幽鬼を使った簡単な銭儲け~初級編
司馬懿は、細かな事情を小燕に説明する前に、道中で曹丕から教わった「幽鬼を売った男」の逸話を彼女に語り聞かせた。
ワンス・アポン・ア・タイム――
ある日のこと。定伯は、
「あんたは何者だ?」と問うと、「幽鬼だよ」と素直に答える。幽鬼は定伯に聞き返した。
「お前こそ誰だよ」
「俺か? 俺も幽鬼さ」
「ふぅ~ん。仲間か」
その幽鬼は、生者と死者の見分けもつかず、簡単に納得してしまった。
(あっ、こいつアホだな)と悟った定伯は、幽鬼ともう少し会話を続けてみた。
話を聞くと、どうやら幽鬼も、宛の市場に向かう途中だったらしい。「ならば、一緒に行こう」ということになった。
「あ~……。歩くの超かったるい……。なあ、交替でおんぶして行こうぜ」
しばらく歩いていたら、幽鬼がそんな提案をしてきた。定伯が了承すると、言い出しっぺの幽鬼がまず定伯を背負った。
「あっれ……重っ……。幽鬼は軽いはずなのに、お前はなんでこんなに重たいんだ? まるで生きている人間みたいじゃないか。あっ、もしかして――」
「実は俺、死にたてなんだ。だから、まだ重たいんだよ」
「へぇ~。そうなんだ。じゃあ、俺も死んだ直後は軽かったのかなぁ~」
(あっさり
定伯は、幽鬼の背中の上で、ニヤリ……と邪悪な笑みを浮かべた。何かしらの悪だくみを思いついたようだ。
「なあ、幽鬼の先輩。俺、死んだばかりだから幽鬼のことよく知らないんだ。俺たち幽鬼って、何か弱点とかあるのか?」
「人間の
「唾か……。なるほどね」
二人は交替でおんぶをしながら歩き、やがて宛に到着した。
定伯は市場の入り口に着くやいなや、空気のように軽い幽鬼の体をえいやっと肩に担ぎあげた。
「うわわ⁉ 何するんだ! やめろってば!」
「フフフ。逃がさんぞ」
曹丕著『列異伝』には、定伯がこの時点で何を企んでいたのか記していない。だが、おおかたは市場にいる奴隷商人にでも売り飛ばそうとしていたのだろう。
定伯は幽鬼を担いだまま、市場の中に入り、いったん幽鬼を地面に下ろした。しかし、ここで意外なことが起きたのである。幽鬼は突如、姿を羊に変えたのだ。
「なんと! 幽鬼は
定伯は、人混みをすり抜けて逃げようとする羊を素早く捕獲し、唾をペッペッとかけた。すると、羊はたちまち弱り、元の幽鬼の姿に戻れなくなってしまった。
「よし。また逃げられたら困るから、弱っているうちにこのまま売ってしまおう」
定伯は市場で羊を売却し、千五百銭を手に入れた。
この宋定伯という青年がいつの時代の人間なのかは分からないが、もしも漢代の人なら、羊の値段はおよそ二百五十銭である。相場の六倍の値がついたことになる。想像するに、羊に化けている幽鬼が「助けてぇ~!」とか人語を喋っていたため、
「何やねん、この珍しい羊……。ペットにしたいから言い値で買おう!」
という感じで、高値で売れたのかも知れない。
かくして、定伯は幽鬼で銭儲けをし、人々の噂の的になったのである。
* * *
幽鬼を売った男の話を聞き終えた小燕は「その宋定伯という人……何だか曹丕様に似ているような……」と呟いていた。司馬懿もウンウンと
「自分の偽名に使うぐらいだからな。あの男のお気に入りの怪異譚なのだろう」
「でも、幽鬼にそんな変身能力があっただなんでビックリです。私も色んな動物に
「他の動物に化けられるかは分からんが、たぶん羊なら可能だと思う。宋定伯に売られた間抜けな幽鬼でも変身できたのだからな。それで、お前にやって欲しいことというのはだ――」
司馬懿はこれまでの
「この官渡の夜市で、誘拐された良民たちが、奴隷として売り買いされようとしている。店側も客側も悪人ばかりだ。だから、ここに集まっている奴らから銭を騙し取っても天罰は下るまい。小燕よ、協力してくれないか」
「官渡の夜市……。私もこの土地でチンピラ集団に捕まって、売られそうになったことがあるんです。似たような境遇の人たちが困っているのなら、放ってはおけません。分かりました! 旦那様、そういうことなら私をどんどん売っちゃってください!」
