2-1 夢じゃない目覚め

 夢を見た。色とりどりのペンライトと黄色い声援に囲まれ、眩しい笑顔を放って歌い踊るイケメンズ新潟のスター達の夢を。

 新潟・朱鷺ときメッセのホールを埋め尽くす一万人の観客。美咲はその狂騒の最前列にいた。現実には東京の現場でしか彼らを見たことのない美咲だったが、地元の会場ハコを熱狂で埋める彼らの笑顔は、何倍も爽やかに輝いているように見えて。


「ヒムカくーん!」


 美咲が身を乗り出し、お気に入りのメンバーの名を叫んだ、その瞬間。

 彼らの姿はドロンと煙に溶けるように消えて、しぃんと静まり返ったステージには、代わりに一つの人影。


「イケメンズか。随分と浮ついたものが好きなんだな」


 白いジャケットをぴしりと着込んだイケメン軍人が、じろりと美咲を睨んでくる――



 ◆ ◆ ◆



「――はっ!」


 びくっと足が落ちるような感覚とともに、美咲は夢の世界から引き戻された。

 ぼんやりした視界に入るのは、知らない天井と朝の日差し。旅館で目覚めたときのような畳の匂いに、少し身体からズレた真っ白な布団。

 若干の重さが残る頭を持ち上げ、部屋を見回して、美咲は昨夜の出来事をぼんやりと思い出す。


(そっか……ここ、あやかしカフェの……)


 ゆっくりと上体を起こし、自分が白い浴衣と茶羽織ちゃばおりを着ているのを見て、どうやらあれが夢ではなかったことを再認識する。

 昨夜、あやかしカフェに連れてこられて身の上話を打ち明けた美咲は、あれよあれよという間に、ここで住み込みで働くことになり……。

 早速シャワーも浴びさせてもらって、雪女のユキちゃんの浴衣を借り、二階のこの部屋で初めての眠りに就いたのだった。


「やっぱり、夢……じゃない」


 軽く自分のほおを引っ張ってみて、美咲は確かめるように呟いた。

 スマホを見ると時刻は七時過ぎ。少しずつ冴えてくる頭でこれからのことを考える。昨夜は酒と空気に飲まれるがままに行き当たりばったり癖を発揮してしまったが、これが現実となると、色々としなければならないことも立ち上がってくる……。


(……とりあえず、荷物を何とかしなきゃ)


 昨夜、信濃川のほとりから逃げる際、スーツケースはあの場に置き去りにしてしまっていた。あの中には引っ越しのための最低限の着替えや私物を入れてあったので、取り戻せるものなら取り戻したいが。


(……いくらイナカだからって、無理だろうなあ)


 警察に連絡したところで、無傷で落とし物として届いていることはまずないだろうな……と、憂鬱な気持ちを抱えつつ、美咲が部屋のふすまをからりと開けると。


「あれ?」


 部屋の前の廊下には、紛れもなく、美咲が昨夜置き去りにしたはずのピンクのスーツケースが置かれていたのだった。


「なんで……?」


 やっぱり自分は都合のいい夢を見ているんだろうか、なんて不思議に思いながら、ひとまず階段をとんとんと降りて一階の縁側に出てみる。もう十月ということもあり、浴衣に茶羽織だけでは少し肌寒かった。

 澄んだ朝の空気と、チュンチュンとどこからか響く鳥の声。この建物は商店街の一角に建っていたはずだけど、そんな中にもこうした空気が流れる場所があるのだというのが美咲には新鮮だった。


(……あ)


 縁側を歩いていくと、裏庭で剣の素振りをしている一つの人影が目に入った。こちらに背中を向けた形だが、あのイケメン軍人、天宮なのはひと目で分かった。

 作務衣さむえ甚平じんべいか、何に分類されるのかは知らないが、薄手の和装を着ている。両手で構えた木刀を振り上げては打ち下ろす彼の姿は、きりりとした凛々しさに満ちていて、昨夜のジャケット姿とはまた違った格好良さを感じさせた。

 ゴリゴリのマッチョは好きではないけど、彼の細身で引き締まった身体は、まさにイケメンアイドルの理想の体型のようで。

 美咲が数秒ほど見惚れていると、一刀を振り下ろした彼が「む」と声を出し、ちらりと振り向いてきた。


「君か。おはよう」

「あ、お、おはようございますっ」


 当たり前の挨拶になぜかドギマギしてしまう。そういえば、会社での機械的な「オハヨウゴザイマス」以外で、普通に朝の挨拶としてその言葉を聞いたことは久しくなかったかもしれない。


「意外と早起きだな。よく眠れたのか」

「はい、まあ……。天宮さんこそ早起きなんですね」

「いや。軍人だった頃と比べると惰眠をむさぼっているよ」


 そう言って彼は笑った。僅かにはだけた彼の襟元えりもとからは、浅黒い胸板が覗いている。


「おっと、失敬」


 たった一瞬美咲が目を向けただけで、天宮はその視線に気付いたらしく、襟を重ねて胸元を隠していた。


「あ、いえっ」

「だが、君も女子なら、男の姿をそうしげしげと見るものではないぞ。……それに」


 恥ずかしさに口元を覆う美咲に、彼は小さく咳払いしてから言ってくる。


寝間着ねまきのままで人前に出てくるのは宜しくないな」

「えっ。浴衣ダメなんですか」


 この格好の何がダメなのか分からなくても、彼に言われると途端に恥ずかしくなってくる。前がはだけたりしていないのは部屋を出る前に確認済みだったが、美咲は思わず茶羽織の前を引っ張って浴衣の襟元を覆った。


