chapter 2. 新京の風

 大深度リニア地下高速鉄道エクスプレス本州あきつしまを北上すること1時間足らず。ミナトが初めて降り立つ新京のリニア駅は、あらたなみやこという漢字のイメージに反し、阪京や中京のステーションとは比べ物にならないほど閑散としていた。

 まばらに車両から吐き出される民間人の群れを横目に、ミナトは手形ビザがわりのIDをかざして公務用の関所ゲートをくぐり、預けていた光刀かたなを受け取った。他に持ってきた荷物は小さめのトランク一つ分だけだ。官舎での彼の生活を囲んでいたものは、そのほとんどが幕府おかみの備品で、個人としての所有物は皆無と言ってよかった。


『ようこそ、新京第五首都フィフス・キャピタルへ! みんなのアイドル・ヒナヒナが、あなたのお越しを歓迎します!』


 地上に上がってすぐの電網掲示サイネージの中では、この街の芸妓アイドルなのか何なのか、太陽の模様を散りばめた衣装ワンピースを纏った少女がミナトに明るい笑顔を向けていた。だが、その子が画面の中で振りまく陽光の笑顔もむなしく、ミナトが初めて見上げる新京の空はどこか息の詰まるような灰色の雲に覆われ、春だというのに肌寒い風が半裃はんかみしも越しに彼の肌を刺していた。今日がたまたま自然天の日なのか、それともこの街には天候規制自体が存在しないのか、ミナトの通り一遍の知識ではどうにも判断がつかなかった。

 ミナトは駅前の無人エアタクシーに乗り込み、新たな職場となる新京検察庁を目指した。AIがひとりでに経路を選択し、車は大きな川沿いの道を進んでいく。新京の街を貫き、監獄島アルカトラズの浮かぶ海へと果てるいにしえからの大河だ。


「……人殺しにはお似合いか」


 裁きを受けるかわりに送られたのが、海の果てに監獄島アルカトラズを望む街とは、何とも皮肉な話だ。そんな自嘲を込めてミナトが呟いた独り言は、車のAIに拾われることなく、窓の外に融けて消えた。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「キミが伊吹いぶきミナト君か。よく来てくれた!」


 城門ゲートでの身分証明を済ませ、合同城舎じょうしゃのエントランスに足を踏み入れようとしたところで、ミナトにまっすぐ声を掛けてくる者があった。

 真紅のかみしもを纏ってミナトの眼前に仁王立ちする、身の丈165センチ程の痩身そうしん。その姿を直視してミナトは思わず目をしばたかせた。新入りを迎えるためにわざわざ入口まで降りてきてくれたのもさることながら、豪放ごうほう磊落らいらくに笑ったその上官が、艶やかな黒髪を冷たい風にたなびかせた、紛うことなきであったからだ。


「新京検察庁刑事局長の羽切はぎりたえだ。ヨロシク頼む。……お? なんだ、キミ、面白い顔をしているな。局長が女では不満かね?」


 ハキハキとした発音と淀みない早口を両立させた彼女は、ミナトが固まってまばたきをしている間にたちまちそれだけの言葉を並べてきた。無礼に思い至り、ミナトは慌てて首を横に振る。


「いえ、決してそんなことは」

「いいよ、いいよ。かしこまるな。珍しいのは事実だ。わたしのような若い女が前線に居るのはな」


 彼女が髪に風を含ませながらミナトに一歩近付いてくると、その腰に差した白鞘の光刀かたながかちゃりと音を立てた。


「陰陽の調和を司る検察われわれの仕事にはこそが大事だとわたしは信じて疑わないのだが、第一首都ファースト・キャピタルのお偉方は22世紀も近いというのに頭が固くてね。まあ、東京で席次を上げて彼らに疎まれるくらいなら、新京ここの方がわたしには幾分か居心地がいい。うるさい連中の目を気にせず、存分に力を振るえるからな」

「……」


 上官の長台詞にミナトは黙って頷きを返した。随分と自信家なのだな、と思わないでもないが、無論、階級が全てのこの世界でそんなことはおくびにも出せない。

 羽切はぎりと名乗ったその女局長ボスは、何やら機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら、ミナトをエレベーターホールへといざなった。


「ちなみに、わたしの下の名前な、今時珍しく漢字表記があるんだ。親がみょうに凝っていてね。そう、今わたしが言った『妙に』という言葉がそれだ――珍妙、奇妙のみょうと書いてタエと読む。風流な名前だろう」


