再会の約束

「消えてしまった……。これでは馮貴人ふうきじんがあまりにも哀れ。鍾繇しょうよう殿も気の毒だ。何か良い解決策は無かったのだろうか。……ん? 公子様? あの……何してるんです?」


 号泣している鍾繇の傍らで、曹丕が霊剣泰山環たいざんかんを抜いている。何となく嫌な予感がした司馬懿は、恐るおそる声をかけた。


「何って、まだ話が終わっていないからな。馮貴人を呼び戻すんだ」


「え? どうやって?」


「遺体を剣でつつく」


「ちょ、おま、それはやめ――」


 司馬懿が止める間もなく、曹丕は剣の切っ先で遺体の足の裏をつつき始めた。


 つんつくつん!


 つんつくつん!


 つんつくつん!


 亡骸を傷つけない程度の力で突いてはいるが、遺体と霊体はリンクしている。今頃、冥界にいる馮貴人は足の裏に鋭い痛みを感じ、「この痛みはなんぞ⁉」と驚いているはずだ。すぐにでも苦情を言うべく――。


「おいこらやめぬかバカ! 人の遺体を剣でツンツンするな! マジで怒るぞ!」


 案の定、女幽鬼は再び姿を現した。思いきり涙目である。


「お……おお! 馮貴人! 戻って来てくださったのですね!」


「鍾繇よ! そなたの友人はいったい何なのじゃ! 集団で屍姦しかんする奴らもヤバイが、こいつはこいつでめっちゃ恐い!」


 抱きつこうとした鍾繇の顔を手で押しのけ、馮貴人は金切り声を上げた。


 激おこ状態の馮貴人には構わず、曹丕はけろりとした表情で「俺の話を聞かずに帰るからですよ。貴女あなたに伝えたいことがあったのに」と言った。


「伝えたいことじゃと? だから、さっきも言ったように、どんな言葉で慰められても私は……」


「俺は別に貴女を慰めるつもりはない。ただ、客観的事実を伝えたかっただけです。怪異を長年研究してきた俺の目から見て、貴女の魂にけがれなど一切存在しない。この剣が、それを証明しています」


 そう言いつつ、曹丕は剣の刃を馮貴人に見せつける。


「この霊剣は泰山環といい、穢れたものが大嫌いなのです。幽鬼であれ、精魅もののけであれ、怨恨や執着心など負の感情で魂が汚染された怪異が近づけば、光り輝きます。しかし、貴女には全く反応せず、これっぽっちも光っていない。つまり、泰山環は、貴女の魂に穢れが無いと判断しているということです」


「そ……そんな、まさか。私はたくさんの男に屍姦されて……」


「そもそも、『穢れ』の判断基準が貴女は間違っている。男に暴行されたら女はみんな穢れる、などというのは非論理的だ。大事なのは、心のありようでしょう。貴女は、理不尽な暴力にさらされても、『誰かに尽くしたい』と願う優しさを失わず、愛する人間のもとに甲斐甲斐しく毎夜通った。ここまでお人好しな幽鬼、小燕しょうえんぐらいかと思っていましたが……。悪鬼化しているのではと当初疑っていた自分が馬鹿らしく思えてしまうぐらい、貴女の心は少女のごとく清らかではありませんか」


 フフッと笑い、曹丕は霊剣を鞘におさめる。


 馮貴人は、「わ、私は……本当に穢れていないのか?」と声を震わせながらそう言い、曹丕を凝視みつめた。


 この若者の言葉には、不思議な説得力がある。生来そなえている威厳だけでなく、豊富な鬼物奇怪きぶつきっかいの知識に裏付けされた自信が彼のげんに力を与えているのだろう。鍾繇や司馬懿では揺り動かすことができなかった女幽鬼の心に、大きな変化をもたらそうとしていた。


「ええ。俺に言わせてみれば、『穢れ』とは、誰かを恨み、害したいと思う悪意――すなわち怨毒えんどくのこと。この怨毒が世に蔓延まんえんしているため、呂布や馬超といった暴逆の怪物が生まれ、人の墓で無礼を働くような賊が現れる。こういった輩の暴力によって踏みにじられた人々の悲憤ひふん慷慨こうがいが、また新たな怨毒を生み出していく……。これこそ、乱世の終わりなき負の連鎖です。心優しい貴女は、あれだけ悲しい目に遭ったというのに、その負の連鎖にからめとられず、悪鬼化しなかった。それだけでも、大いに己を誇ってもいい。自分を卑下する必要など皆無です」


