Day.32 開花
一方その頃。
ステラは、風の精霊アリスが築いた城を腕組みをして見上げていた。
レイヤが送り込んだ偵察の鳥たちは、城の内外で起きていることをつぶさに報告してくれている。およその実態はつかめていた。
日頃パンを捏ねている大男たちが巨大な送風機を運び込み、プログラマーや配線技師、一線のゲーマーまでもが揃って城の攻略に挑んでいる。
風で編まれた鉄壁の城。異常気象で季節風の動きに異変があり補強が必要だったところへ、黄昏の国に〈天の火〉が降った。スウェルと大精霊の座を争うつもりのアリスは、冬越しのための力を蓄えた小さな人たちを人柱のように扱って城壁を強化しているのだ。ここからでは姿が見えないが、風の唸りがそのまま悲鳴のようにも聞こえて、ステラの表情はさらに険しくなった。
まずはこの風の壁をすべて相殺する。城の主を筆頭に、主要な精霊たちは四氏族会議で留守にしている。人口の風でも太刀打ちできるだろうと踏んで、作戦決行日を定めたのだ。
「始めよう」
「おし」
ステラの意思が口々に伝えられる。精霊界に人間界の技術が殴り込みに来るなんて、これが初めてだろう。仲間の多くは根っからの技術者だ。舌なめずりをして操作盤や携帯端末に向かう。
「力及ばず申し訳ない」
ステラの傍らには、吹けば飛びそうなほど細身の青年。彼がアリスの後継でありながら不出来を詰られ、長い間理不尽な目に遭わされてきた息子のカレンである。生まれながらにして風を操る力が極端に弱い彼は、同じく力のないものが酷い目に遭わされるのを見ていられなかったのである。レイヤの鳥たちがただ叩き払われずに済んだのも、彼が内側から手引きしたおかげだった。
冷遇されているから、四氏族会議にももちろん呼ばれない。今回はそれがかえって好都合だった。
解析された風の流れを逆にたどるようにして攻略プランが組み上げられる。巨大な送風機がひとつ、またひとつと力強い唸りを上げて稼働をはじめた。風の流れはひとつではない。ぶつかり合い、渦を巻き、強め合ったり弱め合ったりする。送風機だけで足りないところは、カミノが力を注いだ爆弾が役立った。事情を知らぬ者が見たら、花火大会でもやってるのかと思ったことだろう。
ステラが率いるこの作戦を、すこし離れたところで見守っている者がいた。
ルミナである。
「こうして見ていることしかできないなんて」
「なあに、お嬢さんはお嬢さんにしかできないことがあるってここに来たんだろう」
「本当にそうなんですかね……」
キリアンはハンドルにもたれかかりながら、助手席にちいさくおさまった悩める娘に寄り添った。自分にも、何者にもなれなくて焦りばかりが募る日々があった。そういうときは、誰が何を言ってもなかなか届かないものだ。
風の城の攻略は順調に進み、見た目にはわからないながらも城壁が剥がされ、錠が解除されていく。囚われていたものたちが次々解放されて落下していくのを、カレンと数人の精霊たちが漏れなく受け止めていった。
「よし、そろそろ行くか」
精霊界にもちろん電力の供給源なんて無いから、巨大な送風機の稼働限界は意外に早い。剥がした壁が元に戻るとき、十分に離れていないと周囲のものが吸い上げられて、元の木阿弥になる可能性があった。
キリアンの運転する改造トラックがきれいにドリフトして停車する。ルミナは高い座席から身軽に飛び降りて、カレンたちがそっと横たえた小人たちに駆け寄った。
「みんな、私だよ、ルミナがきたよ!」
かれらの多くは意識が朦朧としていて、それでもルミナの顔を認めるとうっすら笑った。たまらなくなって、できるかぎりかれらのそばに寄り添って自分の力を解放する。
小さな魔力回路に、小さな霊力の泉。ルミナに与えられたわずかな役目。なかには今にも消えてしまいそうなものもいる。お別れが近い。ルミナでは救えない。
――本当に?
泉の底を探り、回路を巡るはやさと流れの太さに意識を集中する。半端ものだろうが知ったことか、いま目の前で消えようとしている命の灯火がある。非力を嘆いている場合ではないのだ。
首筋のあたりがカッと熱くなり、何かが開いたのがわかった。開けてよかったのかどうかはわからない、ただ、体中がぽかぽかしてきたのは決して悪いことではないはず。
ほう、と小さな吐息が漏れる。だれかが息を吹き返したのだ。
ルミナの目から熱い涙が溢れた。できた。わたしにも。
それからルミナは自分の身体がすっかり冷たくなるまで力を使い続けた。異変に気づいたキリアンが小人たちと一緒に毛布でくるみ、あわててトラックに積み込むまで力を尽くしたのだ。
気を失った顔があまりにも穏やかで本当に怖かった、とはステラの談である。
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