Day.6 どんぐり

 まぶたの向こうが暗くなったり明るくなったりする。ぐっと眉間に力を込めた途端にこれまでのことが一気に思い出されて、これが目覚めの間際なのだと気づく。

「おおきいお客さんだねえ」

「そうだねえ」

「こらこら、しずかにして」

 言葉が耳に入ってきたのと、目を開けたのはほぼ同時だった。仰向けに寝転んだカミノの視界はなにやら艶のある影で埋め尽くされており、うごめくさまを見ているうちにそれが大きなどんぐりだとわかった。

「あ、起きた」

「起きたねえ」

 どんぐりが口々にしゃべっている。その影を割った光に見知った顔がのぞいた。

「すみません、大丈夫ですか」

「ルミナ」

 体を起こしたカミノは、周囲の光景に目を凝らした。なにやらアンバランスに感じるのは、建物が妙に小さく、植物が妙に大きいためだ。梢は遠く、抱えるほどの大きさの落ち葉があたりに散らばって、身動ぎするたびにどこか清涼な香りが漂う。

「ここは……」

「精霊界の、私の地元です」

「せいれいかい」

「私、混血なんです」

 ルミナは少し申し訳なさそうに言った。

 昼と夜のあわい。秋と冬のあわい。ふたつのあわいが交叉するわずかな間にひらくかりそめの門。黄昏たそがれの国と呼ばれるその場所は、精霊界でも半端者や弱い者が肩を寄せ合って暮らすところなのだという。

「よそならいつでも出入りできる、しっかりした門があるんですけど」

 ルミナがひどく急いでいたのは、これが理由だった。いつかカミノを招こうと考えていたら門がタイミングよく開いたので、今しかないと思ったらしい。

「もうほとんど暗かったけど閉じてしまわないの」

「こちらのほうが時間の流れが早いので、あとちょっとなら大丈夫です」

 それを聞いてすこしほっとした。さすがに帰れなくなるのは困る。

 腰のあたりの違和感の正体を探ると、それはすっかりぺちゃんこになったパンの紙袋だった。たくさんのどんぐりの向こうからたくさんの目がこちらを窺っているのは薄々気づいていて、カミノはくっついた袋の口をめりめり開く。

「……食べる?」

 押し寄せるどんぐり。ルミナが「一度置いたらいいんじゃない?」と声をかけるとようやくかれらの顔が見えた。小さな人たちの間にリスやヒメネズミまで紛れている。うるうるとした黒目が興味津々に輝いていて、カミノは一瞬、己の発言を後悔した。

 無残にプレスされたパンは、それでも喜ばれて小さな手から手へ渡っていく。上手に分け合った彼らは、もぐもぐと食みながら思い思いに礼を述べた。

「ごめんね、ちょっとしかない上にぺたんこで……」

 肩をすぼめるカミノに、皆一様に首を傾げた。ルミナが苦笑しながら代弁する。

「みんな、気にしてないみたいですよ。それにいまは冬ごもりの支度中だから、食べ物はいくらあってもいいんです」

 それでどんぐり。合点がいったカミノに、ひとりが受け持ちのどんぐりを差し出す。

「たべますか?」

「あ、ありがとう」

 両手でやっとつかめるほどの、大きなどんぐり。ルミナがおもむろにその帽子をはずして、カミノの頭にのせた。

「にあう!」

「にあうねえ」

 ぱちぱちと無邪気な拍手が起きて反応に困る。ルミナも一緒になって喜んでいるが、悪気があるようにはとても見えなかった。

「よかった」

 それどころか、彼女は少し涙ぐんでいる。

「みんな、よその人にあまりいい思い出がないから……」

 一体どういうことだろう。カミノが眉をひそめていると、地面から間延びした声が届いた。

「おーい、もうそろそろだよー」

 それはカミノとルミナが通ってきた門、光の穴から発していた。その光もいまや弱まって、うつらうつらと舟を漕いでいる。

「たいへん」

 ルミナがカミノの手首をつかんだ。小さな集団に「また来るね」とだけ告げて、再び穴のなかに舞い戻る。カミノもかろうじて振り返って手を振った。

 ぐるりと世界が裏返ったような感じがして、今度は目を回さずにすんだ。身の回りのものが定まってみると、とっぷりと暮れた夜の公園とまっくらな川がただ横たわっているばかり。光源は背の低い街灯ひとつ、あらためて見たそれはミルクティー色をした薔薇の生花であった。

「間に合ってよかったよ」

 突然、若い男の声。かたわらにはルミナ、目前に佇むのはさきほどの老人のみ。門はすでに閉じている。

「ご紹介遅れました、兄です」

 目を合わせたルミナがそう言った途端、老人のまわりにつむじ風が起きた。落ち葉がふわりと舞い上がる。やがて風がおさまってみると、そこにはルミナと同じハシバミ色の瞳の、すらりとした青年が立っていた。

「ステラです。どうぞお見知りおきを」

 胸に手を当ててお辞儀をする。彼が手折った街灯は、手頃な大きさに縮んでカミノの手の中におさまった。

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