Day.24 不穏
「ルミナ!」
落ち着いた雰囲気のフロアを若い男の声が貫いて、居合わせた全員が振り返った。
見れば声の主は小柄な老爺である。実はカミノたちの知る人物だがしかし、ルミナもさすがにこの状況で「お兄ちゃん」と呼ぶわけにはいかず口をぱくぱくさせた。
急いできたのか老人は汗だくで、膝に手をついて肩で息をしている。顔を上げて周囲の視線に気づくと、はっとした様子でポケットからスマートフォンを取り出した。動画サイトのニュース映像が大音声で喋りだす。声の正体が判明して他の客たちが次々に興味を失っていくなか、老人は申し訳無さそうに背をまるめて音量を下げた。
すかさずルミナが駆け寄る。
「なにしてるのお兄ちゃん」
「なんとかごまかせたかな……」
この場で姿を変えるわけにもいかないステラは声を潜めて低く笑った。
「笑ってる場合じゃ」
「うん、それは僕もそう」
ふー、と息をついて自らを落ち着かせ、ルミナと並んでテーブルにつく。顔を上げた彼の表情は厳しいものだった。
「まちの様子がおかしい。ばあちゃんからツバメが飛んできて僕も見に行ったけど、住民の数がごっそり減ってる」
「まさか」
「いや」
息を呑んだルミナをステラが素早く遮る。
「力尽きて消えちゃったってことはないだろう、つい最近〈天の火〉を腹いっぱい食べたばっかりだ」
「そうか、そうだね」
ルミナも気が動転しているようで、額を押さえて細く息を吐く。ステラは続けた。
「一応、上にも報告はしたが十中八九動かない。僕たちで動くしかない」
「そんな」
切羽詰まった二人のやりとりをはらはらと見守りながら、カミノの脳裏によぎるのは黄昏の国で過ごした日々のこと。視界を埋め尽くすどんぐり、ちぎって分け合ったぺしゃんこのパン、贈られた金木犀の冠、貴重なはずの〈天の火〉だって惜しみなく分けてくれた小さくて愛らしい人々と獣たち。
「私には何ができる?」
居ても立ってもいられなかった。そっくりなヘーゼルの瞳が二対、揃ってカミノのほうを向く。ルミナの縋るようなまなざし、迷いに揺れるステラの視線。二人がカミノを巻き込むのをためらっていることが、ありありとわかった。そしてその奥に、隠しきれない期待の影。
カミノは自分の鞄のなかから身分証を取り出した。このところお役所めぐりが続いていたので、すぐ出せるようにしてあったのだ。
《魔力特性:火炎/攻撃傾向》
魔力特性は医術士の診断を経て性別や血液型と並び記載され、注意が必要な能力だと色付きで示される。カミノのは赤。最上位は紫になる。長いこと疎んじてきたこの力を、誇りに思うときが来ようとは。
「用心棒くらいにはなるでしょう」
自分でも驚くほど落ち着いて、それでいて身体の奥がふつふつと滾るようだった。きょうだいが揃って目を見開いたのち顔を見合わせる。その様子はステラが老人の姿でいてさえそっくりで微笑ましく、カミノの決意はさらに固まった。
何かを振り切るように首を振って、ようやくステラが口を開く。
「とにかく何が起きてるか把握しないと。何にせよ、話はそれからだ」
「わかった」
ざっと書類をまとめて立ち上がると、座ったままのルミナの不安げな瞳とかち合った。
目覚めたカミノの炎はどうも走りがちだ。でも、いまはルミナがいる。
「大丈夫。行こう」
ルミナの右手はカミノの手の中に、左手はステラの手の中に。
ステラが聞いたレイヤの話によると、過去にも同様の事件はあったらしい。精霊のなかでも貴種を自負する一部のものが、黄昏の国のちいさなものたちを愛玩用、あるいは小間使いとして大勢取り立てたのだという。取り立てたといえば聞こえはいいが、実態は力に任せた人攫い。まだ若く力のなかったレイヤにはなすすべがなく、ひどく不甲斐ない思いをしたという。つまりはそれほど大昔のことで、精霊界でも「たまにある好き者たちの気まぐれ」くらいにしか捉えられていないのだった。
カミノと繋いだままのルミナの手は冷たく固く、かすかに震えていた。
カフェを出て裏通りに入り、ひと気のないところまで来るとステラがくるりと変身を解いた。カミノは手のひらほどのポーチのなかから丸鏡を引っ張り出す。そっと地面に横たえると、それは人が一人通れるほどの大きさになった。
ルリアスにもらった水鏡である。
たぷんと波打つ鏡面に、まずステラが、続いてルミナが、最後にカミノが足を踏み入れる。カミノの赤い髪まですっかり飲み込んでしまうと水鏡はふたたびちいさくちいさく縮んで、夜の闇のなかにふつりと消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます