1章 引退って聞いていません!④

「連絡が一個も来ない……」


 朝起きては携帯確認、ご飯を食べるときにも携帯確認、地下鉄を降りても携帯確認、お風呂あがったら携帯確認、寝る前にも携帯確認……と何かある度に、携帯に連絡が来ていないか確認するが、吉報はこない。来るのはほとんど広告だけで、ムカついて軒並み配信停止にした。

 

「本当だったら今頃ライブだったのにな……」


 4月は過ぎ、世間はゴールデンウィークを迎えていた。

 4月まではアイドルユニットの活動費が振り込まれたが、5月からは入らなくなる。

 それも当然だ。

 だって、私の所属する声優アイドルグループはもう存在しない。

 プロデューサーの横領事件により、プロジェクトの全てが停止したのだ。ライブの準備も、出来上がっていたCDの発売もすべてパーになった。

 CD用にアニメPVも完成していたらしいが見ることもなく終わった。関係者は逃げ出す人多数で、プロジェクト運営会社も消滅の危機にあるらしい。リリースされなくなったゲームの赤字補填も深刻で、私たちへの慰謝料どころの話ではない。4月までレッスンした時間がお金として入っただけ、マシと思うしかない。


「……そろそろ出かけるか」


 今日は同じ境遇となった女の子と話し合い、もとい傷のなめ合いだ。



 × × ×


 ゴールデンウィークなので、街に人は少ない気がする。皆どこかに出かけているのだろうか。私は何処にもいけないな……とネガティブになる。

 ため息をつくと、制服にパーカーを羽織った女の子がやってくるのが目に入った。


「久しぶり、せなっち」

「比嘉ちゃん久しぶり。元気……なわけないよね」


 レッスンがあったころは週に何回も会っていたが、解散してからはトークアプリで連絡することが中心で、なかなか会うことはなかった。

 道端で話すわけにもいけないので、近くのファミレスへ入る。


 空席は少なく賑わっていたが、雑音が多い方が個人的なこともあるので話しやすい。プライバシーを意識するならカラオケなんだろうけど、ネガティブな状態で完全な二人っきりになりたくない。

 ドリングバーに交互に行って、コーラーで渇くことのないの心に刺激を与える。


「最近、どう?」

「学生してます。……それだけです」

「だよね……、17歳だと学校だよね」


 比嘉ちゃんはまだ高校生だ。このプロジェクトのために沖縄から、芸能活動OKの東京の高校にわざわざ転校してきたのだ。


「この時期の転校なので全く友達できないですし、馴染めません……」


 辛そうな顔が、自分のことのように悲しく思える。友達や、家族からも離れ、東京に来たのだ。今の私ですら寂しい思いをしているのに、比嘉ちゃんはそれ以上だろう。


「従妹のお姉さんと一緒に住んでいるんですが、仕事がない、ただの学生の私でしかなくて、毎日申し訳ない気持ちです……」

「わかる……私もただ生きているだけで、電車に乗っている会社員や学生に申し訳ない気持ちになってくる……」


 でも、そうしていられるのもじきに終わる。

 稼ぎが無ければ、お金が底を尽きるのだ。尽きないために頑張るしかないのだが、頑張っても成果が出るわけではない。

 諦めたくない。でも、諦めてしまった方がずっと楽に思えてくる。


「事務所辞めて大学生にすぐに戻った河村さんが、正しかったって思える」

「松波さんも事務所を辞めてはないですが、今就活しているそうです……」

「そうなんだ、皆次を考えているんだね……」

「大関さんはいまだ連絡がとれないらしいです……」

「マジか……」

「トークグループに既読はつくので、生きてくれてはいるのですが……」


 グループとしては最悪の結末になったが、それが人生の終わりではない。

 突然の終わりを迎え、次に切り替えるか、それでもしがみつこうとするか。

 

「せめて声優の仕事が入ればマシなんですが、さっぱりで……。せなっちは、どう?」

「私は駄目駄目。5月になっても一度もオーディションに受かった連絡なくて、一つも仕事なし」


 それも呼ばれてのオーディションは一度もない。

 書類、テープオーディションの段階で落とされているのだ。勝負にすらなってない状況だ。


 このまま仕事をもらえないと6月の時点で詰む。

 親には声優になることを反対され、半ば家出のような形で岡山を飛び出したので、仕送りは貰っていない。

 5月からライブ活動が始まり、7月からソーシャルゲーム開始、9月からアニメ始動の予定だったので、今年の収入はある程度保証されていた。

 そのはずが、ゼロだ。

 人気が出たら二期、三期と続くかも。ライブで全国まわるのかなと期待していたあの頃の自分を責めたい。……いきなり終わるなんて想像もつかないか。


「……スターエトランゼに頼りすぎていたと反省してる。右も左もわからないけど、このプロジェクトについていけば、声優としても、歌うことも勝手に成長できると思

っていた」


 ついていけば、どうにかなるはずだった。

 努力は必要だけど、道標は示してくれた。

 引っ張ってくれる存在がなくなった今の私には、明確に弱点がある。


 それは『経験』と『知識』だ。


 私は声優としての経験が圧倒的に少ない。

 新人だから当然だが、そういうことでもない。

 新人以下なのだ。

 良くも悪くもオーディションに受かってしまったので、養成所にも通っておらず、声優が何なのか、収録時にどんな所作があるのか、きちんと理解していない。アニメ化の前に演技のレッスンを受ける予定だったが、そのアニメ化が飛んだ。