「し、しかし、あの世の帝は『賊どもに凌辱されたのは、お前が男を惑わす魔性の女だったせいだ。傾城けいせい傾国けいこくの美は罪だ』と仰ってお怒りなのじゃ。やはり、私は穢れた女なのでは……」


「ハハッ! 千人以上の妃賓ひひんがいた桓帝かんていがそんなことを言うなんて、笑止の至りではないですか。エロジジイがエロを批判するなという話ですよ。だいたい、『妖艶エッチなのはいけないと思います!』と男どもはすぐに女をけなしたがりますが、エロイ女にうつつをぬかして国を傾けているのは男の権力者でしょうが。どちらかといえば、心が穢れているのは桓帝のほうですから。……なあ、仲達、鍾繇?」


 すでに鬼籍にった人間とはいえ、皇帝を名指しでボロクソ言い過ぎである。同意をうながされた司馬懿と鍾繇は、(ここで否定したら馮貴人がまた自信を無くすかも知れないし……)と思いつつ、


「お、おう……」


「そ、そうですな……」


 と、控えめにうなずいた。


「な……ならば、私はこれからも鍾繇を愛し続けてもよいのじゃな? あっ……でも、やっぱり駄目じゃ。このまま幽鬼の身で逢瀬を重ねれば、今度こそ鍾繇を腹上死させてしまう。こちらにその気が無くても、交われば生者の精気をどうしても吸い取ってしまうのじゃ。せめて鍾繇の子をはらむまではと思っていたが、やはり子作りは諦めるべきか……」


 馮貴人は、曹丕の言葉に一瞬喜んだ後、また悲しげに目を伏せた。


 彼女は、どうしても鍾繇の子を産みたいらしい。桓帝の御子を出産できなかった生前の未練があるからだろう。


「私は短い生涯で、一度も妊娠できなかった。……帝の最初の皇后、梁女瑩りょうじょえいは非常に嫉妬深い女でな。妊娠した妃賓ひひんたちを次々と殺しおった。私には妊娠の兆候が無かったものの、帝に特に寵愛されていたゆえ、梁女瑩は警戒していたはずじゃ。私に子ができぬよう一服盛っていたのやも知れぬ。きっと、その毒が死後も私をむしばんでおるのだ。『幽鬼でも、生者と交われば子ができる』と冥界で聞いていたから、鍾繇の子を産めるように毎夜励んでいたが……無駄な努力であったわ」


「遺体と霊体は互いに影響し合うもの。有り得ぬ話では無いですな。それがまことならば、貴女がである限りは、子は望めぬでしょう。しかし……一つだけ解決策があります」


「解決策じゃと?」


「ええ。いっそのこと、になってみたらどうです?」


 曹丕の思いもよらぬ提案に、馮貴人は目を丸めて「別の人間になる……とはどういうことじゃ?」と問うた。


「生まれ変わるのですよ、新しい人間に。いわゆる転生というやつです」


「……転……生。そういえば、冥府の役人から聞いたことがあるような無いような……」


 馮貴人がそう呟くと、曹丕は好奇心に満ちた目をキラリと輝かせ、「きっとありますよ。ぜひとも冥府の役人に確かめてみてください。俺は前々から、生まれ変わり現象が実在するという確証を得たいと思っていたのです。こればかりは、本当に死んで生まれ変わってみなければ、分かりませんからね」と言った。


「ち、ちょっと待ってくだされ、公子様」


 ここまで話を黙って聞いていた司馬懿が、慌てて会話に割り込む。


 転生云々と新たなオカルトネタをいきなりぶっこまれても、ちょっと理解が追いつかない。ちゃんと説明して欲しい。生まれ変わり現象なんて、本当に有り得るのだろうか?


