1-5 どっちもどっちのお目付け役

「……わたし、職場の先輩と付き合ってたんですけど、酷い振られ方しちゃって」


 あやかし一同とイケメン軍人を前に、美咲は語った。行き当たりばったりで遠い新潟まで出てくる契機となった、一連の出来事について。

 思い出すのも辛くなる話のはずだったが、酒の力のせいか、皆の暖かさのせいか、美咲の口は不思議と淀みなく言葉を紡ぐことができた。


「それで、なんかわたしが悪いみたいにされて、会社にも居づらくなって。元々契約社員で更新時期ももうすぐだったし、もういいかなって。仕事辞めちゃったんです」

「……それは、辛かったわね」


 一番に同情の声を掛けてくれたのは、美人雪女のユキちゃんだった。

 団三郎ムジナは黙って酒を勧めてくる。美咲がこくんと一口飲み干したところで、横からどこかマイペースな天宮の声が飛んできた。


「契約社員とは何だ? 会社員は皆、契約してなるものじゃないのか」

「もう、大尉だいいはそんなことも知らないの? 契約社員っていうのは……あら、何かしらね」


 ユキちゃんは自分の唇に指を当てて首を傾げている。団三郎ムジナも、勿論小さなアズキも知らない様子なのを見て、美咲は言った。


「正社員よりなんか格下の感じのっていうか、社員だけど本物の社員じゃないみたいなー」


 言っていて情けなくなるような内容だが、 この場の誰も知らないことを自分だけが知っているという状況自体は少し嬉しかった。……やっぱりちょっと、いやだいぶ酔っているのかもしれない、自分は。


「ふむ。海軍でいうところの特務士官や予備士官のようなものか……?」

「そっちの方が今の人は分かんないから」


 ぴしゃっとユキちゃんに突っ込まれ、天宮は「むう」と一人唸っていた。

 促されるがままグラスを空にして、美咲は続ける。


「まぁ、行き当たりばったりっていうか、イケメンだからってふらっと勢いで行っちゃうわたしも悪いですけど。でもね、信じられないんですよ、あの男。わたしと付き合いながらー、社内の別の子とも平気でー」

「それは悪い男らな」

『悪い男ら』


 大小のムジナが揃って相槌を打つ。美咲は気付けば自分からグラスを団三郎に差し出していた。とくとくと注がれた酒を喉に流し込んで、思いの丈をあやかし達に吐き出す。


って、ありえないしょう。同じ会社の子と二股なんてー」

『新潟弁のマネしなくてもええんらぞ』

「してませんよぉ。それに、あの男ねー、一番有り得ないのはねー」


 とんっとグラスを置いて、美咲は話の核心にあたる事実を口にしようとした……が。


「……」


 そこから先は、どうにも言葉にならなかった。

 これだけ酒の力を借りてもなお、とても打ち明ける気になれなかったのだ。

 あの男に捨てられる間際になってやっと気付いた事実。実は自分のほうが浮気相手だった、なんて――。


「美咲ちゃん?」

「……いえ。あーもう、思い出すと腹が立つやら情けないやらバカバカしいやらなんすよっ」


 泣いてしまうのも悔しいので、努めて怒りを発露させた。少しばかり声のトーンを上げると、途端にふらっと酔いが回って、美咲はそのままテーブルに上体を預けた。

 目の前の村上鮭とスモークチーズのかぐわしい香りが鼻腔をつく。ひょいと箸でつまんで口に運ぶと、横から誰かが「元気な子らね」とか何とか言うのが聞こえた。


「ぜんぜーん、元気じゃありませーん。さっきまで死にそうになってたしょー」


 言ってから、ふわふわする意識で美咲はふと思う。雪女でもムジナでも軍人でもない、今自分に声をかけたのは誰……?


「この店に人間が居るの久々に見たんさ」

「こんな娘っ子酔わせちゃいかんらろ、大将」


 やっぱり、知らない声がする――


「だれ?」


 吸い寄せられるように顔を上げて、美咲は見た。先程まで団三郎とアズキとユキちゃんと天宮しか居なかったはずの店内に、いつの間にか、いくつもの見知らぬ人影が席を占めているのを。


(え……?)


