1章 引退って聞いていません!⑥

 聞きなれない言葉に、ハテナが浮かぶ。

 ……従属?


「手下、下僕ってことですか?」

「うーん、若干違うけど簡単にいうとそんな感じだな!」

「……なりませんよ?」

「えー」


 いくら憧れのミラさんといえど、手下になるのは嫌だ。

 ……手下、下僕って何するのだろう。ミラさんの料理をつくったり、着替えを手伝ったり、お、お風呂でお背中を流したりできる……!? もしかして一緒に住めるの!?!? あれ、手下でも下僕でも良くないか……? 喜んで!……いやいや。

 首を振って、ヨコシマな思いを封印する。


「ミラ、どういうつもりなの? 従属ってあなた……」

「安心しろ、恵実」

「けど……」


 ミラさんと社長が言い争っている中、口を挟む。


「ミラさん、冗談はやめてください! 私は本気です」

「そうか、いい提案だと思ったんだけどな」

「仕事がないなら私はここを去るだけです!」


 実力不足なのは知っている。私の可愛さだけでは乗り切れない。

 一度、この負の連鎖をリセットするんだ。それだけの時間はまだある。

 1年を無にしないために、生きる。


 ガチャリ。


 音をたて、扉が開いた。


「社長~」


 入ってきた人物に皆が注目する。この事務所のマネージャーの男性だ。

 また予告もなく、人が入ってきた。


「……すみません、取り込み中でしたか?」

「どいつもこいつもノックをしてから入れと言っているだろ!」


 社長の口調が怖い。

 羽交い絞めされたままなので、顔は見れないがめっちゃキレていることがわかる。


「社長怒ってます?」

「怒ってません!」


 完全に怒っている人だが、平気でそういうことを言うマネージャーも凄いなと思う。「はぁー……」と大きく深呼吸して、社長も落ち着いたのか、「要件を早くして」と催促する。


「音響会社から急遽で申し訳ないけど、明日のモブの収録で誰か二人貸してくれないかと相談きました」

「何のアニメ? 役は?」

「何でしたっけ、あの青春キラキラ系と見せかけた中身はドロドロの……」

「2年目の子がサブで出ているアレね」

「役は女子生徒A、Bです」

「了解。えぇ、いいわ。音響会社さんにOKと伝えて」

「じゃあ俺の方で調整できそうな人に声かけますね」

「……ちょっと待って!」


 社長さんが私の後ろで「う~ん」と考えている。そして「これだ」と言って、今だ羽交い締めされている私に向かって優しい口調で話しかけてきた。


「瀬名さん、どう?」

「どうって……」

「仕事よ。仕事がないなら去るって言ったけど、仕事があるなら話は別よね?」

「といわれても……」

「明日、行ってきなさい。辞めるのは現場を体験してからでも遅くないわ」

「願ったり叶ったりですが、私の現場経験は……」


 4月にアフレコ見学や、簡単な説明は受け、メモはとったが、すっかり記憶から抜け落ちている。あの頃の私はグループ解散の事実で心が荒んでいて、まともな精神状況ではなかった。今の私が正常に戻ったかというと話は別だけど。


「大丈夫、大丈夫。そんな肩肘張る仕事じゃないわ。そうだ、新人の岩竹さんにも声かけるから。同期二人なら安心でしょ?」

「えー……」


 私を嫌っている同期と一緒は気乗りしないな……と思いながらも、せっかくの仕事だ。例え経験が無いとしても、断るわけがない。


「頑張れよ、若人」

「瀬名です、ミラさん」


 モブ収録の話で有耶無耶にされた。

 ミラさん引退、提案された従属の話は何処かに行き、その日私が事務所を辞めることはなかった。


 × × ×


「はい、これ台本です」


 会議室から出て、男性マネージャーから初めての台本を受け取る。

 B5サイズの薄い一冊。カバーとして黄色の厚紙で中身を挟んでおり、表にはタイトルロゴとキャラクターが描かれている。左上には「079」と番号が書かれていた。


「あの、ここに書かれている番号は何ですか?」

「あーこれは通し番号だよ。1から順に番号をつけているんだ。一冊も番号が被らないようになっている」

「へー、じゃあ79番は私だけなんですね」

「そうだよ、メインの人は固定で決めていて、シリーズ通して監督は001、主役は005とか決めている。50番以降は自由番号が多いけどね、誰に渡したか記録はしっかりと残している」


 きちんと管理されているんだなと感心する。シリーズ通しての役を得たら、今回はずっと「007」だ、今回も「010」だと思うようになるのだろうか。


「でも、何で番号管理するんですか? 面倒じゃありません」

「台本が売られるから」

「う、売る!?」

「ああ、オタクにはこんな薄い冊子であっても売れる。普通の人にとっては価値あるのは出来上がった映像だけど、途中過程を価値思う人もいるんだ。有名作品だと結構な値段で取引されているのを見るね。当然違法だけど」

「……へー、台本が高値で売れるんですね」

「お金に困っても売らないでよ? この番号で誰が売ったか一発でわかるから」


 なるほど、そのための番号なのか。

 個人識別番号。

 たまたま来た仕事だけど、責任が生じてくるんだ。そう思うと、台本を持つ手が少し汗ばむ。


「収録終わったら事務所に戻すか、制作会社に返すか、それか個人で処分するかだけど、個人で処分する場合は気を付けてね。機密文書と思って、シュレッダーか溶解に出して」

「わかりました! 取っておくのはいいんですよね? これが私の貴重なデビュー作となるわけですし……」


 これが瀬名灯乃としてのスタートだ。その始まりを残しておきたい。


「それはもちろん。でも、有名になっていけばかさむよ。台本で棚が埋まり、部屋が狭くなるだけだ」


 そうなる未来に出会えることを祈るばかりだ。

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