Day.30 四氏族会議
冬至の日。
カミノはなぜかルリアスの隣に座らされて困惑していた。
淡く光を放つ象牙色の円卓を囲むのは四元素の大精霊。ふわふわのブロンドは風の精霊スウェル、大柄で無骨な風貌をした木々の精霊アルボル、浅黒い肌に紅玉のような瞳が光る土の精霊ヴィハーン、そして水の精霊ルリアス。かれら四柱の背後に席を連ねるものはあれど、同列に並ぶものはカミノを除いて誰一人いない。
いくらカミノが精霊界の序列に疎いといっても、自分がここにいていいはずがないことはわかる。
「ルリアス」
「なんだ」
「私、出番まで後ろに控えているって言いましたよね」
「そう聞いているな」
前を向いたまましれっと答えるルリアス。銀糸の髪に縁取られた美貌の横顔がいまは大変憎らしい。
そのとき、カラーンカラーンとやわらかくも高らかな鐘の音が響いた。ざわざわとあたりを満たしていた談笑の声がぴたりと静まり、四柱の大精霊に従うようにして、居並ぶ全員が立ち上がる。
カミノも慌てて自分の椅子を引いた。
風の精霊スウェルが人差し指をくるりと回すと、各々の目の前に手のひらほどの風の渦が浮かんだ。ぎょっとしたカミノが周囲を見回すと、楕円形の広い窪地に集まったありとあらゆる精霊たちに漏れなく用意されている様子。目を疑って首をひねってみたが、もちろん後ろも例外ではない。
さらに木々の精霊アルボルが大樹のような両腕を巡らせると、風の渦のなかにとぷんと液体が注がれた。ふわりと甘く爽やかな果実の香りが小さな気流にのって鼻先をくすぐり、思わせぶりに舞い踊る。
『しばらくぶりに顔を出したんだ。ひとことくらいないのかね』
誰かが吹き送った吐息がルリアスの間近でささやき、円卓の向こうでスウェルが口端を持ち上げた。隣のカミノが辛うじて聞き取れるほどのひそひそ声。風の精霊は内緒話が得意なようだ。
土の精霊ヴィハーンは口元に笑みを湛えたまま腕組みして静観の構えだ。
「……仕方あるまい」
ルリアスはひとりごちると、杯に添えた手を高く掲げた。ならって大勢が杯を掲げる、しゃらしゃらとした衣擦れのそよぎ。
「ずいぶん無沙汰をしてしまったが、驚くほど変わり映えがしなくてまったくぞっとするな!」
あまりに快活な毒舌に、ぞっとしたのはこっちである。本人は上機嫌だが、いかにも身内らしく隣に置かれたカミノは肝を潰す思いだ。
「ともあれこうして集うのは喜ばしいもの。願わくば、この喜びが皆のものとならんことを」
いくらか含みのある物言いに、彼がこのあとの役割を意識しているのがわかった。意図を知るカミノとしては、ほっとしたような不安なような。視界に入るだけでも怪訝な表情がちらほら見てとれる。
だが水の大精霊は他人の反応など意にも介さず、あらゆる疑念を押し流すほどに朗々たる声を響かせた。
「健やかな明日に!」
各々の杯が高く上がり、あちこちで風がぶつかるせいでぴりりぴりりと稲妻が走る。口元で杯を傾ければ渦がおのずと喉に流れ込み、慣れないカミノは激しく噎せた。華やかな香りの奥で膨らむ微かな酒精。風の精霊は宙を駆け、木々の精霊は肩を組んで歌い、土の精霊は足を踏み鳴らし、水の精霊は競って虹を架ける。四氏族の境が曖昧になって、大地も大気もぐらぐら揺れて、冬の空をかき乱す。
「さて、せっかくこうして顔を揃えたんだ。たまには会議らしいことでもしよう」
四元素のあいだに序列はない。口火を切ったのは土の精霊ヴィハーンだった。
「ときにルリアス、さっきのはなに?」
肩先で揃えたヴィハーンの黒髪が艷やかに揺れる。大地の礎を司る彼女は、四柱のなかでももっとも実体が強く影が濃い。身じろぎするたびに、大振りな装身具がじゃらりと揺れた。居並ぶなかではもっとも人間めいて華奢な背格好ながら、少年じみた軽い調子がかえって底知れなさを感じさせる。
「さっきの、というと?」
「はは! わかりやすく喧嘩を売っておいて白々しいよ」