 ぱちぱちと目をしばたかせて周囲を見回す。周りのテーブルに座っている人影達の姿は様々だった。団三郎をスリムにしたような二足歩行のムジナもいれば、頭の皿とくりっとした目が目立つ、いかにもカッパそのもののカッパもいる。そんな連中が、それぞれに人間の和服や洋服を着た姿で卓に着き、何やら楽しそうにこちらを見ているのだ。


「妖怪……?」


 美咲が呟くと、客の一人のカッパがケロッと喉を鳴らして笑った。


「えっ、なんで? いつから居たの!?」

「あなたが喋ってる間に皆いらしたのよ。気付かなかった?」

「ぜ、ぜんぜん!」


 裏返る声に、客達が笑いながら囃し立ててくる。


「嬢ちゃん、もっと飲め飲め。飲んで忘れてしまえ」

「そんな男はどうせどっかで痛い目に遭うさ」

「えぇ……?」


 彼らの言葉の内容より何より、知らない妖怪達に知らない間に話を聞かれていたことへの混乱の方が強かった。思わず正面の団三郎ムジナを見ると、彼は大きな腹を揺らしてからからと笑う。


「言ったろ、ここは人とあやかしのたむろするカフェらって」

「えぇっ。カフェって、だって、夜中なのに」


 酒やらつまみやら出してくれたくらいだし、てっきりもう営業時間は終わっているのだとばかり思っていたが……。


「あやかしには夜が更けてからがコアタイムさ」


 店主の言葉に客達も「そうらそうら」と調子を合わせている。よくよく見れば、店の客であるカッパやムジナ達には酒は出されていないようで、彼らの前にはティーカップやら湯呑みやらが置かれているのだった。


大尉だいい、あんたも嬢ちゃんの話聞いてやりなせよ、一人で茶漬け食ってないで」


 カッパの一人が天宮に呼びかけた。美咲が反射的に彼を見ると、彼はお茶漬けを食べていた箸をぱちんと置いて、「さっきから聞いている」とカッパに答えていた。


「大尉も酷い話らって思うらろ?」

「うむ、けしからん。男の風上にも置けんやつだ」


 どきりと心臓が跳ねる感じがして、美咲は思わず天宮の席の方に上体を向ける。


「そう思うでしょぉ!? そうなんですよぉ」


 そんな反応が自然と口をついて出た。彼の無骨な一言が何だか無性に嬉しかった。

 自分は彼にこの話を聞いてほしかったのかもしれない。他の誰より彼にこそ、共感し、同情し、一緒に怒ってほしかったのかもしれない――。

 だが、次の瞬間、天宮が美咲の目を見て告げたのは、予想とは違う角度からの言葉だった。


「だが、恨みつらみを吐き出すのは今夜限りにしておけ」

「え?」


 美咲が口を覆う間もなく、彼は真剣な目で言ってくる。


「そんな奴のこととはいえ、恨み言など軽々けいけいに口にするものではない。吐いた言葉は己の感情を縛る。そして人を恨む者から人は離れていく。君にとって良いことはない」


 その眼差しに、どくん、と心臓が脈打つのを感じて。


「……は、はい」


 美咲は息を呑み、小さく返事をするのがやっとだった。

 早鐘のような動悸どうきが胸を打つ。緊張にも似た血の巡りに指先までが震えている。


「む、何だ」


 彼の方が視線を逸らすまで、美咲は堅物めいた軍人のきりっとした顔から目が離せなかった。


(……この人、なんで)


