第7話 カッパの飲み会

「弁護士……」


 白山の名乗りを受け、テーブルのカッパ達がざわめく。中でも真っ先に身を乗り出したのは、ボロい学ランのようなものを羽織り、水泳用のゴーグルで両目を覆った一人のカッパだった。


「サンちゃん、本当に弁護士さん連れてきたんかよ」

「おうよ、ゴロちゃんのおかげっす。聞いて驚け、この白山センセは、対ブラック企業の最終兵器と呼ばれる程のお方っす」


 三太郎の引いた椅子に白山が腰を下ろすと、近くのカッパ達がおそれるように少し身を引いた。お姉さんもどうぞ、と三太郎が白山の隣の椅子を引くので、志津もおずおずとそこに座った。

 白山がスーツの裏ポケットから例の妖怪官報を取り出し、テーブルに置く。


「君かね? この官報を彼に持たせたのは」


 問われると、ゴーグル付きのカッパは頷くかわりに首を上下させた。


「そうです、そうです。僕、五郎丸ごろうまると言いまして、サンちゃんとはタメでして。しかし、本当に人間の弁護士先生がいらして下さるなんて……」


 黄色いクチバシをぱくぱくとさせて彼は言う。そこへ、幽霊らしき女将がすうっと音もなくテーブルに寄ってきて、突き出しと思しき小皿をことりと白山と志津の前に置いた。


「生きた人間のお客様がいらっしゃるのは久しぶりねえ。飲まれますか?」

「いや、車で来ているゆえ、アイスミルクがあれば頂きたい」

「変わったものを飲まれるのねえ。お嬢さんは?」


 白山の適応能力の高さに驚かされながら、志津はウーロン茶を頼んだ。女将の足元に思わず目をやると、やはり足首から先は煙のように空気と溶け合っていた。

 志津の視線に気付いたのか、女将がにやりと笑う。


「ご安心くださいね。ウチで出すものは全部、人間のお店から仕入れてるのよ。だけど、おあしは頂きません、幽霊だけにね」

「は、はぁ……」


 女将がすうっとカウンターの中に戻ると、いつの間にかカッパの姿に戻っていた三太郎が、ケロっと鳴いて言った。


「あの女将さん、死んだ旦那さんの隠し財産がたんまりあるとかで、タダで俺っちに飲み食いさせてくれてるんっすよ」

「へ、へえ」

「その分、俺っちも店の修繕を手伝ったりとか、できるときに色々お返ししてるんっす」

「なるほどな。労働の対価をキュウリで支払われているという君達が、どうやって貨幣経済に参画しているのか不思議だったが……」


 志津が突き出しのキンピラゴボウを見て、本当に食べても大丈夫だろうかと首を捻っている横で、白山は腕を組んで何やら深い考察を始めていた。


「だが、仕入先とこの店の関係はどうなっているのだ……? この店も女将も普通の人間には視認できないのだとしたら、仕入先とはどう付き合っている……?」

「その辺はなんか、不思議な力でなんとなく帳尻が合ってるらしいっす」


 三太郎が言ったところで、女将がアイスミルクとウーロン茶のグラスをテーブルに置いた。


「ごゆっくり」

「……じゃあ、皆、ご足労くださった白山センセに乾杯しましょうっす!」


 三太郎の呼びかけに、ゴーグルの五郎丸をはじめ、他のカッパ達も各々のグラスを手に取った。やはり弁護士という存在を目の前にしてかしこまっているのか、ほとんどのカッパはまだどこか緊張したような顔で、一歩引いた姿勢で白山を見ているようだったが……。


(カッパって意外と表情わかりやすいなあ……)


 そんなことを思いながら、志津も自分のウーロン茶を手に取る。

 ひとまずの乾杯を終え、アイスミルクに口を付けてから、白山はグラスを置き、三太郎と五郎丸に視線を回して言った。


「その、『なんとなく帳尻が合っている』という部分の詳細を聞きたい。千曲ちくま工務店というのは人間の役所に登記とうきされている会社なのか? 法的措置を取るとしたらその管轄はどこになる? 妖怪最高裁なるものがあるようだが、下級裁判所も妖怪専用のものがあるのか?」

「えーと、それはですね」


 ゴーグルにくいっと指を当て、五郎丸がクチバシを開く。……ああ、あのゴーグルって眼鏡なのか、と志津はカッパ文化への理解を僅かに深めた。


「千曲工務店は水神様の会社で、従業員も皆妖怪なんで、人間用の登録はしてないんですけど……人間様の目に触れる部分では、人間の会社に見えるようになってるっていうか……。騙してると言ったら聞こえは悪いですけど、不思議な力で調和が保たれてる感じなんです」

「ふむ? では人間の役所に登記はされてないのか」

「ないはずです。でも、人間の役人さんが調べようとすると、登記されてるみたいに見えるっていうか」

「……まるで魔法だな」

「まあ、人間様が社会の仕組みを作るよりも前から、自然の力で人と妖怪のバランスは保たれてましたからねえ。その延長みたいなもんじゃないですかね」

「ふむ……」


 白山は顎に手を当てて唸っている。説明する五郎丸自身も、何から何まで理解しているようではないらしく、白山と一緒になってゲロゲロと小さく唸っている有様だった。


「ハリーポッターの魔法界みたいなものかしらねえ」


 とりあえず思いついたことを志津は呟いてみる。誰も特に反応してくれないのが少し寂しい。


「それで、裁判の管轄はどうなっているのかね?」

「裁判所は妖怪専用のがあります。十年くらい前に出来たばかりなんですけどね。それまでは、昔ながらのお白洲しらすで裁きをやってたんですが、流石に時代に合わないってことになって、人間様に倣った裁判の仕組みがやっと整えられたんです」

「ほう。妖怪の世界にも近代化の波が来たというわけか」

「でも、裁判官はまだ妖怪じゃ務まらないんで、元裁判官の幽霊様にお出まし頂いてるんです」

「なるほど。意思疎通しやすくて有難いな……。しかし、その分だと労基署ろうきしょなどはまだ未整備なのだろうな」

「ロウキショ? って何ですか?」

「労働基準監督署といって、労働問題の警察のような機関が人間界にはあるのだ。……ちなみに警察はあるのかね?」

「犯罪の取り締まりは、天狗てんぐ様の警察がやってます。まあ、お世話になることは基本ないですけどね」

「……ふむ。大体のことは理解した」


 白山がアイスミルクを飲んで一息ついたところで、テーブルの向かいに座っていた一人のカッパが、「あのよぉ」と口を挟んできた。


「やっぱ、やめといた方がいいんじゃねえか? 弁護士様まで入れて水神様に楯突くなんてよ」


 カッパ達の目が一斉に彼に向く。彼はまだ少し白山に遠慮するような態度も見せながら、それでも三太郎と五郎丸に向かって言うのだった。


「人間様のルールを、何もかも俺達に当てはめていいってもんじゃねえだろよ。水神様の怒りを買っちまったらよ、干上がって困るのは俺達だぜ」


 どこか諦めを込めたような彼の言葉に、まだ発言していなかったカッパ達も小さく頷くのを志津は見逃さなかった。

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