伝説の武器の使い道

「さあ、言え! お前は曹叡様の何を知っている!」


「ぐ……ぐるじい……。おろせ、おろさないか、馬鹿野郎ッ」


 門前で立ち話を始めて約十分。


 曹真は、完全に冷静さを失っている。胸倉をつかんで詰問しているうちに、司馬懿の長躯ちょうくを高々と持ち上げていた。内功ないこう(内なるパワーを操る気功チャクラ)をある程度鍛えた者ならば、大柄な男の体を宙に浮かせるぐらいのことは造作も無い。


(このままでは殺されてしまう……!)


 そう恐怖を感じた司馬懿は、両足をジタバタさせながら、苦しげな声で猛烈に抗議した。


「お、おま……マジでいい加減にしろよ⁉ 頭おかしいだろ‼ いくら犬猿の仲でも、一緒に怪異退治をしてきた仲間を殺すつもりか⁉」


「殺しはせん! だから、今すぐ曹叡様のことで知っていることを全て吐け!」


「そんな殺る気満々の目で言われても、信じられるかっつーの! ……だ、誰か助けてぇーーーッ‼」


 がっちりと拘束されてしまった今、自力で邸内に逃げ込むことは最早もはやできない。家の中にいる春華や召し使い、隣近所の人々が気づいてくれることに期待し、司馬懿は悲鳴を上げた。……が、彼を助けてくれたのは、毎度お馴染の幽鬼ゆうきメイドであった。


 ふいに、曹真の背後で、小さな影がうごめく。


 その影は、すぐに消えたが、数十秒後にまた現れた。


(あれは……小燕しょうえん!)


 司馬懿が心の中でそう叫んだ次の瞬間、曹真の身に異変が起きた。


 彼は「あなるーーーッ⁉」と唐突に絶叫し、司馬懿の体を手放したのである。


 司馬懿は落下し、ドスンと尻もちをついた。


「小燕参上! 旦那様をいじめたら、めっです!」


 闇の中から突如現れた幽鬼メイドは、プンスカ怒っている。尻を両手でおさえながらその場に崩れ落ちた曹真を見下ろし、可愛らしい声で叱声しっせいを浴びせた。その手には、木製の硬鞭こうべん(紐状ではなく、棒状の武器)が握られている。どうやら、その太くて硬い物を曹真の尻穴にぶっ刺したらしい。


「ぐ、ぐぬぬ……。こんな小娘の幽鬼ごときに……」


 曹真は怨怒えんどの声を上げ、振り向いて小燕を睨んだ。が、尻の激痛があまりにもひどくて立ち上がることができない。


「今すぐお引き取りください! さもないと、太公望たいこうぼうのおじちゃんから借りたこの打神鞭だしんべんでもっとお仕置きしちゃいますよ!」


 太公望といえば、殷周時代に活躍した英傑だ。そんな人物の超レアなアイテムを借りてきたせいか、今日の小燕はいつもよりもちょっぴり強気である。むふーっと鼻息荒く、啖呵たんかを切った。


 司馬懿も、頼もしい(?)加勢が現れたことで元気づき、「そうだ、そうだ! とっとと帰れ! アホ! バカ! メタボ!」と罵った。


「……くそっ。これ以上騒ぎを大きくしたら、子桓しかん(曹丕のあざな)様に迷惑がかかってしまう。やむを得ぬか……」


 曹真は悔しそうに呟く。司馬懿に続いて自分まで特大の悲鳴を上げてしまったので、司馬懿邸の家人や近所の者が驚いて様子を見に駆けつけるのは時間の問題だ。とうとう諦めた彼は、(尻が痛くて立てないので)犬が這うように四足歩行し、慌てて退散していった。


「フッ……勝った」


 司馬懿は、自分が撃退したわけでもないのに、勝ち誇ったようにそう言いながら立ち上がる。すると、「さすがです! 旦那様!」と小燕がパチパチと手を叩いた。


「それにしても、小燕。冥界で太公望と仲良くなったとは凄いではないか。の賢者は周王朝成立の立役者だ。さぞかし立派な御方なのだろう」


「はい! とっても優しいおじいちゃんです! 旦那様が曹丕様の手下さんにからまれているのを目撃して、ビックリした私はいったん冥界に戻ったんです。それで、太公望のおじちゃんに助けを求めたところ、この打神鞭という武器を貸してくれました。太公望のおじちゃん曰く、『打神鞭は、本来は生身の人間相手に使う武器ではないが、尻穴に突っ込めばたいていの人間は戦闘不能になる。牧野ぼくやの戦いで紂王ちゅうおう(殷王朝最後の王)の尻にぶっ刺してやった時はスッキリしたものじゃ。小燕たんも憎い奴の尻にどんどん突っ込め!』とのことです。だから、旦那様をいじめる人がいたら、これからもこの打神鞭でお仕置きしちゃうので私を呼んでくださいね!」


「…………返して来なさい」


「え?」


 司馬懿が小燕の肩に両手を置き、物凄く真剣かつ切実な表情で打神鞭を返却するように言うと、無邪気な幽鬼メイドは不思議そうに首を傾げた。


「俺の知っている可愛い小燕は、闇雲に人の尻穴に凶器を突っ込むような女の子じゃない。そういう役回りはお前には似合わないし、誰もそんなこと望んでいない。今回は本当に助かったが、その武器は今後、使用禁止だ。太公望のクソジジイに速やかに返しなさい。お願い。頼むから」


