宣戦布告

 路地を滅茶苦茶に駆け回り、ひたすら逃げに逃げた。


 日の出の時刻が迫っていることを告げるにわとりの声が、何処いずこからか聞こえてくる。夜明けはそう遠くない。


 曹丕たちはいま、洛陽城外の冥々めいめいたる林道を疾駆している。

 東陽門(洛陽の東側にある門)でいったん追い詰められたが、門兵たちを叩き起こして城門を開けさせ、洛陽城の外に脱出したのである。異形の巨人となった馬超も、怯える門兵たち十数人を丸太のように太い腕で殴り飛ばすと、執拗な追跡を続けていた。


「あっ……。ま、まずい! 子桓しかん(曹丕の字)様、この林道を抜けてしばらく行くと、皇室関係者の陵墓があるのです! たしか、ふう貴人きじんという桓帝かんてい(後漢の十一代皇帝)の寵姫の墓が……。陵墓の近くで馬超が大暴れしたら、馮貴人の眠りを妨げてしまいまする!」


 鍾繇しょうようが焦った声でそう叫んだ。


「馮貴人の陵墓だと? そうか、このあたりであったか。お前が三か月ほど前に修復した陵墓というのは。ずいぶんと荒れていたらしいな」


「えっ。なぜそのことを……」


「フム。ならば、ちょうどいい。運が良ければ、鍾繇の問題と馬超の反乱を今夜中にまとめて解決できそうだ。夜の追いかけっこはこれにて終了としよう」


 そう呟くと、曹丕は手綱を引いて馬を急停止させた。鍾繇と龐徳ほうとく、馬休も曹丕に従って止まる。


 司馬懿は、相変わらず凄まじい光を放っている霊剣泰山環たいざんかんに目をやり、


「その剣、何やら凄いことになっていませんか? 知らぬ間に剣身が伸びているし……」


 と、問うた。


 しかし、曹丕はそれには答えず、「仲達よ。気絶している小燕しょうえんを起こせ」と命令した。


「小燕にまた何かやらせる気ですか? 念のため言っておきますが、こいつは化け物退治の戦力にはなりませんからね」


「そんなことは百も承知している。小燕に命じるのは簡単な伝言だ。この先の陵墓の中にいる女人にょにんに、『貴女あなたが恐れている暴力の猛風が間近に迫っているが、この曹丕が退けるゆえ、おびえて墓から逃げ出さないように』と俺の言葉を伝えさせるだけだ」


「えっ。その女人というのは、もしかして……」


「何でもいいから急げ。俺はいまから馬超と戦う」


「は、はい」


 一方的に指示を下すと、曹丕は馬からひらりと飛び降りた。そして、凄まじいはやさで迫って来ている巨人の怪物に、光り輝く大剣の切っ先を突きつけた。


「バカ馬超、止まれ。もう走らなくていいぞ。夜が明けるまで逃げ切っても俺の勝ちなのだが、お前はムカつくから特別にここで折檻してやる」


「ぬあはははは‼ 馬鹿は貴様のほうだ、曹丕‼ 幾千幾万の悪鬼の呪いに打ち勝ち、最強の肉体を手に入れたこの錦馬超きんばちょうに、曹家の公子ごときが勝てるはずがなかろう‼ 最初は悪鬼どもをお前に除霊させようと思っていたが、この体が気に入ったゆえ、その必要も無くなったわい‼」


「ハハッ! 何が錦馬超だ。いまのお前のどこに、五色ごしきの糸で彩られた絹織物のような優美さがある。美貌の猛将だった人間馬超はすでにこの世から消え、いまここにいるのは亡者どもを喰らい尽くして自らも怪異的存在に成り果てた悪鬼馬超だ。異形の怪物となった時点で、お前は狩る側から狩られる側になったということを自覚せよ」


「俺が怪物だと……? く……くくくくっ。少し見た目が醜くなったことは認めるが、それがどうした‼ 戦士は強くさえあればいいのだ‼ 圧倒的暴力で他を捻じ伏せ、敗者から命と財、食を奪い尽くす‼ それが天下無双の道‼ 己の大事な物を誰にも奪わせないための唯一の正解だ‼」


「などと言いつつ、お前は実の弟と忠義の臣をぶっ殺そうとしたのだからな。何が『大事な物を奪わせない』だ。自分にとって何が大事で、何を守らねばならないのか分からなくなっている馬鹿のくせに。御託ごたくを並べるのはここまでだ。さあ、来い。時間がもったいない」


 曹丕は小馬鹿にしたような微笑を浮かべ、人差し指でクイクイと手招きする。そのめきった態度に激昂した馬超は怒りの咆哮を上げた。



「ゴオオオォォォーーーッ‼」



 巨山が崩れ落ちたかのごとき轟音ごうおん。天と地が震える。周辺の木々で眠っていた鳥たちが驚き、一斉に飛び去った。


「ひ、ひええ~! いったい何が起きているんですかぁ~⁉」


 起こされた直後だった小燕が、司馬懿に抱きつき、パニックに陥りかける。


 司馬懿は、幽鬼少女の頭を撫でてやりながら、「お前はここにいなくていい。早くこの林道を抜け出せ」と命じた。


「いいか。さっき伝えた公子様の言葉を、陵墓の中にいる婦人に告げるのだ」


「で、でも、こんな危険な場所に旦那様を置いては……」


「公子様が、何とかすると余裕かまして言っているんだから、きっと何とかしてくれるだろう。いまは公子様を信じるしかない。俺のことは心配しないで、お前にできることをやってくれ」


「わ……分かりました。旦那様と曹丕様のために頑張ります!」


 小燕は素直な少女である。大きくうなずくと、林の奥にあるという陵墓めざして走って行った。


「いよいよ、ここで決戦でござるか」


 気負い込んだ龐徳が、曹丕に加勢するべく、前に進み出ようとする。


 だが、曹丕はそれを制止した。


「龐徳。お前は、俺とバカ馬超の戦いに巻き込まれないように、皆を守るのだ」


「いえ、拙者も一緒に戦います。孟起もうき(馬超のあざな)様は人間であった時から天下無双の武を誇っていました。巨人の怪物となってしまわれたいま、孟起様に打ち勝つには数人がかりで挑むしかありません。たった一人で戦うなど無謀です」


「逆だ、逆、逆。人間だった頃の馬超を相手にしたら俺は歯が立たなかっただろうが、いまのあいつは実にやりやすい。余計な加勢があったら邪魔になるだけだ。言われた通りにしろ」


「さ、されど……。あっ! 曹丕様!」


 龐徳が躊躇ちゅうちょしている内に、曹丕は地を蹴って馬超めがけ突進していった。馬超も荒れ狂う獣のごとき雄叫びを上げながら走り出す。


 慌てて龐徳は追いかけようとするが、鍾繇が彼の手をつかんで止めた。


「龐徳殿。あの御方は、乱世の英傑、曹操様のご子息じゃ。勝算の無い戦をするような愚者ではない。必ず勝てるという確信があるからこそ、勝負に出られたのだ。ここは子桓様に従ってくれ」


「し……承知しました……」


 龐徳はそう言ったが、なおも心配そうに若き公子の背中を凝視みつめている。


 曹丕と馬超。いままさに激突せんとする二人は、互いに余裕と傲岸が入り交ざった微笑を浮かべていた。どちらも、己の勝利を露ほども疑っていない。

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