本編(未完)
1-1 行き当たりばったりガールの受難
行き当たりばったりと言われ続けた
生まれて始めて降り立った新潟の街の一角、真新しい雑居ビルの三階。慌ただしくオフィスの引き払いの作業をする人々を横目に、美咲は「どういうことですか!?」と声を裏返らせた。
「どうもこうも、今言った通りなんだよ」
美咲の前に立つ灰色スーツの男性が、白髪の混じった頭を掻き、困った顔で彼女を見下ろしてくる。
「イケメンズ新潟は解散。今朝、東京の本社からお達しがあったばかりでね。やっぱ地方都市じゃ採算取れないんだってさ。やってられんよねえ、こっちはこっちなりに地元密着で頑張ってきたのにさ」
はぁっと溜息をつく男性。説明半分、愚痴半分のその口調には、中間管理職の悲哀といった感じがありありと滲み出ていたが、今の美咲にはそれを汲み取る余裕もなかった。
「解散……って、メンバーはどうなるんですか!? ヒムカくんは!? カグラくんは!?」
「そんなの知らないよ。まあ、上位クラスは他の支部が引き取るでしょ。ていうかキミ、私が言うのも何だけど、メンバーより自分の心配した方がいいんじゃないの」
男性の言葉に、美咲はハッと我に返る。
「あっ、そうでした! あ、あの、わたしの仕事は!? どうなるんです!?」
「見ての通りだよ。ここの事務所は閉鎖、現地採用のスタッフは全員お役御免。だから、せっかく来てもらって申し訳ないんだけど、仕事はありません。まあ、まだ労働契約も巻いてなかったしね」
「……じゃあ、あの、スタッフ用のアパートに住めるって話は?」
「それも引き払いだよ。元いた子達は個人契約に切り替えて住んでもらえるけど、キミの分までは流石に……」
「そんなぁ……。わたし、もう東京の部屋引き払ってきちゃったんですよ!? 知らない街で一人でどうしろって言うんですか!」
ほとんど掴みかかるくらいの勢いで美咲は男性に詰め寄ったが、相手も困った表情で首を捻るだけだった。
「そんなこと私に言われても。いや、気の毒だとは思うけど……。まあ、ホラ、新潟市だって仮にも百万都市……は盛りすぎか、八十万都市なんだから、探せば何か仕事あるでしょ」
「そんな無責任なっ」
「いいじゃないか、キミなんか若いんだから。おじさんは明日から本社の閑職に逆戻りだよ。頑張ってこの街でグループを育ててきたのになあ……」
はぁ、と、再び切ない男性の溜息。
今にもホワイトアウトしそうな意識の片隅で、自分の置かれた状況を少しずつ認識しながら、美咲は「やってしまった」と後悔を噛み締めていた。
そう。今回もまたやってしまったのだ。
二十五歳になっても未だ収まるところを知らない先走り病。実家の親や周りの友人達をして、天性の行き当たりばったり女と言わしめる美咲の悪癖。
それにしたって、今度ばかりは流石に先走りが過ぎた気がする。
いくら、恋人と仕事を立て続けに失ってショックだったからって。
いくら、イケメンズ新潟の現場スタッフの求人情報がタイミングよくネットに出ていたからって。
いくら、来週からでもすぐに来てくださいと電話で言ってもらえたからって。
憧れのイケメンアイドルの傍で働くのもいいかという思いだけで、住むところまで手放して、知らない街に来てしまうなんて――。
「まあ、ごめんね、そういうことなんで、キミも気を取り直して頑張ってよ。東京に帰るでも、この街で生きてくでもさ」
「……はぁ」
男性の励ましの言葉が真綿のように美咲の心を締め付ける。この街でイケメンズの運営を仕切り続けてきたらしきそのおじさんは、こちらの思いを知ってか知らずか、別れ際、寂しさの滲む顔で美咲にこんなことを言ってきた。
「イケメンズ新潟を好きになってくれて、ありがとうね」
「……こちらこそ、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて、美咲はビルを出た。
生温い秋風が肌を撫ぜる。力なく肩を落としたまま、からからとスーツケースを引いて、美咲は知らない街の雑踏を歩いた。街を貫く
「……わたし、どうしたらいいんだろ」
美咲の呟きに答える者は、もう誰もいない。
いつしか彼女は、川辺の広場のベンチにひとり腰を下ろし、夕闇に染まりゆく西の空をぼんやりと眺めていた。
この場所はイケメンズ新潟のMVで見たことがあるような気がする。確か「やすらぎ
(……なんで、こんな所まで来ちゃったんだろ)
知らない街にただ一人。今から東京に戻ったところで、アパートを借り直すお金ももうない。
さしあたり、今夜はこの街でどこか安いビジネスホテルにでも泊まって……明日は。明日はどうしたらいいのだろう。
この街に居ても、仕事のアテはもうないし。
この街に来る理由だったイケメンズ新潟も、もう無くなってしまったのに。
(……なんだか、もう)
生きててもしょうがないか――、と。
見えない何かに吸い寄せられるように、ふらりとベンチから立ち上がり、美咲は川に向かって踏み出していた。
夕暮れが夜闇に変わる
この川の流れに身を委ねれば、もう何も考えなくて済む――
「待てっ!」
ふいに誰かの声が鼓膜を叩き、美咲の意識は現実に引き戻された。
「っ!?」
あと一歩で川に落ちるところまで踏み出していたことに気付き、美咲の背筋にぞわっと寒気が走る。
(わたし、今、何を――)
慌てて後ずさったとき、がしりと彼女の手首を掴んでくる者があった。
「えっ!?」
「逃げるぞ。ここは危ない」
硬質な男の声だった。美咲が反射的に振り返ったときには、その何者かは早くも彼女の腕を引いて走り出していた。
「ちょ、ちょっと、何ですか!?」
声より先に足が動いた。混乱する意識の中、ただ一つ本能で察したのは――この人の言う通り、この場所から逃げなければ命がヤバそうだということ。
得体の知れない何かが。何かとても暗く冷たいものが、美咲を川に誘い込もうと後ろから追ってくるような気がする。その流れに飲まれれば最後、自分はきっと、死の淵に引き込まれて――。
「や、やだ! 死にたくない!」
美咲が無意識に叫んだその一言に、手を引く何者かは、微かに笑ったように思えた。
「そうだ。生きてさえいれば、どうとでもなる」
力強く美咲の手首を握って走りながら、彼が初めて振り向いてくる。
それは若い男だった。整った顔立ちに、力強い目つき。短く切り揃えられた黒い頭髪。細身だが筋肉質の体つきに、白いジャケットをぴしりと着こなしている。
(この人……一体……!?)
イケメンズの
後にカフェ・ムジーナの名物カップルと言われる二人の、初めての出会いの瞬間だった。
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