだったグループも、デビュー前に解散となった。

 今の仕事はゼロ。

 そして、憧れの声優があと1年で引退。状況は最悪だ。


「それが叶わないなら……」


 しかし、私は挫けてはいけない。

 セナはここで立ち止まっていはいけないんだ。

 まだ、夢は終わっていない。絶望的状況だけど、終わりではないのだ。

 わずかな希望でも見つけ出し、ちぎれそうな蜘蛛の糸でも必死にしがみつくのだ。


 そのために、私は東京にきた。

 だから、


「私、シンプロを辞めます」

「はい!? 瀬名さん、どうしたの!?」

「私、この事務所にもういる意味ありません! 短い間でしたがお世話になりました」


 そういって扉から勢いよく出ていこうとしたら、「やめないでー」と社長さんが後ろから羽交い締めしてきた。


「離してくださいー!」

「離したら辞めちゃうでしょー!」

「この事務所にいると不幸になる気がするんです! 他の事務所に行って、役をゲットして、すぐにデビューできれば引退前にミラさんと共演できるかもしれない。ここで立ち止まっている暇はないんです!」


 そんな様子を見ながらも、ミラさんは落ち着いていて、ほのぼのとしている。

 

「最近の新人は元気でいいな~」

「ミラ、そんな悠長なこと言ってないで説得手伝ってよ!」

「それも人生だ」

「あんたがそういうとイラっとする!」

 

 社長さんとミラさんはなんだか友達のように仲良しだな、二人の関係は何なんだろう、と頭の片隅で思いながらも、必死に抵抗する。


「私は、ここで諦めません!」

「他の事務所で声優になれる保証もないよ!?」

「それもそうですが、このままでは駄目な気がするんです! 思い切って環境を変えるのが大事かと」

「思い切りよすぎない!? 決断が早すぎるよ! よく考えよう。なりたくても声優になれない子はたくさんいるんだよ?」

「わかっていますよ、そんなに甘くないことは! けど私なんて、まだ声優ですらないです。経験値のない素人です。でも、諦めることだけは駄目なんです! わずかな可能性でも賭けないと」

「ここで頑張ろう、私たちと頑張ろう」

「じゃあ仕事くださーい! ミラさんとこの1年で同じステージに立てるような仕事をください!」

「それは、ちょっと大きすぎるというか、無謀な……」

「今までお世話になり」

「ならない、まだまだお世話するから!」


 言葉は交わらず、平行線だ。暴れるも社長さんはなかなか諦めてくれない。

 でも、彼女の一言でピタッと止まってしまった。


「なぁ、若人」


 ミラさんに呼びかけられ、彼女の顔を見る。


「瀬名です、瀬名灯乃せな ひのです」

 

 名前を覚えられていないかと思い、もう一度名乗る。


「瀬名、1年はまだ始まったばかりだ。夢を諦めるのは早い。たしかにこの事務所はそこまで大きくないが、良い事務所だ。こいつも顔が広く、コネクションも色々とある」

「でも、私は……」

「そんな生き急ぐもんじゃない」

「けど、ミラさんが引退するっていうなら、私は生き急ぎます。夢を叶えるためにここにきたんです」


 「なるほど、強情だ」と彼女が笑った。


「気に入った」

「はい?」

「その諦めない姿勢に、やる気と自信。称賛に値する。私が1年でお前を立派にしてやろう」


 そして、告げたのだった。


「瀬名といったか、お主、我の従属になれ」

「……へ?」


 ……従属って何?

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