Day.13 うろこ雲

 横柄なほうがハルト、物腰やわらかなほうがユリシオ。二人は兄弟なのだという。言われてみれば、表情の出方こそかなり違うが、目鼻立ちの優しいところがよく似ていた。

 久しぶりに外へ出した炎はなかなか戻ろうとせず、すっかり仕舞えた頃にはカミノは疲労困憊していた。誰に似たのかずいぶんなお調子者で、ハルトとユリシオ、ルリアスの手ものらりくらりとかいくぐって始末に負えず、絶え間なく浴びせられる熱さと冷たさにカミノの身体は耐えきれなかったのである。異変に気づいたのはユリシオで、咄嗟に背中を支えた腕が熱を持った肌に心地よく、そのまましばらく休ませてもらうことになった。

「ずいぶんはしゃいでいたな。もともと社交的なたちだ、たまには散歩に出してやるといい」

 何のことかと思ったら、ルリアスは炎をカミノの飼い犬同様に捉えているらしい。炎を撫でくりまわす私。ふと浮かんだ平和なイメージに頬が緩んだ。心のどこかで忌むべきものとして扱ってきたのはたしかにカミノの一部で、目をそらし否定し続けることに疲れていたのだと自覚する。その不毛さと比べたら、炎を扱ったあとの疲労感は運動後の爽快感に近い。散歩に出すとはよく言ったものである。

 ルリアスたちが低い声で交わす会話が親しげで耳に心地よく、遠のいていくのを惜しく思いながら瞼を閉じる。深く落ちていく眠りの中で、形の定まらない生き物と賑やかに戯れて奔放に駆け回る夢を見た。


 翌朝、カミノはまだ夜も開けきらぬ頃にルリアスに揺り起こされた。

「カミノ、起きろ。レイヤが近くまで来ている」

「あらまあ」

 着の身着のままで横になっていたカミノが寝ぼけて寝台を這い出ると、ぼさぼさの髪とはだけた衣服をハルトとユリシオがざっと整えてくれた。

『まったく』

『人の世話をするなんて、本当に久しぶりですね』

 ルリアスはその間も渋い顔で上方を窺っていた。

「あれは相当怒ってるな。急いだほうがいいぞ、この邸ごと破壊されてはかなわん」

『歳とっていくらか穏やかになったんじゃないか』

「そう願いたいがな」

 帰りの道案内はユリシオが買って出てくれた。カミノはスーツケースを抱えて、ふたたびあぶくの舟に身を委ねる。

「お世話になりました……あれ、違うな」

『そうだ、きみが礼を言うのは違うぞカミノ。世話をかけたのはルリアスだ』

 ハルトが腕組みをしてルリアスを睨む。本人はどこ吹く風で、カミノたちを急かした。

「礼と言っては何だが、何かあれば力になるぞ。危急の際は邸の明かりが分身となって知らせてくれよう。さあ行け」

 ふわんと押されたあぶくはユリシオの手を借りて水中に漂い出る。彼の身体は周囲と同化して見えなくなり、カミノの目に映るのはあぶくの内側に突き出した首だけでちょっと怖い。

 音の乏しい水面下の道行き。静寂を破ったのはユリシオだった。

『僕らも元々は人間だったんですよ』

「えっ」

『ずいぶん昔にルリアスが兄を気に入って。でも人の寿命は決して長くないでしょう。身体の限界が先にきてしまって、ルリアスが僕らの魂を水の器にうつしたんです』

「そんなことできるんですか」

『できたんですねえ。だから僕はこうしてお話できている』

 ユリシオの頬がさざなみだち、カミノはすっかり恥じ入った。

『器を入れ替えても魂はすこしずつすり減っていくらしくて、こうして姿を現すことは少ないんです。普段は湖を漂うただの亡霊。ただ、そうやって昏い水底に閉じ込めておくのが、彼にとっては心苦しかったようで』

 カミノもさすがに合点がいく。

「それであの、シャンデリア」

『そう。太陽に煌めく水面を模して作ったそうですよ。あの人、美しくないものはそばに置かない主義なので。僕なんか兄のおまけですから』

 ユリシオは呆れた調子でくすくす笑う。

『だから、あれに灯すのはどんな火でもいいってわけじゃないんです。それは誇っていただいてよいのではないかな』

 ほらもう着きますよ、と示された先は朝の光に満ちて、舟は水面と接した瞬間に飛沫をあげて消え去った。岸辺までのわずかな距離を、ユリシオが運んでくれる。

『会えてよかった。綺麗な明かりをありがとう』

「こちらこそ。あの、貴重な時間を」

『それは気にしなくていいですよ』

 ユリシオが笑顔で姿を消した水面を見つめながら、カミノは水底の邸を思う。客人を休ませるのに誂えたような寝床や調度の数々は、元は陸で暮らす人間だったという彼らのためにしつらえられたものではないか。

 ハルトとユリシオの延命は、自然に逆らう行為だろう。気楽そうに見えたルリアスの執着、しかし二人は決して囚われているふうではなかった。在り方を変えてまで寄り添うと決めたその寛容と種族を超えた結びつきに思い至って、カミノは無性に泣きたくなった。

 ユリシオはカミノの炎を綺麗だと言った。だがそれは、誰とも分け合わず隠してきたが故、言わば新品だからだ。彼らが育んできたものには到底太刀打ちできない。

 それでも。

 明け初める空にはうろこ雲、そのうちに雨が降り出すだろう。雲間をジグザグと駆ける影から、カミノを呼ばわる声が届いた。

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