謎の侵入者
「うわぁぁぁ‼ 小燕許してくれぇぇぇ‼」
絶叫とともに司馬懿は目を覚ました。気絶している間、首の無い小燕に追いかけられてひたすら逃げる夢を見ていたのである。
「はぁ……はぁ……。ゆ、夢か……」
首筋に滴る汗を
雨はいつの間にか止んでいた。窓から差し込む夏の陽光の眩しさが、衰弱した神経に障る。もう昼時分だろうか。
部屋に異変が無いか見回してみたが、窓辺に置いた手燭の
司馬懿は青ざめた顔を歪め、「き……
「この世に恨みを残した鬼は人を祟るという、子供の頃に聞いた怪談はまことであったようだ……。『
鬼――日本では
だが、生者と死者は別の道をゆくもの。ふつう生者には
――旦那様ぁ~。首をポーンと
ということに違いない。
あんな死に方をしたのだから化けて出ても仕方ないよな、とは司馬懿も思う。
でも、手を下したのは春華なのだ。自分が元凶であることは認めるが、さすがに祟り殺されたくはない。
「今夜も化けて出るのだろうか。昨夜は熱湯をぶっかけられただけで終わったが、次は何をされるか分かったものではない。
司馬懿は頭を抱え、
「ああーッ! 司馬の坊ちゃま、目ぇ覚めたんかい! よかった、よかった!」
唐突に三人のおっさんが
ビクッと驚いた司馬懿は、「な、
「重病人が無理に動いたらいけねぇーよ!」
と、おっさんたちに押しとどめられた。彼らは、大柄な司馬懿を三人がかりで持ち上げ、寝台に座らせる。
よく顔を見ると、おっさんたちは
飼っている豚に逃げられた
浮気がばれて嫁に殺されかけた
母親のおっぱいを吸っている
である。
彼ら里人は、小燕と同じく司馬懿を
「その坊ちゃま呼ばわりはいい加減にやめてくれ。俺はもう二十九だぞ」
「あなたは地元の名士、
温厚な田さんがグスッと鼻をすすりながらそう言った。
司馬懿には言葉の意味が分からない。「……どういうことだ?」と眉をひそめてたずねた。
「どうもこうも無いですよ。坊ちゃまも夜に犬の怪物と遭遇して、ビビって気絶しちゃったんでしょ? 隠さなくていいですよ、おいらも気絶したから。小燕ちゃんはね、台所で首が無い状態で倒れていましたよ。あれは犬の怪物に殺されたにちがいねぇ。台所が血まみれになっていて、本当にもう酷い有り様ですよ。ああ、恐い恐い」
臆病者の楽さんがそう語り、ブルルっと身を震わせた。
すると、趙さんが「犬が少女の首をくわえて走り去るところを見た、という目撃談がある。それがきっと小燕ちゃんですぜ」と言った。なぜか彼らは小燕が凶暴な犬に殺されたと誤解しているようだ。
夜中に野良犬が裏庭に入り込んだ気配があったのは確かである。そのワンコはたぶん小燕の墓を掘り起こし、首だけを持ち去ったのだろう。
……とりあえず、妻の犯行だとは気づかれていないようなので、彼らの話に合わせてみよう。司馬懿はそう考えた。
「ああ……思い出した。恐ろしい獣が部屋の窓から顔をのぞかせて、驚いた俺は気絶したのだった。その後に小燕は殺されたのだろう。俺は歩けないから台所に連れて行ってくれ」
そう頼むと、気のいいおっさん三人は「あいよ」と言って、司馬懿を台所まで
* * *
小燕の首無し死体は、楽さんが言っていた通り、
だが、奇妙なことに、地中に埋められていたはずなのに、衣服や手足に泥がついていない。
(このおっさんたちが泥をはらってくれた……わけではなさそうだな)
そう
「……昨夜は戸締りを忘れたと思っていたが、台所の戸はしっかり閉まっていたようだな。そのせいで侵入者に破壊されてしまったが」
土間に散乱している戸板の破片を
「おっそろしい犬ですよ。戸に大穴を開けるなんて」
楽さんが恐怖で顔を引きつらせ、そう呟く。
司馬懿は、それは無いな、と思った。
その犬の怪物とやらが鋭い爪で戸を破ったのなら、破壊された戸板に爪跡らしきものが残っているはずである。だが、注意深く観察しても、その痕跡が一切無い。
その代りに付着しているのは、
では、どこの誰が戸を破壊し、小燕の胴体を台所まで運んだのか?