小燕は、自分の胸を勢いよく叩くと、「じゃあ、早速、羊に変化できるか試してみますね!」と明るく言った。いまから市場で売られようとしているのに元気な幽鬼メイドである。
* * *
それから約十五分後。
司馬懿と
商品は、もちろん、子羊に化けた小燕である。彼女には変化の術の才能(?)があったのか、意外とあっさり変身できた。
「さ……さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。珍しい子羊だよぉ~……」
「司馬懿殿、声が震えているぞ。もっと大声を出すのだ。あと、ここは曹洪の息のかかったチンピラたちが取り仕切る市場じゃ。そんな大人しい呼び込み方では不自然だ。もっとチンピラっぽくやるのだ」
華歆にそう注意され、司馬懿は「されど……」と口ごもった。商人の真似事などやったことがなく、とても恥ずかしいので、顔が真っ赤である。
二人はいま、世紀末暴走賊のファッションに着替えて呼び込みをしている。つまり、
ちょっと周囲を見渡してみよう。
「おらおら~! 俺様が育てた馬は天下一の駿馬だぜコンチクショウ! 買わねぇとぶっ殺すぞぉぉぉ!」
「この蛇矛はそんじょそこらの武器じゃねぇ! あの呂布が使っていた武器を死後に入手して……あ? 呂布の武器は方天画戟だって? 蛇矛は張飛? 張飛はまだ元気に生きてる? ……うるせぇぇぇ‼ 呂布だって蛇矛を使ってたかも知れねぇだろうがぁぁぁ‼ なます切りにするぞコラぁぁぁ‼」
「今日は大人のオモチャが大量入荷で夜の営みがヒャッハーだぜぇーッ! 自分のムスコに自信が無いそこの軟弱野郎ッ! この
……ざっとこんな感じである。行儀よく商売をやっていたら、ここでは「あいつ怪しい……。もしかしたらよそ者か?」となるわけだ。
しかし、司馬懿はいちおう名族の子なので、大声で野卑な言葉を叫ぶのには抵抗がある。だから、
「こんなかっこうをしているだけでも死ぬほど恥ずかしいのに、あんな蛮声で呼び込みなど、とてもできませぬ」
と、弱音を吐くのであった。
「私だって恥ずかしい。だが、身寄りのない娘たちの結婚資金を稼ぐためだ。一度やると決めたことは、どんな困難があっても、やりきらねばならぬ。それが
「どんな困難もやりきるのが漢……。さすがは華歆殿、仰る通りです。分かりました……一緒にやりましょう! いや、やってやるぜヒャッハーーー‼」
「うむ! 共に励もうぞコンチクショウ‼ 客を呼び込むのだベラボウメ‼」
吹っ切れたアラサー男と初老紳士の二人は、慣れないチンピラ言葉を駆使し、呼び込みを再開した。
華歆がまず「今宵集まりしご客人に告げるぞボケナス! この子羊はただの子羊にあらずだニャロメ!」と怒鳴り、続いて司馬懿が「ヒヘヘヘ! なんとこの子羊、二本脚で立って
「にゃむにゃむにゃむにゃーん! にゃむにゃむにゃむにゃーん!」
小燕の愛らしい声が、夜の市場に響き渡る。
さっきまで素通りしていた買い物客たちは、驚いて立ち止まり、「な、何だ⁉ あの子羊は⁉」と口々に驚嘆の声を上げた。
「おおっ! 客たちが食いついたぞ! 小燕、もっとがんばれ!」
司馬懿が小燕(子羊)の耳元でそう励ますと、彼女はさらに声を張り上げて「にゃむにゃむにゃむにゃーん!」とお経(?)を唱える。
ここで不思議なことが起きた。
懸命にお経を叫んでいる小燕の背後からまばゆい後光が差してきたのだ。
「おお! なんと神々しい!」
「ありがたや! ありがたや!」
「この羊、ぜひ家で飼いたい! いくらでも金は出すから譲ってくれ!」
こんな暗黒街に出入りしている客たちの中にも、浮屠の教えを信仰する者がいたらしい。信者たちが数人、目の色を変えて飛びついてきた。
別に信者ではない金持ちたちも、物珍しさから「
「騒ぐではないコンチクショウ! いくら銭を払うか左から順番に申し出るのだテヤンデェ! 一番高い値を言った者に売ってやろうぞベラボウメ!」