「は、はあ……。旦那様がそこまでおっしゃるのなら……」


 かくして、純情可憐な幽鬼少女が尻穴責めで三国志の武将たちを次々と撃退していくルートは回避されたのである。




            *   *   *




「仲達様! 大丈夫ですか⁉」


「仲達! いったい何事じゃ!」


 屋敷から複数の足音がする。先ほどの悲鳴を聞きつけ、家人たちが飛び出してきたようだ。


 声の主は嫁の春華。そして、孝敬里こうけいりにいるはずの老父司馬防しばぼう。他にも、聞き覚えのある声がいくつか。理由は分からないが、故郷の人々が屋敷を訪ねて来ているらしい。


「あ、あわわ……。私、いったん冥界に戻りますね」


 夜に化けて出るたびに、小燕は春華に追いかけ回されている。また剣を投げつけられたらかなわないと思った小燕は、主人にそう言った。


「そうだな。父上と郷里の者たちもいるようだから、幽鬼になったお前を見たらみんなも腰を抜かすはずだ。また夜中に夜食のスープをこっそり持って来てくれ」


「はい!」


 小燕が姿を消したのと、春華たちが門外に飛び出して来たのは、ほぼ同時であった。


「――む? 仲達様。今ここに、誰かいませんでしたか?」剣を片手に持った春華が鋭い眼光まなざしで周囲を見回しながら夫に問う。司馬懿はどもりながら「べ、別に誰もいなかったですにょ?」と答えた。


「じゃが、よ。お前、さっき叫んでおったではないか。いったい誰ともめていたのじゃ。先ほどから門前で野良犬が喧嘩でもしているのかと思ったら、お前の悲鳴が聞こえたゆえ、我らはこうして慌てて走って来たのじゃぞ」


 トム・クルーズ似のイケオジ、司馬防が怪訝そうな顔で問いただす。すると、彼に付き従っている中年男三人組がコクコクとうなずき、


「そうっすよ、坊ちゃま。賊にでも襲われたのかと心配しましたよ。怪我はありませんでしたか?」


「ひ、ひえ~。こんな立派な屋敷が建ち並ぶ所でも、最近では賊が出るのかぁ~。世も末だなぁ、恐いなぁ……」


「俺たちがしばらくお屋敷に泊まり込んで、警備してあげてもいいですぜ」


 と、口々に言った。


 司馬懿の怪我を真っ先に心配してくれたのが、家畜の豚を盗まれても呑気に笑っている、人の好いでんさん。


 賊を恐れておどおどしているのが、浮気するたびに嫁に半殺しにされている、女好きでビビりのがくさん。


 屋敷の警備を申し出た、腕っ節が強そうなのが、大人になっても母ちゃんのおっぱいを吸っているちょうさん。


 読者も薄っすらとご記憶だと思うが、司馬懿と一緒に犬型UMAのりんと戦った孝敬里のおっさんズである。


 彼らおっさんズがピーチクパーチクと口々に喋っている間に、隣人たち――多くが曹操に仕える武官や文官の家人――も家の外に出て来て、「何だなんだ?」「賊が現れただって?」「曹公が出征中に物騒な……」とめいめい噂し合っている。ちょっと騒ぎが大きくなりすぎているようだ。


 司馬懿は、皆を落ち着かせるために「いや、警備など必要ない」と大声で言った。


「たしかに、俺は、先ほど曲者くせものたち二十数人に襲われた。だが……フフフ。他愛もない奴らであったわ。曹丕様から拝領したこの宝剣泰山環たいざんかんを抜いて大喝してやったら、賊どもは悲鳴を上げて一目散に逃げていったぞ」


「え? ああ~、さっきの『助けてぇーーーッ‼』っていう女みたいな悲鳴は坊ちゃまではなく、賊の声だったんですかい! そいつはすげぇや! さすがは司馬家の坊ちゃまだ!」


 司馬懿の虚言に、田さんは素直に感心し、楽さんと趙さんも「曹家の公子様から宝剣を贈られるほど気に入られているなんて、すごいご出世ですね!」「坊ちゃまは孝敬里の誇りだ!」と褒めそやした。野次馬たちもオオーッと歓声を上げ、賊をたった一人で撃退したという司馬懿に称賛の拍手を送った。


 ただし、司馬防と春華だけは、(何か嘘っぽい……)と見抜き、ジロ~っと司馬懿を凝視みつめている。


 司馬懿は、老父と嫁の厳しい視線から逃げるように顔を反らし、「アハハハ! 賊を追い払うぐらい、俺にかかったら朝飯前だ! 百人でも二百人でも、どんとこーい!」とうそぶいた。


「おい、懿よ。あんまり大風呂敷を広げると、あとあと自分の首を絞めるぞ」


「そ、そんなことよりも、父上! 早く屋敷に入りましょう! 久しぶりに会えたのです、積もる話もありますから!」


「うむ……。そうじゃな」


 司馬防はまだ納得していないようだったが、夜間の屋外での立ち話はそろそろ厳しい季節である。寒さでブルルっと身を震わせると、息子の言葉に頷き、「では、暖かい部屋で、土産みやげに持って来た酒でも一緒に飲むか」と言うのだった。

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