まさか、
第一、生前に小柄で非力だった少女が、首無しの
(やはり、武芸に秀でた何者かが戸を蹴破ったと考えるのが妥当だな)
昔、父司馬防の食客に
(侵入者の正体について分かるのは、いまのところここまでだ。だが、そいつがどういう目的でこんなことをしたのかは、外を見たらおおよその見当がつく)
裏庭を睨みながら、司馬懿は心の中でそう呟いた。
庭には、夜中に野良犬によって荒らされたらしい
そして、不思議なことに、小燕の墓の形跡が綺麗さっぱり消えていた。犬が昨夜掘り起こしたであろう墓穴が見当たらないのである。墓を
もしも、子供を埋められそうなサイズの穴が裏庭にあり、その横に小燕の屍が転がっていたとしたら、田さんたちもさすがに人間の仕業だと思っただろう。そして、誰が彼女を殺し、死体を
「おや? そういえば、奥方様の姿が見えませんね」
司馬懿がシリアスな顔で考え事をしていると、田さんがそんなことを言い出した。不意打ちで家出女房の話題を出され、司馬懿はドキリとする。
「あっ! まさか犬の化け物に連れさらわれたんじゃ……!」
「つ、妻は里帰り中だから心配無い! それよりも、子供を殺すような物騒極まりない犬がいるとは由々しき問題だ。このことを俺の父に相談したのか?」
司馬懿は目を激しく泳がせ、話題を無理やり春華から遠ざけた。
すると、趙さんが「ご隠居様はすでに怪物犬の討伐隊を作って、現在、その犬と戦っていらっしゃいます」と驚くべきことを口にした。
「と、討伐隊⁉ 俺が眠りこけている間に、そんな大事にまで発展していたのか⁉ というか、大人数でないと退治できぬぐらいヤバイやつなのか!」
「ええ、ヤバイです。だから、坊ちゃまのお知恵を貸してもらいたくて、ここにやって来たのです。ぜひ俺たちと討伐隊に加わってください。俺たちゃ、司馬ご一族の命令なら何でも聞きます。犬の化け物なんざ、みんなで力を合わせて退治しちまいましょうぜ!」
趙さんが腕まくりをして、そう豪語した。
趙さんは戦場に行った経験もあって、筋肉隆々の偉丈夫である。こんな頼もしそうな男が夜は母ちゃんのおっぱいを吸っているのだから、世の中は分からない。
(幽鬼になった小燕のことも何とかしたいが、害獣の駆除に
* * *
「それ行けーッ!」
「わっしょい! わっしょい! わっしょしょしょーい!」
竹で編んだ病人用の
そんな賑やかな光景を司馬懿邸の屋根の上から見下ろしている男が一人――。
「フフッ。まるで祭りのようだな」
端正な顔立ちのその若者は、形の悪い瓜を
「どうせ血相を変えて逃げ帰って来るだろう。それまでの暇潰しに、あの首無しの下女を調べるかな。……司馬仲達は『幽鬼を見た』などと飛び起きるなり口走っていたが、あの娘のことだろうか。まあ、下女本人に直接聞けば分かるな」
そう呟くと、若者は屋根からひょいと飛び降り、音も無く庭に着地した。
そして、戸が壊れた台所から司馬懿の家に上がり込むのであった……。
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