 それなら事務所に頼んで、シンプロの養成所に改めて通わせてもらうことも考えるが、先に事務所に所属してしまっているという歪な状況だ。

 せっかく所属したのを無しにして、もう一度やり直すのはありえない。


「……生きていくって大変だね」

「夢を見なければ楽ですよ」


 17歳の若人から悲しい言葉が返ってくる。

 ただ生きるだけなら何とかなる。

 でも、私がそれを許さない。ただ生きることを、良しとしない。


「今日、事務所に相談してくるよ」

「それしかないですよね……」


 いい案が出るかはわからないが、社長さんに聞いてみるしかない。もっとレッスンができないか、学ばせてくれないか。

 でも、どこまで特別待遇してくれるだろう。むしろレッスン料を払わないと駄目なのだろうか。すぐに見捨てたりはしないだろうけど、成果を出さない人間にいつまでも構っている暇はない。


 その後、話が弾むわけもなく、せっかくドリンクバーを頼んだのに一杯だけで解散となった。



 × × ×

 

「急に相談にきて、すみません」

「いいのよ、瀬名さん。頼ってくれて嬉しいわ」


 解散した後、事務所に寄り、ちょうど社長が空いていたので、会議室で相談に乗ってもらっている。


「……選考はどれも通ってないですよね?」

「ごめんなさい。今、良い返事が来ているのは無いわ」


 連絡が一個も来ないのだ。わかっていた。

 でもどこか、もしかしたらという想いもあったのは確かで、その小さな祈りすら消えてしまう。


「私、思ったんです。スターエトランゼのメンバーに選ばれたけど、それ頼みにしすぎていたんだって。だから、イチから声優のことを学びたいんです」

「うん、気持ちはよくわかるわ」

「だから」


 ノックもせず、扉が開く。

 振り返るとそこには女性がいて、私は驚きのあまり立ち上がった。


「あっ、あ、ああーーーー!」


 白銀の髪に、凛とした顔。

 銀色の長い髪が風でも吹いているかのように揺らいでいて、目が離せない。

 10秒ほど呆けて、服装に目を移す。

 ベアトップ風なノースリーブの黒色のワンピース。腕や足の露出が多く、一見するとパーティー姿の印象でこの場にそぐわない。ただの会議室なのに、お姫様に謁見したような気持ちになる。

 背はそれほど大きくないが、スカートのレースから透けるおみ足が扇情的だ。

 全体的に色素が薄く、この世のものでない、そういった印象を受ける。

 そして、顔が良い。

 長い睫毛に、赤みの入った茶色の瞳。

 お人形のように整った顔から現れる無邪気な表情に、心が揺れる。


「やぁ恵実。あっ、悪い、先客がいたんだな」

「ノックしてから入りなさい、っていつも言ってるでしょ!」


 文句を言う社長とは裏腹に、私のさっきまでの落ち込んだ気持ちが吹き飛ぶ。

 やっと、出会えた。


「千夜ミラさん!」


 憧れの声優、『千夜せんやミラ』。

 彼女がシンプロにいたから、私はこの事務所を選んだのだ。

 あまりに眩しすぎて、生きる世界が違うと思ってしまうほどのトップ声優。

 それでも、彼女に少しでも近づきたいと選択した。


「この子は?」


 私の熱い眼差しに気づいたのか、私に顔を向ける。

 ミラさんからしたら、初対面だ。

 でも、私にとっては待望の出会いで、夢に夢見た展開だった。


「この子は、今年の新人の」

瀬名灯乃せな ひのです! 出会えて感激です!! ミラさんのこと大好きで憧れの声優です! あの~失礼かもしれないですが、握手しても……いいですか!?」

 

 社長が言う前に自分で名乗った。

 「え、いいけど」と彼女が手を差し出し、私はがっちりと握る。

 小さくて、すべすべで、ひんやりとしていて、一生触っていたい……。


「あの、もう離してもいいか?」

「ありがとうございます! この手は一生洗いません!」

「洗ってくれ。そんなありがたいもんじゃない」


 私にとってはどの神様よりも神様な存在だ。

 大好きな声、惚れ惚れとする演技、心を癒す歌声、世界を魅了する美貌。

 気づけば、毎日がミラさんでいっぱいで、それは夢になった。


「リアルミラさん、美しすぎる……」

「あ、ありがとう……?」

「聞いてください。セナはミラさんと同じステージに立つのが夢なんです! 同じ事務所のシンプロならその夢が1番叶いやすいと思い、ここを選びました」

「おー、熱烈なファンがいたもんだ。いい子とったな、恵実」

「違うわ。瀬名さんはむしろここを選んでくれたのよ」

「ん、選んだ? あ、例のプロジェクトの子か。将来有望で、これからが楽しみだ」


 だが、その例のプロジェクトは中止になった。

 敷かれたレールは途切れ、真っ暗になってしまった。

 でも、ミラさんという眩い光が私を照らしてくれた。


「ありがとうございます。プロジェクト中止になってめちゃくちゃ落ち込んでいたんですけど、ミラさんに出会えて、私の頑張るぞーっていうスイッチが入りました! 頑張って頑張ります! セナの名をぜひ覚えてください! いつか共演しましょう」


 諦めてはいない。でも心ぼそかったのかもしれない。

 けど憧れの人、目標に出会えた私の心は熱く燃えた。

 まだまだ終われない。

 

「でも、ごめんな共演はできないんだ」


 と思ったのに、彼女が変なことを言い出す。


「……どういうことですか? 私はまだまだ未熟なひよっこですが、でもいつかきっと追いついて」

「そういうことじゃないんだ」


 銀色の髪の乙女は、世間話でもするかのように気軽に、

 でも、私にとっては衝撃的すぎる言葉を言い放った。


「あと1年で、私は声優引退するから」

「えっ」

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