「生まれ変わりとは……つまり、この俺にも前世というものがあって、昔は別人としての一生を送っていたということですよね? にわかには信じられないのですが……」


「生まれ変わり現象については、分からないことが非常に多い。この世の全ての人間に前世があるのか。死ねば、必ず別の人間に転生するのか。それすら分からぬ。

 ただ、ごくまれに、幼子おさなごが前世の記憶を覚えていることがある。『僕は昔、どこどこに住んでいて、どういう死に方をしたんだ』などと、己の前の人生を突然語りだすのだ。

 俺は実際に、そういう子供を何人か取材したことがある。その幼子たちが『自分の前世』と証言した人物に該当する者が実在するか調べてみたところ、役所の記録でそれらしき名前を数人ほど確認できた。

 ……まあ、ただの偶然である可能性も十分にあるのだがな。俺は、その子供たちの『前世の人物』と面識が全く無いのだ。確証を得ることなどできぬ」


「む、むむぅ……。なんと摩訶不思議な……」



 転生はただのファンタジーではない。アメリカのバージニア大学では、学者たちの調査対象になっている。

 生まれ変わり現象の研究者、イアン・スティーブンソン教授(一九一八~二〇〇七)が大学内に創設した知覚研究所では、二六〇〇件あまりの生まれ変わり事例の資料があるという。


 また、三国志の物語の最終盤に登場する羊祜ようこ――晋の武帝司馬炎しばえん(司馬懿の孫)に重用された将軍――にも、生まれ変わり現象と思われる逸話がある。




 羊祜くん五歳は、ある日、


「玩具にするから僕の金の輪を持って来て!」


 と、乳母にせがんだ。


 乳母が「坊ちゃまの玩具に、そんな物は無かったでしょう?」と言うと、羊祜くんは隣の李さんちに走って行き、その家の東の垣根に生えている桑の木立の中に潜り込んで、そこに隠されていた金の輪を持ち去った。


 それを目撃した李さんはビックリして、


「その金の輪は、亡くなったわしの子供が無くした物じゃ。なぜ持って行くのだ」


 と怒った。


 乳母が事情を説明したところ、何かを察した李さんは、感極まった様子で黙り込んだという――。




「調査対象が幼子ゆえ、冥府でどのような手続きを踏んで生まれ変わったのか聞いても、なかなか要領を得ぬ。『お空の上にいたよ』とか、ふんわりとしたことを言うばかりだ。しかも、厄介なことに、子供たちはある一定の年齢まで成長すると前世の記憶を忘れてしまう。これでは、転生と疑わしき事例を収集するばかりで、決定的な確信が得られない」


「……なるほど。公子様の考えていることが、だんだんと分かってきましたぞ。だから、馮貴人に別の人間に生まれ変わってもらうのですな。転生した馮貴人が我らの前に現れてくれたら、生まれ変わり現象は実在するとほぼ証明できるというわけだ」


 司馬懿が曹丕の企みを言い当てると、彼はニヤリと悪戯っぽく微笑み、「そういうことだ」と認めた。


「え? もしかして……私、そなたの生まれ変わり現象の調査とやらに利用されようとしておるのか?」


「利用だなんて、とんでもない。貴女の悩みを解決するついでに、ちょっとだけ俺の怪異調査に協力してもらいたいと思っているだけですよ。アハハハハ」


「う、胡散臭い……」


「……で、いかがでしょう、馮貴人。冥府の役人に転生の方法を指南してもらい、生まれ変わってみてはどうですか。首尾よくまた女性に生まれ変わることができたら、この曹丕が貴女を必ず見つけ出して、鍾繇と添い遂げられるように手助けしましょう。その折には、どうやって転生したかを幼女である貴女に根掘り葉掘り尋問すると思いますが」


 なかなかぶっ飛んだ、恋愛成就の解決策である。


 しかし、転生して別の人間にさえなれば、梁女瑩に盛られた毒も無効化されるはずだ。鍾繇の子供を産める可能性が出て来る。また、幽鬼ではなくなるので、鍾繇から精気を奪って死なせてしまう心配もない。


