第5話 現地調査は即決即断
それから三太郎青年が語ったところによると、彼の
文明と隔絶された山の中とかならともかく、そんな町中で妖怪が会社を営んでいるなんてとても信じられないが……。志津がそう思っていると、白山は「ふむ」と頷いて言った。
「幸い、今日は他に来客の予定もないのでな。早速その町に行ってみるとしようか」
えっ、と思わず志津は彼の顔を見やる。この弁護士の即決即断主義は今に始まったことではないが、まさかその日の内に妖怪の世界に乗り込もうと言うのか?
そんな彼の発言に目を丸くしたのは、志津だけではなかった。
「お忙しい弁護士センセが、俺っちの町にご足労いただけるんっすか?」
唇を突き出して三太郎が聞き返している。白山は細い指で白ブチ眼鏡をくいと直してから、言葉を続けた。
「俺はこの目で見たものしか信用できない主義でね。それに、労働事件は時間との勝負だ。争うにせよ、どうするにせよ、準備は早いに越したことはない」
彼はそう言って立ち上がると、志津を見下ろしてきた。
「シーズー君、君も付いてくるかね? 帰りが定時を超えた場合はもちろん残業代を支払うが」
「はぁ」
いざ問われてみると、ほとんど迷う余地はなかった。
「……いや、まあ、残業代はいいですよ。業務じゃなくて小説の取材のつもりでご一緒させてもらいます」
間違ってもこんな現実離れした話を小説のネタには出来ないだろうが、志津は残業代の受給を辞退する方便としてとりあえずそう言っておくことにした。ホワイトウルフ法律事務所は文字通りのスーパーホワイト、残業代は1分単位で出るのだが(白山曰く「本来それが当然なのだ」)、そんなホワイト配慮も行き過ぎると却って申し訳なくなるというものだ。
「ふむ。では行こう」
白山に促され、志津は三太郎青年と目を見合わせてから立ち上がった。彼がまだ「そこまでしてくれるなんて」と言いたげな顔をしていたので、志津は小さく息を吐いて、「あの人はいつもこうなんですよ」と解説しておいた。
「ミドリさん、我々は現地調査に出てくる。時間になったら電話を留守電に入れて退勤してくれたまえ」
「はいはい。お気をつけて」
ブースの中のやりとりがどこまで聞こえていたのかはわからないが、ミドリさんはもう慣れたもののようで、少しだけ顔を上げて手を振っただけだった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
白山の愛車、純白のイタリア産クーペが法定速度を律儀に守って高速道路を飛ばす。志津はその狭い後部座席に身体を押し込め、車窓を流れる代わり映えのしない景色を眺めながら、そういえばこの車のことを「前作」には出していなかったなあ、と呟いた。
獲物に喰らいつく狼のような迫力を湛えた、いかにも白山白狼の乗機という印象漂うこの車。折角のわかりやすいアイテムなのに、この車に関する描写を志津が本文に書いたのは、他の職業小説の登場人物と協力して事件に挑む番外編と、一昨年のクリスマスの時期に合わせた
「何っすか? 前作って」
カッパというのは耳がいいのだろうか、助手席に座る三太郎がぎょろりと振り向いて志津に尋ねてくる。
「わたし、白山さんの活躍を小説にして出してるんですよ」
「へぇぇ、すごいっすね、お姉さん! じゃあ本の印税で贅沢三昧っすか」
「……いやあ、全然……」
志津が溜息とともに答えると、カッパもカッパなりに何かを察してくれたのか、それ以上突っ込んで聞いてくることはなかった。
一冊や二冊本を出したくらいでは、到底、専業作家として食っていくことなどできない……というのは、まあ、この世界を知らない人には往々にして理解されていないことではある。
「彼女の小説は、我がホワイトウルフ法律事務所の活躍を世に知らしめる広告塔の役割を果たしてくれているわけだ。実に素晴らしいことだよ。正しき法意識の
「……どうせ草の根ですよ」
「どんな大作家とて始まりはそんなものだ。ベストセラー、実写化、直木賞を目指して今後も是非頑張ってくれたまえ」
この弁護士は恐れ多いことを平然と言うから怖い。
(……まずは年三冊くらいコンスタントに出すのが目標だなあ)
今の自分が口にしてもギリギリ許されそうな、現実的な目標ラインを志津が思い描いたところで、車は料金所を通過して下道へと入った。
カッパ達の勤める工務店があるという、人間の人口数万人の小さな町。そこで白山と志津を待ち受けているものとは……。
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