 驚くほど真剣に自分のことを考えてくれている……ような気がした。出会ったばかりの自分のことを、誰より深く案じてくれているような。

 それはこの人の生来の性格で、彼は誰に対してでもこうなのかもしれないが――

 それでも、彼の真摯な言葉は、美咲の鼓膜を貫いて心までも揺らすのに十分だった。


 ああ、バカだな――と、アルコールの回った頭で美咲はぼんやりと自分の愚かさを呪う。

 よく知らないイケメンに憧れて良いことなんて何もないし、まして彼は自称普通の人間ですらないのに……。


「ねぇ、あなた」


 美咲の今考えていることを知ってか知らずか、横から声を掛けてきたのはユキちゃんだった。


「ここに住んじゃいなさいよ。宿無しなんでしょ?」

「ふぇ?」


 シンプルな言葉の意味がなぜか一瞬理解できず、美咲は目を見開いて固まる。そこへ団三郎ムジナの声。


「おいおいユキちゃん、これ以上食客しょっかくを増やす余裕は」

「その分働いてもらえばいいじゃないの。ホラ、ちょうど、そこの堅物男にお目付け役が欲しかったところよ」


 ユキちゃんの指差す先で、天宮が「何?」と眉をひそめた。


「俺がどうしたと」

「だって、現世の若い人の感覚はわたし達じゃ教えられないもの。美咲ちゃん、あなた、彼がこの時代に馴染んで生きていけるように色々教えてあげてよ」

「え、え……?」


 話を咀嚼そしゃくしきれない美咲をよそに、軍人と雪女は言い合っている。


「待て待て。百歩譲って俺が彼女の目付け役になるのなら分かるが、なぜ彼女が俺に教える側なんだ」

「そーいうところよ。まあ、互いが互いのお目付け役ってことで、大尉はこの子を守ってあげたらいいじゃない」


 ちらりと流し目で美咲を見て、ユキちゃんは言った。


「放っといたら、この子、また死の淵に引き込まれちゃうかもしれないわよ」


 その言葉に、天宮は何かを思い出すように小さく息を吐き、深い頷きを返していた。


「そうだな。それは……辛いことだ」

「でしょ。だから、わたし達もこの子を放り出すわけにいかないの。ねえ、マスター」


 呼ばれた団三郎ムジナが少し遅れて「まあな」と答える。客の妖怪達は空気を読んでいるのか、口出しせず見守っているだけだった。

 完全に本人不在で進んでいる話に、美咲は突っ込む余裕すらなく、ひたすらに彼らの間で視線を往復させることしかできない。


「どうするさ、美咲ちゃん。行くとこ無いんなら、住み込みで手伝ってくれるか?」

「えぇ……?」


 どう答えたらいいのか分からず首をひねるだけの美咲の横で、天宮がユキちゃんにまだ何か言っていた。


「だが、流石に男女が一つ屋根の下というのは良くないぞ。彼女に部屋をあてがうのなら、俺はここを出てどこかに下宿を……」

「だーからぁ、そーいうとこなんだって、大尉がズレてるのは」

「ズレてるというなら、それはこの時代の人間が不埒なんだ。男女七歳にして席を同じゅうせずと言うだろう」


 焦っているのかムキになっているのか、次第に語気が強くなっている彼の様子に、思わずくすりと笑みが漏れる。

 自分を助けてくれた直後、手を握ったくらいのことをハレンチとか何とか言って律儀に謝罪してきた彼。この時代の人との感覚のズレを妖怪にまで突っ込まれている彼。

 イケメンとか命の恩人とか、そういうこととは関係なく――

 このおかしな人の近くにもう少し居てみたいと思う自分を、美咲は否定できなかった。


「……いいすよー、わたし。一つ屋根の下


 少し酔いは落ち着いてきていたが、わざと呂律ろれつの回らないふうを作って美咲は言った。


「だからー、出てくなんて寂しいこと言わないでくさいよう。わたしがちゃーんと、現代のこととか教えてあげますから」


 ふらっと腕を上げて天宮を指差し、美咲は宣言した。自分は酔った勢いで調子に乗っているのだ、と、自分自身にも言い聞かせて。


「じゃあ、そういうことで決まりね」


 店主以上に仕切り役っぽいユキちゃんが言うと、客のあやかし達もやんややんやと嬉しそうに騒ぎだす。問題の堅物軍人は一人だけ鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたが、やがて観念したように肩を落とし、「破廉恥な時代だ」とか何とか呟いていた。


「そんじゃ美咲ちゃん、これから宜しく頼むろ」

「はぁい」


 団三郎の言葉に、美咲はぴょこんと手を上げて答える。

 右も左も分からない街で、何だかとんでもないことになってしまったが――

 どうせ行き当たりばったりの人生だし、まあいいか、と。

 賑やかなあやかし達の輪の中で息一つ吐いて、入鹿美咲二十五歳は、この街で生き直す決意をゆるく固めたのだった。



(第2話へ続く)

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