「なかなか魅力的な提案じゃが、生まれ変わった私をどうやって見つけ出すつもりじゃ? 赤子のうちは何もしゃべれぬし、片言かたことを話せるようになって『あたちの前世は馮貴人! 鍾繇の赤ちゃんを産みたいから、曹丕っていう人のところに連れて行ってくだちゃい!』などと訴えたところで、親や周囲の大人が信じぬであろう。不思議ちゃんと思われる未来しか見えぬ。それに、大きくなったら前世の記憶を忘れてしまうのでは、自らの足でそなたの元へ行くこともかなわん」


「ならば、俺が斬りつけた左股ひだりももの傷を目印にしましょう。風聞によれば、生まれ変わりの目印として、遺体に何らかの印をつける習俗を持った異民族があるそうです。転生する際、その傷をあざとして残し、生まれ変われるように冥府の役人に頼んでみてください。

 あと……そうですな。左目尻の泣き黒子ぼくろもそのままにしておきましょう。馮貴人を彷彿とさせる特徴がそれだけある幼女が前世の記憶を語りだせば、俺は必ずその噂を聞きつけます。この曹丕、怪異の噂を収集する才能は伊達ではありませんからね」


「し、しかし……まだ心配じゃ。もしも転生するのに歳月が思った以上にかかってしまったら、どうする? 鍾繇は私を待っていてくれるだろうか? そもそも、ただでさえ高齢なのだから、生まれ変わった私が年若い娘になる時分には……死んでおるのではないか?」


 馮貴人の心配は、もっともだ。

 現在、鍾繇は五十七歳。馮貴人がいますぐに生まれ変われたとしても、彼女が十代の娘になる頃には、鍾繇は七十代になっている。彼の心が馮貴人からとっくに離れている可能性もあるし、第一、子作りなどできるはずが……。


 そう考えて馮貴人が逡巡しゅんじゅんしていると、鍾繇が「いつまでも待っていますとも!」と大声で叫んだ。


「貴女が再び儂の胸に帰って来てくれる日まで、絶対に死にません! 八十や九十になっていても貴女との子を授かれるように、健康にも気をつけます! 幾百年待とうが、我が愛が衰えることなど有り得ません!」


 鍾繇は、馮貴人を抱きしめ、力強い言葉でそう誓う。


 愛する男に抱擁されると、馮貴人は頬をほんのりと赤く染め、「し……鍾繇……」と潤んだ声で呟いた。


「貴女こそ、ずっと愛してくれますか? こんな老いぼれを……生まれ変わっても愛してくださいますか?」


「無論じゃ。そなたは、深く傷付いていた私の魂を優美な書で癒してくれた。その真心は一生……いや、何度生まれ変わり、私が私であった時の記憶を失ったとしても、忘れはせぬ。それだけは、魂に刻み付けて絶対に覚えている」


「では……再会を約束しましょう」


「ああ。しばしの別れじゃ。必ずや転生し、そなたの元に戻ってくるからな。また逢おう、我が愛しの君」


 馮貴人と鍾繇は、しばらく見つめ合うと、どちらからともなく接吻した。


 二人の唇と唇が重なった瞬間、美しき女幽鬼の体が霧のように消えていく。


 幽鬼が現世で活動できる夜の時間が終わり、朝が来たのだ。




 ……この後、馮貴人の亡霊が鍾繇の前に現れることは無くなった。十数年後、左目尻に泣き黒子のある張昌蒲ちょうしょうほという美少女が鍾繇の寵愛を受け、やがて、蜀漢平定で功を立てる鍾会しょうかいを産むことになるのだが――それはまた別の物語である。








<生まれ変わり現象について>


 生まれ変わり現象に関しては、『ムー 2022年3月号』の総力特集「生まれ変わり現象の謎」(監修:大門正幸 文:文月ゆう)を参考にしています。(羊祜のエピソードだけは、毎度お馴染の『捜神記』を参照)。


「生まれ変わりの目印として、遺体に何らかの印をつける習俗を持った異民族がある」と曹丕が作中で語っていますが、『ムー』の記事によると、ミャンマーでそういった事例があるそうです。また、遺体に印をつける風習は古くからアジアでしばしば見られ、江戸前期の仮名草子『因果物語』やラフカディオ・ハーン『怪談』にも、似た事例が載っているとのことです。

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