「……大体、この時代の娘さん達の格好は、チョンガーの俺には目に毒だ」

「? チョンガーって?」

「ああ、独身の男のことをそう言うんだ。娑婆しゃばでも使っていた言葉だと思うが、この時代では言わないのか」

「たぶん……。独身だったんですね、天宮さん」


 それだけで何だかホッとしてしまう自分がいる。昔の人というと、今と比べてかなり結婚が早いようなイメージがあったから……。


「あの、天宮さんって、そういえばお幾つなんですか」


 思い切って尋ねてみると、彼は「ふむ」と自分の顎に手を当て、かすかに首を捻って答えた。


「最後に人間だった時はだったかな」

「……えぇ!? わたしより若いじゃないですか!」


 美咲は本気でびっくりして声を裏返らせた。落ち着きといい頼もしさといい、言葉遣いの感じといい、どう考えても自分よりは歳上だと信じ込んでいたからだ。


「ウソでしょぉ、絶対サバ読んでるでしょ。どう見ても二十二歳の落ち着きじゃないもん!」

「それは君が歳の割に幼すぎるだけだろう」


 ざっくりと痛いところを突かれ、う、と美咲は言葉に詰まる。


「まあ、君に限ったことでもないがな……。俺の頃は、二十五といえば嫁に行って子供の二、三人居てもおかしくない歳だった。この時代の人間の生き方に口出しする気はないが、結婚が遅くなればそれだけ子供を産める機会も限られように」

「……ホラ、今と昔じゃ時代が違いますからっ。今は結婚しない人だって多いですし」


 自分は別に、結婚したくなくてせずにいるワケではないんだけど……と。あまり考えると虚しくなりそうだったので、美咲は小さく首を振って話を変えた。


「でも、大尉ってエライんじゃないですか。二十二歳でそれって、ひょっとしてすごいエリートさん?」

「まさか。大尉だいいなんて士官の中でも駆け出しさ。俺の頃は大東亜戦争の末期で、進級も上の世代より早かったしね」

「ダイトーア戦争? って何でしたっけ」


 ぱちっと目をしばたかせて美咲が聞き返すと、彼は今日一番の素を出して「えっ」と目を丸くした。


「大東亜戦争を知らない? 歴史を習ってないのか?」

「な、習いましたよっ。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦なら知ってます!」

「……その第二次世界大戦の内、日本が関わった部分を大東亜戦争と言うんだ」

「へ、へぇー……」


 イケメンが露骨に呆れた顔をしている。美咲は熱くなる顔を手で扇いだ。せめて知っていることを言って、自分がまったくのバカではないことを分かってもらわなければ……。


「アメリカと戦ってたんでしょ? あ、海軍ってことは、戦艦大和とかに乗ってたんですか?」

「いや、俺は航空要員だったからな。乗ってたのは飛行機だよ。零式れいしき艦上戦闘機、俗にゼロ戦と言ったが……流石にこの時代の娘さんは知らんだろうね」

「えっ、知ってますよ、ゼロ戦! なんか有名なやつでしょ? ほら、あの、特攻するやつ!」


 思いのほか知っている言葉が出たのが嬉しくなって、美咲はテンション高く答えたが、天宮は「別に特攻すると決まったわけじゃないが……」と苦笑いを浮かべていた。


「大東亜戦争を知らないお嬢さんがゼロ戦や特攻を知っている。まったくおかしな時代だ」

「だって、映画とかやってましたもん」


 人気の男性アイドルが軍人役を演じていた映画を鮮明に思い出し、美咲は言った。

 ひょっとしてこの天宮も特攻隊だったのだろうか――と一瞬思いかけたところで、ふうっと息を吐いて彼が言ってくる。


「ああ、そういえば、君の行李こうりだがな」

「コーリ?」

「やすらぎていに放置されたままになっていたから、引き上げてきて部屋の前に置いておいたぞ」


 そこで初めて言葉の意味を理解し、美咲は「あっ」と声を上げた。


「スーツケースのことですか!? わっ、ありがとうございます!」

「いや。あの時は咄嗟のことで、俺も君の荷物まで顧みられなかったからな。置き去りは俺の責任でもあるから、礼には及ばん」


 あまりに如才なさすぎる彼の言葉に美咲が思わず息を呑んだところで、空気を一変させるように、屋内からピロリロと電子的なメロディが聞こえてきた。


「米が炊けた合図だ」


 木刀を左手に持ち替え、彼が草履ぞうりを脱いですいっと縁側に上がってくる。


「君は炊飯器というものを使ったことがあるか? ボタン一つで飯が炊けるんだ。便利だぞ」

「……知ってますけど」

「そうか」


 付いてくるよう目で促し、彼は廊下を歩き出した。


「あやかしどもは遅寝おそね遅起おそおきだ。俺達だけで朝飯としよう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る