澄まして問い返すルリアスに、ヴィハーンがなめらかな喉を見せて笑った。
「聞いたろう、スウェル、アルボル。ぞっとするほど変わり映えのしない、どっかで見たようなやつばかりの偏った集まりだって」
そこまで悪意のある言い方はしていない。紅い瞳が無邪気に煌めき、彼女がこの状況を楽しんでいることが窺えた。
「まあ、ころころと顔ぶれの入れ替わる人間と近く接していれば、そのように感じることもありましょう」
スウェルがころころと笑い声をたてる。アルボルもぎしりと身を乗り出した。
「今日もなにやら興味深い者を連れているな。きみの酔狂はあれきりではなかったのか」
あれきり、というのはハルトとユリシオのことだろう。カミノの胸中にめらりと火が灯る。呼応するようにして、ルリアスが憎まれ口を叩いた。
「その節穴でもさすがに気づいたか。たしかに彼女は人間だが、類まれなる炎の使い手だ」
度肝を抜かれて振り返ったカミノの足をぐっと強く踏むものがあった。悲鳴をこらえて確かめるとやっぱりルリアスの足だった。長い脚で的確にカミノの足先を捉え、言外に「合わせろ」と言っている。
「名は」
ヴィハーンが目を付したまま言葉少なに問う。カミノは肚に力を込めた。
「カミノと言います。今日は皆さんに提案があって参りました」
言いながら、書類入れの留め具をくるくると解いた。ソーヴァとルミナが中心となって編み上げた法案を抜き出すと、丁寧に卓の上に広げる。
本来なら、ルミナがこの場にいるべきだった。人間界と精霊界、強きものと弱きものを橋渡しするのに、彼女ほど適した者はいないと思っていた。ところが、ルリアスが同伴を許したのはカミノただ一人。この書類を託されたときの、ルミナの表情が忘れられない。ソーヴァは「前線に立つばかりが戦いではない」と慰めたけれど。
ルミナには自分のような思いをさせたくない。一度「できない」と思ってしまうと、その呪いから抜け出すのは難しい。
したためられた法案はたったの三葉。個々の生存の自由と選択の自由を謳い、これを侵してはならぬと明記してある。至極基本的な事柄だが、精霊界では法として定められてこなかった。ソーヴァたち法律家があらゆる角度から検討して、解釈の余地にことごとく答えた事例集もある。これはまだ書類入れの中だ。ルミナが中心となって細やかに聞き取りを重ねたからこそ、何をどう突っ込まれても耐えられる足腰の強い宣言を編むことができたのである。
ルリアス円卓の中心に向かって滑らすと、三葉は小舟のように澪を帯びて漂っていく。中央に近づくほど底のほうへ吸い込まれていよいよ見えなくなったそのとき、光の柱が立ち上がった。
ソーヴァの流麗な文字が大写しに浮かび上がる。
「派手な見世物だこと」
ナメてるのか本気なのかわからないスウェル、一言一句を追いかける様子のアルボル、なぜか爛々と目を輝かせているヴィハーン。反応は三者三様で、興味を引けたなら効果はまずまずといったところ。
「我らが領界には、見捨てられた一帯があろう。日頃は忘れ去られたように捨て置かれているところ、ひとたびどこぞの好き者の興味が向けば瞬く間に食い荒らされる、弱き者の住まうところが」
大精霊ルリアスの言葉には誰もが耳を傾けざるをえない。権力はこういうときに使うのだから任せるが良い、と言われて半信半疑だったカミノも、周囲の空気が一変したのを肌で感じてまっすぐ背すじをのばした。
ただ、あまり反応は芳しくない様子。というよりも、もしかして……。
「あると言えばあるな。そんなことが起きていたとは知らなんだ」
「あのあたりは地脈も気脈も薄いもの。つい忘れてしまうのよねえ」
「土地が貧しいなりに手わざを凝らしてやりくりしているようだけどね。まあ、そこに目をつけたなら見る目があるよ」
「ならばその手わざごと取り込んでしまえばよい。細々と苦労して永らえるよりよほど有意義であろう」
