Day.11 からりと

 カミノを覆ったあぶくがぱちぱちと弾けてしまうと、思いのほかからりとした空間が拓けていた。ゆらゆらと揺れる薄明かりは発光性の藻類によるもの、球形の部屋を透かした先で大小の影がすいすいと横切る。あたりをたっぷり三周見回して、どうやらここは水の中らしいと見当をつけた。

 男はその様子を興味深げに見ている。

「肝の据わった娘よな」

「娘という年齢でもないんですが」

 カミノはたしかに落ち着いて、というより開き直った自身を頼もしく思いながら男を観察した。害意は見えず、あったとしたらカミノなどひとひねりだろうと想像する。ここではカミノこそが異物だ。身を委ねるほかない。

 にもかかわらず、視線を落として自分のスーツケースが目に入ると口元に笑みすら浮かんだ。もう何年も変化の乏しい生活を送ってきた。夫との無味乾燥な暮らしを思えば、置かれている状況は愉快ですらある。

「ふむ、訂正しよう。やはり女はおそろしい」

 そんなことは微塵も思っていない様子で、しかし男はカミノの前に膝をついてみせた。銀糸の合間から美しい瑠璃の瞳が見上げる。

「内に籠めたその力を借りたいのだ。ええと」

「カミノです」

「カミノか。似合いの名だな、本質を突いている」

 男はすこし驚いたように歯をみせてから名乗った。

「私はルリアスという」

「あなたも素敵な名前ね」

「ははは、忘れそうなほど古い名でも、褒められると嬉しいものだな」

 本音半分、もう半分は社交辞令のつもりだったがルリアスの頬は明らかに緩んで、つられてカミノも微笑んだ。ひとの幸せに関わるのは好きなのだ。思いがけず喜ばれて悪い気はしない。

「カミノよ。昏い水底の我がやしきに、明かりをともしてもらえまいか」

 カミノにとっては意外なことに、精霊界には火の属性をもつ者はまずいないのだという。火は雷電によってもたらされるもの、もしくは地の底で煮え立つもので、いずれも星の領分。大地に根ざす精霊の力とは相容れない。

「我らの力が及ばない以上、火を扱うのは神の領域とされていてな」

「神様って本当にいるんですか」

 いささか空気を読まないカミノの質問を、ルリアスは目をきょろりとさせて面白がる。

「さあな。力の及ばぬ何ものかを指すのに、これほど便利な言葉もないというだけのこと」

「なるほど」

 神秘そのもののようなルリアスに言われると妙に説得力があって、その矛盾がカミノの気に入った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る