1-3 あやかし喫茶

 海軍軍人を名乗るイケメン――天宮あまみやに先導され、美咲は夜のアーケード街を歩く。例のアズキというムジナは、「店」とやらに事情を伝えると言って走り去ってしまったため、今は天宮と美咲の二人きりだった。

 美咲に歩調を合わせながらも颯爽と歩く彼の背中は、後ろ姿だけでも男前の雰囲気を漂わせている。本人は「亡霊のようなもの」と言っていたが、身体が透けているようなこともないし、さっき手を掴まれていた時には確かに熱い体温を感じたし、肉体は本物なのだろうか……?


(幽霊ってよりは、タイムスリップ……って感じ?)


 美咲がそんなことを考えていると、ふいに彼が問いかけてきた。


入鹿いるかさんは、新潟に来るのは初めてだったか」

「はっ、はい」


 なんでもない質問なのに思わずビクッとしてしまう。謎のイケメンと急転直下二人きりという状況と、そのイケメンからこの名字を呼ばれることが二重に恥ずかしい。

 イルカ即ちドルフィン、あるいは蘇我そがの何ちゃら。この世に生を受けて二十五年、変な名字だと笑われたことは百回や二百回ではなかった。いっそ下の名前で呼んでくれたらなあと思うが、知り合ったばかりの男性にそんなことを言い出すわけにもいかないし……。

 と、そんな美咲の葛藤をよそに、海軍大尉だいい殿は涼しい声で話を続けてくる。


「この辺りは古町ふるまちというエリアでね。こうしたアーケードが複数密集する商業圏になっている」

「へぇ……。商店街が、ちゃんと商店街してるんですね」


 緊張を紛らすのを兼ねて、美咲は改めて左右に視線を回してみる。居並ぶ店は飲食店や服飾店、雑貨店など様々で、もう店仕舞いをしているところも多いが、何よりこうした商店街が今も生きていること自体が美咲には軽く驚きだった。


「なんか、地方のこういう商店街って、ショッピングモールにお客さん取られてシャッター街になってるイメージでした」


 我ながら失礼な偏見だったかなあと思いながら美咲が言うと、天宮は「ふむ?」と小さく首をかしげた。


「ショッピングモールとは何だ? 百貨店のことか」

「え? あの、ほら、デパートより大衆的で、もっと大きい感じのやつで……」


 説明しかけて、あっと美咲は思い至った。


「そっか、昔の軍人さんだから横文字は知らないんですね」

「いや、それは誤解だ。敵性語の禁止なんてのは民間が勝手にやってたことだよ。海軍は陸さんと比べて英語だらけだったんだぞ」

「あ……そ、そうなんですか」


 真面目な顔で否定され、たちまち顔が熱くなる。言われてみれば、さっきからエリアとかアーケードとか普通に言っていたような……。


「ともかく、二十一世紀ともなれば色々な商業施設があるんだな。シャッター街というのは、潰れた店舗のシャッターばかりが並ぶ街ということか? なかなかウィットに富んだ言い回しをするものだ」

「……いや、あの、わたしが考えたわけじゃないですけどね」


 お堅い軍人さんが「ウィットに富んだ」とか言うんだなあ、と美咲がまたも新鮮な驚きに気を取られていると、天宮は「さて」と足を止めた。


「ここが、俺が世話になっている店だ」


 彼が手で示したのは、レンガ造り風の店構えの建物だった。二階建ての壁面は緑のツタに縦横無尽に取り巻かれ、商店街に立ち並ぶ店舗の中でもひときわ異彩を放っている。

 何の店だろう、と美咲が思ったとき、からんとベルの音とともに扉が開き、中から一人の女性が姿を表した。真っ白な着物と長い黒髪のコントラストが印象的な、ぞっとするほど美しい顔をした細身の女性だった。


