Day.19 クリーニング屋
天の火は、カミノのなかの炎に溶け込んでしばらく身体をあたためた。
宴席がじょじょに夜を取り戻していくのを見るともなく眺めながら、幸せってなんだろうな、と考える。
いまカミノの目に映る光景は明るく朗らかで、なんの翳りもないように思える。しかしルミナによれば、かれらは生きるのがやっとの暮らしを送っているという。秋の実りと流星群、カミノが訪れたタイミングがたまたま良かっただけなのだと。
それでも、食材が限られているにもかかわらず星のごちそうは目にも舌にも楽しかったし、テーブルに椅子、器や敷物に至るまでがこのちいさな住人たちの手によるものだと聞いて、カミノは素直に感嘆の声を漏らしたものだ。
「カミノはこういうのやらないの?」
「細かい作業は苦手なの」
「繰り返しやってたらできるようになるよ」
道具を作れると暮らしが楽しくなるよ、とかれらは笑う。
追いやられた土地で創意工夫を迫られ、結果として巧みな手わざが育った。他にすべがなかったのは事実だ。
それでも、カミノはここの暮らしが羨ましい。
仕事は好きだし職場の人間関係には恵まれているが、なにぶん皆いそがしい。かつての友人も、各々の家庭で手一杯だ。カミノが家に帰ってもその日の出来事を話す相手はおらず、夫婦の他愛ない会話は絶えて久しかった。経済的にも不自由はないし、むしろ好きに暮らしてるだろう、これ以上なにを望むのか。夫の言動の端々にすこしずつ傷ついて、とうとう関わることを諦めてしまった。
(そうか、私は寂しいんだ)
大きなカミノ。力持ちのカミノ。ここならひとの助けになれる。そうすれば仲間に入れてもらえる。おかしいとは感じつつ、打算や利害関係ぬきで考えることが難しくなっていた。
そんな自分がかなしい。
「よいではないか」
すぐそばで声がして驚いた。視界に映り込む銀糸の髪。のぞきこんできたのはルリアスだった。レイヤもルミナも、他の誰も気づいていない。まだまだ宴の最中だし、ルリアスがなにか細工したのかもしれなかった。
「すまぬ、あまりに浮かぬ顔をしていたのでな。少々読んだ」
そう言いながらまったく悪びれることのない様子で隣に腰掛ける。文句を言う気も起こらなかった。
「急にどうしたんですか」
「いやなに、ハルティアに叱られてな」
ここで初めてバツの悪そうな顔をするので、カミノはつい笑ってしまった。ハルトの立場はよほど強いらしい。
「困ったら呼べ、なんていうのは礼にならぬと。友なら当たり前なのだから、別途まともな品を用意せよとな」
だから、役に立ちそうなものをこしらえてきた。そう言って、大きな丸盆の形をした包みをテーブルにのせた。ごとり、と重たい音をたてたそれを、ルリアスは丁寧にひろげた。
「かがみ?」
螺鈿細工に縁取られた真円の鏡があらわれた。なめらかな鏡面はあたりの光を取り込んで、しかしなにも映さない。ルリアスの指が中央にふれると、小さくさざなみをたてた。
「水鏡という。ここにはまともな門がないと文句を言っていたのを思い出してな」
「誰がです」
「レイヤだったか」
なにかにつけて互いの名が出る。このひとたち、実は仲がいいのではないかと勘繰ってしまう。
「これがあれば、好きなときに来て好きなときに帰れるぞ。急ごしらえゆえ一度に一人の制限つきだが、そのぶん時間の辻褄を合わせられるようにしておいた」
「へえ」
気に入ったか、と問われて反射的に頷いた。使いどころがいまひとつピンとこないが、物として美しいと思う。少なくとも、カミノのフットワークは格段に軽くなるだろう。ふたつの暮らしを行き来することができる。
もやもやと抱えていた断片がつながる気配がする。カミノの思考は飛び石を渡るように軽やかに飛躍して、喉元のあたりに火を灯した。それはめらりと燃え上がり、瞳の奥底に宿る。
ルリアスは目を瞠った。
「そんなに喜んでもらえるとは思わなんだ」
微笑み返し、カミノはようやく心底から礼を述べた。
「ありがとう。大事に使わせていただきます」
数日後、カミノは自宅に続く道を歩いていた。早速水鏡を使ってみたのだ。
たまたま得た心地よさに身を浸しているだけではこれまでと変わらない。もとの生活に区切りをつけるべきだと、日に日に育つ炎が告げていた。
「あら」
足取り勇ましいカミノを呼び止めたのは、馴染みのクリーニング屋のおかみさんである。
「具合は大丈夫なの」
気遣わしげに問われるがなんのことかわからない。かろうじて返事を絞り出す。
「おかげさまで身体だけは丈夫ですけれども……」
「あら、じゃあ私の早とちりね。珍しくご主人がいらしたからわたしてっきり」
両手を頬に当てて慌てる彼女に、カミノはぐっと詰め寄った。
「その話、詳しくうかがってもいいですか」
クリーニング屋は洗濯屋には違いないが、通常は家庭で洗えない、洗いにくいものを扱う。ところがカミノの夫は、数日分の洗い物をすべて持ってやってきたのだという。
それが昨日のこと。
「わたし気が動転しちゃって、てっきり奥様になにかあったのかしらと思って、とにかく肌着やなんかはお持ち帰りいただいたんだけどね」
「すみません、数日家を空けていたもので……」
「いいのよ、お元気そうでよかったわ」
ふくふくとした笑みを向けられて、かえって心が痛んだ。
カミノが投げた匙が思わぬところに飛び火している。抱えている問題を、これ以上放置も先送りもできない。
かつてのカミノなら、この一件ですっかり萎えて無気力になっていたことだろう。しかし炎は勢いを増すばかり。視界にかかっていた靄を焼き払い、カミノを前へ前へと推し進めるのだった。
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