華歆がかなり怪しいチンピラ言葉――というより、江戸っ子弁――でオークション制であることを告げると、群がった男たちは「俺は二千銭!」「儂は五千銭!」「ならば私は一万銭だ!」と唾を飛ばしながら叫ぶ。
「ひ、羊が一万銭⁉ 馬が二頭も買えるじゃないか!」
「まだ売ってはならぬぞ。もう少し値が上がるのを待つのだ」
華歆が、驚嘆している司馬懿の
結婚というものは、たとえ身分が低くても、それなりに金がかかるものだ。貧しい農民や町の平民ですら、男は結納金に最低でも一万銭を用意する必要があるし、女も嫁入りの準備に二千銭はかける。三十数人の女たちの結婚資金が必要なのだから、一万銭ではぜんぜん足りない。嫁がせてやれるのは、せいぜい五人前後だ。
「それは分かっていますが……小燕がだんだん疲れてきているみたいで心配です」
「むむむ。フラフラしておるな。羊の姿で二足立ちを長い間するのはキツイのだろう」
などと二人が話し合っているうちに、小燕がとうとうバテてしまった。「うきゅ~。もう立っていられませぇ~ん」と言いながら、コテンと倒れてしまう。その拍子に変身が解け、彼女は真実の姿を群衆に
「し、しまった……!」
司馬懿は慌てた。競りに参加していた男たちが「ひ、羊じゃなかったのかよ⁉ 騙したな!」と怒り出すに違いないと思ったからだ。
だが――彼らの反応は司馬懿が予想していたものとはかなり違った。
「ひ……羊が可愛い女の子になったぞ⁉ まさか
「精魅でも何でもいい! こんな金の匂いがプンプンする精魅なら即買いだ!」
「羊の姿でお経を唱えさせりゃ見物料が取れるし、美少女の姿で変態ジジイどもの夜の相手もさせられる! ……フヒヒヒ! この精魅で何億銭と稼いでやるぜ!」
この場にいるほとんどの客が、曹洪暗黒マーケットのお得意様ばかりである。だいたいの人間が、奴隷市の「商品」――多くが誘拐された良民――を買うためにここに集まっている。だから、ろくな奴らではない。司馬懿が真っ青になるようなど畜生発言が飛び交い、激しい競り合いはさらにエスカレートした。
最終的に小燕を競り落としたのは、「十万銭出す!」と言った年寄りの富豪だった。真面目に信仰心から欲しがっていた数人の浮屠の信者たちが歯噛みして悔しがっているが、さすがに十万銭という大金をポンと出す持ち合わせが彼らには無いようだ。
年寄りの富豪は、司馬懿と華歆に黄金十斤(黄金一斤で約一万銭)を支払うと、首に縄をかけられた小燕を連れて、意気揚々と市場を去って行った。
「まさかの十万銭ですよ……華歆殿」
「うむ。さすがに驚いた。子桓様もなかなか恐ろしいことをお考えになる。……これなら三十数人の女たちを嫁がせることなど造作も無いな」
「いや、むしろ三千銭か四千銭は余りますぞ」
「ああ。それだけあれば、
「では、小燕が戻って来たら、市場の酒という酒を買い占めにいきましょう」
司馬懿がそう提案すると、華歆はウムと頷いた。
幽鬼の小燕は、夜限定であの世とこの世を自由に行き来できる。だから、いったん冥界に帰還して、またこの世――主人の司馬懿がいる場所に戻って来るという瞬間移動まがいの芸当が可能なのだ。
やろうと思えば、小燕を売る→小燕が戻って来る→また小燕を売るというキャッチ・アンド・リリースを繰り返すことで、お金をじゃんじゃか稼ぐことも可能である。これこそが、曹丕発案の「幽鬼を使った簡単な銭儲け~初級編」である。彼は曹洪の商売をせこいと言っていたが、曹丕の商売も十分にせこい。
「旦那様ぁ~! 戻りましたぁ~!」
小燕が空から降って来て、司馬懿の頭の上にしがみついた。
「よし。ちゃんとあの年寄りの富豪から逃げて来たな。偉いぞ、小燕」
「わーい! 旦那様に褒められたぁ~!」
小燕は主人の役に立てたことが嬉しくて、ニコニコ笑顔ではしゃいだ。
一方、その頃、官渡城に向かった曹丕と真は――城内で曹洪と鉢合わせをしていた。
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