「あらぁ。あなたが死にかけのお嬢さん?」


 女性が黒い瞳を美咲に向けてくる。ぞくっとくる冷たさを纏った、それでいて何故か人懐っこさも混じったような、不思議な視線だった。


「え……えと」


 別に死にかけだった訳じゃ……と美咲が言うより先に、隣で天宮が口を開いていた。


「宿無しのようだ。あんたらで話を聞いてやってくれ」


 えっ、と美咲は彼を見た。自分の仕事はここまでだと言わんばかりの、突き放したようなその口振りに、思わず「あなたは聞いてくれないんですか?」と聞き返しそうになる。

 が、落胆しかけた美咲の心を救い上げたのは、誰あろう目の前の女性だった。


「何言ってんの。大尉だいいも一緒に聞いてあげなきゃぁ」

「む……」

「ホラホラ、早く入りなさぁい」


 女性が扉を押さえて手招きする。

 よかった、天宮さんとはここでサヨナラってわけじゃないんだ――とホッとしたのも束の間。店内に足を踏み入れた次の瞬間、美咲はとんでもない光景を目にした。


『あぁ。やっと戻ってきたんさ』


 テーブルの椅子の上にちょこんと座っているのは、タヌキもといムジナのアズキ。それはいい。小動物っぽい外見のモノが人間の言葉を発している驚きは、先程既に味わったものだ。

 問題は、その奥から「やあ」と片手を上げてくる、の存在だった。


「っ……!」


 それは二本の足で立つ大きなタヌキだった。いや、流れからいくと、タヌキではなくムジナということになるのだろうか。

 四つ足の小動物の姿をしたアズキとは違う、信楽焼のあれを思わせる二足歩行の立ち姿。丸々とした身体に赤い羽織を纏い、後ろにはもちろん大きな尻尾が飛び出している。


「この店のあるじ、二十一代目団三郎だんざぶろうむじなら。普通だったらここで可愛い猫又あたりが出てくるのがセオリーなんらろうけど、土地が土地らっけね。ムジナで我慢してほしいんさ」


 その大きなムジナは普通に口を動かして人間の言葉を喋っていた。美咲はこのとき初めて、小さなアズキの方は本当に声帯を震わせて声を出していたのではなく、意識に直接語りかけるような形で人語を発していたことに気付いた。

 本当に喋るのと、人を化かして喋っているように見せかけるのと、どちらが妖怪の術として上等なのかは、美咲には見当もつかないが……。


「……わたし、夢か何か見てます?」


 くらくらする頭を片手で押さえて美咲が問うと、団三郎と名乗った大きなムジナは、はっはっと機嫌良さそうに笑って答えた。


「夢らと思えば夢らし、現実らと思えば現実ら」


 と、そこで、いつの間にか近くの椅子に腰を下ろしていた天宮が、腕組みの姿勢から視線を上げて言う。


「適当なことを言うなよ。あんた達の存在は紛れもなく現実だろう」

「いやぁ、なんか、それっぽく現実感をはぐらかしといた方が、妖怪っぽさに筋が通るらろ?」

「そんな筋など要らん。客人を混乱させてどうする」


 一人と一匹の応酬を横目に見ながら、美咲は何が何だか分からないままに、誰にともなく口にしていた。


「え……何なんですか、ここって」

「何だと思う?」


 問い返してきたのは白い着物の女性だった。こんなことが現実であるはずがないと思いながらも、美咲は思ったままを答える。


「妖怪の溜まり場……?」


 すると、大きなムジナがまた豪快に笑った。


「はっはっ、妖怪の溜まり場とは言い得て妙らな。そう、ここは、あやかしと人間がたむろする茶飲み場。現代風に言えばカフェってやつら」

「カフェ……?」


 言われて見回してみれば、なるほど確かに、そんな感じの内装にも見えるが……。


「そのカフェーという響きがどうも俺は好かん。風俗喫茶ではないのだから、素直に喫茶店と言ったらどうだ」

大尉だいいは古臭くていかんさ。戦前の特殊喫茶カフェーなんて今の人は誰も知らんろ」


 何やら再び言い合う天宮とムジナ。あまりに理解を超えた状況に、美咲はふらりとよろめき、後ろにあった椅子にすとんと腰を落とした。

 着物姿の美人が、ふっと氷の微笑とともに告げる。


「あやかし喫茶、カフェ・ムジーナへようこそ……ってことね」


 ……ああ、ムジナの店だからムジーナなのか、という理解だけは、混乱に飲まれた意識の中でもすっと入ってきた。

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