スウェルもアルボルもヴィハーンもまるで他人事で、さらには搾取を助長するような発言まである。
カミノが絶望しかけたとき、ヴィハーンがこの流れを引き取った。
「ただ取り上げるだけでは、大した糧にはならないよ。貧しいところで生まれたものは、相応の規模にしかなれない」
小馬鹿にするような言い方に、カミノはうなじのあたりが逆立つのを感じた。憤りが炎となって出口を探している。
ところが、彼女の話には続きがあった。
「わたしも見たことがあるけどね。霊力をそのまま操る大味な奴らと違って、あの繊細さはなかなかのものだよ。貴石が長い時間をかけて少しずつ育つように、厳しい条件のなかで鍛えられた細かな積み重ねの上に成り立つ巧みさや美しさは、そう真似できないものだと感じたよ」
「そういうものかね」
「必要のない小細工にわざわざ労を割くこともないと思うけれど」
いつの間にか二対二の構図になっている。戸惑いつつ隣を窺うと、ルリアスが人差し指をそっと口元にあてた。
「美しいものや強いものは大好きだろう。だったら、磨いて育てるくらいの度量はもったらどうだい。これはそういう話だろう」
視線を贈られたカミノとルリアスは、揃って肩を竦める。ルリアスも大概憎たらしいが、ヴィハーンの煽りもなかなかだ。しかし、味方につけてみるとこれほど心強い口達者もいない。
「それとも、育てた子に手を噛まれるのがおそろしいか」
いま一番獰猛な顔をしているのはヴィハーンだ。にいと薄く開いた口元に小さな牙がのぞく。わずかに気色ばむ様子をみせたアルボル、気怠げに髪を遊ばせているスウェルも、黙ってはいられない。
「力あるものに従うのは世の理だろう。おそろしいなどと」
「そんなに立派になるなら見てみたいものね」
「だから、立派に実る前に摘み取る阿呆をとっちめてやろうっていうんだろ、ルリアス」
流れるように水を向けられて、波に乗ったルリアスは淀みない。
「そうだ。そのためにここに法を敷く。われわれには力関係以外の裁きが必要だと」
カミノも負けじと加勢する。
「もともとあらゆる争いが絶えない人間のあいだでは、約束事をとりきめて互いの行動を制限することで保障される自由、というものがあります。これは好き勝手やることとは違う、人と分け合うことのできる自由です」
このあたりはソーヴァの入れ知恵だが、カミノの信念とも通ずるからこそ、こんなにもすらすらと言葉にできる。
「どうしろと」
アルボルの態度はいまだ硬い。スウェルは終始気のない様子だ。
「この法を、われら四元素の名をもってこの世の理に組み込む」
これがルリアスの最終目的だ。世の理として作用するということは、侵せば誰かが手を下すまでもなく報いを受けるということ。この理は、四元素の大精霊が連名することで改めることができる。
それだけ重く、意志の力を要する事案なのだ。
「その必要はないでしょう。我々力あるものには慈悲の心がある。わたくしもこれまで以上に目配りをいたしましょう」
いかにも面倒そうなスウェルの提案に、素早く噛み付いたのはやはりヴィハーンだ。
「つい忘れてしまうと言ったのはどこのどなただったかねえ」
「おお怖いこと」
大きな力を持ち、視野も広く大きくなるからこそ、細かく小さなところには目が届かなくなるのだ。かれらにとって個々の暮らしというのは些事でしかない。繊細さなど磨かなくても力で押し切れてしまうからだ。結果、あたり一面焼け野原となろうとも良しとするほどに並外れているからこそ大精霊だとも言える。
しかし、これからは変わってもらわねばならない。どんなに強くても、加減を知らずに周囲を蹂躙するだけなら暴力、繊細に操ることができればあらゆる局面で扶けとなるだろう。自らの力を扱いかねていたカミノが、はじめにレイヤに教わったことだ。
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