第3話 カッパ(本物)の来訪

 問題の依頼者は、約束の時間のきっかり10分前にホワイトウルフ法律事務所のブザーを鳴らした。

 例によって所長の白山自身が真っ先に依頼者を出迎え、真っ白なパーテーションで囲まれた相談ブースへと招き入れる。志津はミドリさんに断って席を立つと、依頼者のコーヒーを淹れに出てくる白山とすれ違う形で、ノートを手に相談ブースに入った。

 テーブルの傍に立っていたのは、パーカーのようなものを雑に着こなした若い青年だった。室内でもフードをかぶりっぱなしなのが一瞬気になったが、まあ、ウチの弁護士もたいがい常識的な格好とは言えないので、そこは見て見ぬふりをしておくことにした。


「どうぞ、お掛けください。白山はすぐ参りますので」


 志津は椅子を手で示したが、依頼者の青年は「イヤイヤ」と両手を広げて固辞してきた。


「俺っちみたいなモンが、弁護士センセより先に座るわけにはいかねえっす」

「俺っち……?」


 随分と変な喋り方をする青年だな、と志津は思った。もちろん、その感想を顔に出すわけにはいかないが……。

 猫背の目立つ彼は、手持ち無沙汰そうに身体の前で手をすり合わせながら、ぎょろりと丸い目できょろきょろと周囲を見回していた。やはり緊張しているのだろうか。法律事務所というところに初めて足を踏み入れる相談者は、えてしてこのような態度を見せることも多い。


「お待たせした」


 真っ白いスーツに真っ白いネクタイ、白ブチ眼鏡に白い歯を見せて、我らがホワイトウルフが相談ブースに戻ってきた。依頼者の前に置かれた真っ白なマグカップには、そこだけ色指定をミスったような漆黒のコーヒーが湯気を立てている。


「労働者の生命・権利・財産を守る白亜はくあのシェルターにして、ブラック企業を爆撃殲滅せんめつする正義のミサイル基地、ホワイトウルフ法律事務所への来訪を心より歓迎する。……さあ、座って楽にしたまえ」

「は、はぁ、どうぞ、宜しくお願いするっす」


 白山に促され、依頼者はやっと席に着いた。志津も白山の隣の椅子に腰を下ろし、ノートを広げる。依頼者の彼は、自分の前に置かれたコーヒーと白山の顔、そして志津の顔を不思議そうに見ていた。


「なぜ弁護士がコーヒーを淹れに行ったのか? という顔をしているな。ここに女性事務員がいるにも関わらず、なぜ、と」

「……はぁ、そっすね、何でなんすか」

「決まっている、それは彼女の業務範囲ではないからだ。女性だから、事務員だから、客人の給仕までしなければならない――その認識こそが、我が国に巣食う古き悪しき身分意識の賜物たまものなのだよ。我がホワイトウルフ法律事務所では、誓って従業員に業務範囲外の雑用を押し付けることなどない」

「へぇ……。凄いっすね」


 青年は元々丸い目をさらに丸くしていた。この事務所を訪れる相談者の多くは、最初にこの演説を聞かされて、白山を普通の弁護士ではないと理解する。かつての志津もその一人だった。


「さて。早速だが、何があったのか聞かせてくれないかね。河辺かわべ弁護士の紹介でここに来たとのことだが」


 白山は組んでいた腕をほどき、テーブルの上で横に広げてみせた。白スーツの下襟ラペルの弁護士バッジが、照明を受けてきらりと金色に輝く。


「あー、えっとぉ。名乗るのが遅くなって、すんませんっす。自分は、千曲ちくま工務店ってトコで働いてます、河童カッパ三太郎さんたろうってモンっす」


 青年は顔の角度を変えず、ひょこりと首ごと前に出すような変なお辞儀をした。

 彼の名乗りがよく聞き取れなかった気がして、志津はぱちりと目をしばたかせる。……カッパの、とか言わなかったか? いやいや、さすがにそれは自分の聞き間違いで、カバノとかカワノとか、名字を言ったのだろうか。

 だが、彼の名乗りが聞き取れなかったのは、我らが辣腕らつわん弁護士も同じらしかった。


「……失礼、なに三太郎さんかね?」

「あ、カッパの三太郎っす。人間みたいな名字は特にないんで、皆は俺っちのこと、ギョロ目の三太郎とか呼ぶっす」


 しいん、と冷たい沈黙が一同を包む。


「……勤め先は工務店と言われたか。寡聞かぶんにして存じないのだが、『カッパ』というのは何か、そちらの業界の符丁のようなものかね」

「えっ、知らないっすか、カッパ。結構有名な妖怪だと思ってたんすけどねえ」


 青年は口を尖らせ、頭を掻くような仕草を見せたかと思うと、そっと椅子を引いて立ち上がった。


「まあ、なんつーか……こういうモンっす、自分」


 頭を覆っていたフードを取り払うと、そこに現れたのは――

 その瞬間、今の今まで人間の目鼻が付いていた彼の顔面が、さあっと緑色の肌に変わり――


「ぎええぇぇっ!」


 悲鳴を上げてすっ転んだ志津の眼前に、は立っていた。

 どこか愛嬌を感じさせるぎょろりとした目に、黄色いクチバシ、緑の肌、背中の甲羅。ケロ、と一声鳴いて自らの頬を掻く、その指の付け根には大きな水掻みずかき。


「か……かっ、かっぱ」

「シーズーくん。嫁入り前の娘がなんという声を出すのだ……」


 白山が呆れた顔をこちらに向けてくるが、志津からすれば、彼がこの状況に大して動じていないことの方が不可解だった。


「だ、だって、カッパですよ、カッパ!?」


 ブース内で尻餅を付いたまま、がたがたと震える手で志津がを指差していると、


「あぁ、なんか、嬉しいっすねえ。人間様に驚いてもらえるのって、わりと妖怪冥利みょうりに尽きるっていうか、なんて言うんすか? マジ感動っす」


 当のカッパはわけのわからない理由で喜びながら、「さて」と再び人間の姿に戻り、白山に向き直っていた。


「でも、今日は驚かしに来たわけじゃないっす。白山センセはブラック企業との戦いにかけては日本一と聞いたっす。俺っち、センセに助けてほしいんっすよ」


 カッパ青年はまた顔を突き出す変なお辞儀をした。皿の水がこぼれないようにそうしているのだな、と、志津にもようやくわかった。


「ふむ。冗談の類ではなさそうだな……」


 白山は真面目な顔で腕を組んでいる。その眼鏡がきらりと白く光ったように見えた。

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