第6話 妖怪の住む町

 カッパの三太郎の案内に沿って白山が車を停めたのは、川にかかる小規模な橋梁きょうりょう工事の現場だった。

 白山が真っ先に車を降りたので、志津も這い出るようにして狭い後部座席から脱出した。先に三太郎が言っていた通り、今日は工事は休みであるらしく、周囲に人影はなかった。


「ふむ。老朽化した橋の修繕をしているのか。許可票は普通の会社のものと変わらんな……」


 白山の視線は現場に立つ白い看板に向けられていた。志津も横からそれを眺めてみる。看板の一番上には「建設業の許可票」と印字され、「商号又は名称」「代表者の氏名」に続き、許可番号やその他諸々の項目が並んでいた。

 確か、工事現場には必ずこういう看板が掲げられているのだったか?


「有限会社千曲ちくま工務店……。代表者、水上みなかみ竜一りゅういち……?」


 何とはなしに志津が声に出して読み上げると、ケロっと鳴いて三太郎が言った。


「それが今の代の水神すいじん様、社長っす」

「人間ではないのだな?」


 白山が質問を差し挟む。


「人間じゃないっすよ。神様っていうと大袈裟っすけど、まあ、なんつうか、俺っちよりエライ妖怪みたいなもんっす」

「そのエライ妖怪が、現実に役所に届け出て会社を設立しているのか? 有限会社ということは、2006年以前に作られた会社のようだが……」

「すいません、そのへん、難しいことは俺っちにはわかんねえっす。でも会社は本当にあって、こうやって工事をして、俺っちも給料がわりのキュウリを貰ってるっすよ」

「ううむ……。そのあたり、実態が把握できんことには動きづらいな……」


 弁護士が腕を組んで唸っていると、カッパは何かいいことを思いついた様子で、ぽんと手を打って「そうっす」と声を上げた。


「今夜、会社の、歳の近い連中だけで飲み会があるんっす。俺っち、今日はそれどころじゃないってんで参加しないつもりだったんすけど、白山センセも一緒にそこに来たらいいっす。ほら、官報を持たせてくれたダチも来るっすから、色々聞いたらいいっす。あいつ、妖怪高校を出てて頭いいっすから」

「ふむ……。では、お互い明日の仕事に差し支えない範囲でなら、邪魔させてもらうとしようか」


 ここでも白山は即決即断だった。志津もここまできたら乗りかかった船だと思い、一緒にその場に参加させてもらうことにした。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「この店、夜だけここに現れるんっすよ。なんか普通の人間には見えないらしいっす」


 カッパの飲み会というから、下手したら川辺で野外ではないかとヒヤヒヤしていたが、日が暮れて三太郎が案内してくれたのは意外にも普通の店構えの居酒屋だった。もっとも、彼の今の説明を聞く限りでは、とうてい普通の店ではないようだったが。

 入口に掛けられた赤い暖簾のれんには、白い文字で「ひとだま」と書かれている。


「ふむ、人間に見えない店がなぜ俺には見えているのだ? シーズー君は犬だから別かもしれんが……」

「えっ、お姉さん、犬だったんすか!?」

「人間ですよ! つまらない冗談やめてください!」


 自分だって狼を名乗っているくせに、と志津が憤慨するのをよそに、白山は雑居ビルの一階に位置するその店の入り口をしげしげと観察していた。


「なんか、妖怪と一度行き合った時点で、こういうのも見える体質になっちゃうらしいっすよ」

「興味深いな。今後は俺一人で居るときでもこの店が見えるということかね?」

「たぶん、そうじゃないっすかねえ。お姉さんも」

「えぇー……」


 世の中には霊感体質の人というのが居るとか聞いたことはあるが。このカッパを一度認識しただけで、妖怪の世界が全部見えるようになってしまったのだとしたら、なんだかとんでもない体質にされてしまったなという感が否めない。


「まあ、とにかく入ってみるとしよう」

「もうみんな来てるはずっす」


 からりと引き戸を開け、暖簾のれんをくぐって、三太郎と白山が中へ入っていく。志津も慌てて二人の後を追った。

 店構えと同じく、中はごく普通の居酒屋という風情だったが……


「いらっしゃぁい」


 カウンターの中から声をかけてくる女将おかみにぺこりと目礼した直後、志津は気付いた。年の頃なら四十代から五十代くらいだろうか、目元のシワを白い化粧で隠していると思しきその女将の顔の横に、ふわふわと青白いヒトダマが浮いていることに。


「ひっ……!」


 当人の手前、悲鳴を上げるのも失礼と思ってなんとか声を抑えたが、ひやりとした悪寒が身体を包んで離れない。だって、あの女将の纏っている空気、あれはどう見ても生きた人間ではなく……。


(ゆ、幽霊……?)


 思わず白山の背中を見やると、彼は特に動じる様子もなく、三太郎に案内されるがままツカツカと店の奥に踏み入っていた。

 二人の背中の向こうに見える光景に、志津はまた仰天して叫びそうになった。三太郎が事務所で一瞬明かしてみせた正体……緑の肌を持つカッパが、その上に思い思いの服を着て、五、六人ほどでテーブルを囲んでいるのである。


「あれ、サンちゃん、おめー来ないって言ってなかったっけ?」

「そちらのお方は人間様かよ?」


 愛嬌のある目をぱちぱちとさせて、テーブルのカッパ達が口々に三太郎に声を掛ける。志津がひとまず白山の後ろに追い付いたところで、三太郎が二人を仲間達に紹介した。


「こちら、弁護士の白山センセと、作家センセのシーズーさんっす」

「……いや、あの、シーズーじゃなくて不動志津って名前があるんですけどね……?」


 異常な状況に頭がついていかなくても、とりあえずそのツッコミだけは口をついて出た。


「弁護士の白山白狼という者だ。こちらの三太郎氏の依頼を受任しようと思い、ここに来たのだが……」


 白ずくめの弁護士がそう名乗ると、テーブルを囲むカッパ達の空気が、ざわざわと一変した。

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