 エレベーターを待つ僅かな間に、彼女はまたつらつらと流れるように言葉を並べてきた。脳内で漢字を思い浮かべ、ミナトは答える。


「『たえなる調べ』のたえですね」

「ほう? 見かけによらず文武両道のようだね。素晴らしい」


 頭一つ分ほど背の高いミナトの肩を器用にぽんと叩いて、羽切たえは続けた。


「名が人を作るなどと言う。キミがこの街に来たのも神仏しんぶつの巡り合わせだろう。ミナト――おかと海、人と人を繋ぐその名、水都・新京にはまこと相応しい」

「……恐縮です」


 自分の名をそのように褒められた経験などなく、ミナトはどう喜んでいいのか分からなかった。

 程なくしてエレベーターが着き、たえに先導されてミナトはそれに乗り込んだ。エレベーターの筺体は全面が透過スクリーンになっており、城舎の外の景色をそのまま映していた。妙は腰に差した長い光刀かたなの角度を片手で器用に変え、それが筺体の内壁に当たることを防いでいた。


「随分と長い光刀かたなをお持ちなんですね」


 彼女の身の丈にそぐわない光刀の長さが気になり、ミナトは思わず尋ねていた。気を悪くするふうもなく、女局長はふふんと胸を張って答えた。


「我が魂の写し身、霊刀『白秋はくしゅう』だ。その剣閃は大道だいどう千里を走り、その白刃はくじん白虎びゃっこの牙の如くあやかしを砕く――まあ、奉職以来、一度も現場で抜いたことはないんだがね。半ばハッタリさ。検察われわれの仕事は警察と同様、外道の者どもに舐められたら終わりだからな」


 水都・新京の守り手ならば白虎よりも青龍ではないのか、と聞きたくなる気持ちをぐっと抑え、ミナトは「はい」と頷いた。先程の口ぶりから、彼女が元々新京ここの出自ではないことは察せられる。


「聞いたところによれば、キミ、随分と腕が立つそうじゃないか。期待しているぞ」

「……はい」


 彼女の言葉に虚飾やお世辞が無いことは、ここまでの僅かなやりとりで何となく分かっていた。この人は本当に自分に期待してくれているのだろう。……なればこそ、ミナトは後ろめたさを隠すのが辛かった。自分のこの手は、もはや社会正義を遂行する手ではなく、命ある者を直接に殺めた手なのだ。

 だが、 阪京の局長ボスに一蹴されたその「殺人容疑」をここで再び自供することは、今朝まで自分の上官だった彼の顔に泥を塗ることにも繋がる。ゆえに、羽切妙には何も言うべきではない。ミナトの頭はそう判断していたが、心は張り裂けそうに痛かった。

 自分は、本当なら、もう検事で居るべき人間ではない――。


「さて。気の利いた自己紹介を考えてくれていたのなら悪いが――見ての通り、キミの同僚達は皆出払っていてね」


 地上48階の検察オフィスに足を踏み入れるや否や、妙はそう言って首をすくめてみせた。彼女の言う通り、広々とした執務室には人気ひとけはなく、軽作業用のヒューマノイド数体が部屋の一角に待機モードで立っているだけだった。


「聞いているかもしれないが、新京の公儀こうぎは検察に限らずどこも人手不足だ。捜査と公判で担当を分ける余裕などある筈もなく、皆、補充捜査や公判に出ずっぱりだよ。キミにもいずれ両刀使いになってもらうことになる」

「はい」


 ミナトは妙に誘導されるがまま、自分に割り当てられた執務机の前に立ち、生体認証バイオメトリクスの登録を済ませた。これで、この机上の卓上端末インターフェースはミナトを持ち主として認識したことになる。


「よし、今日のキミの仕事は終わりだ。長旅で疲れたろう、今日はに戻って休むといい」

「えっ?」


 ミナトは思わず間の抜けた声を出してしまった。妙の言葉は二重の驚きをはらんでいた。一つは勿論、これだけでもう帰っていいと言われたこと。そしてもう一つは、に戻れと言われたことだ。物心つく頃から公の官舎ドミトリーにしか住んだことのないミナトにとって、それは己の人生から随分と遠い単語であるように思えた。


「僕の住まいは官舎ではないんですか」

「ん? だが、キミ、この街に実家があるんだろう。一人暮らしのには先程連絡したが、キミの帰郷を嬉しがっていたぞ」

「……はい!?」


 ミナトは今度こそ声を上げて驚いた。何かの聞き間違いではないかと思った。生まれてこの方、自分に妹が居るなどという話は聞いたことがなかったのだから。


「……ふむ。キミの親族関係に特殊な事情があったのは察せられるが、今、キミの実家に住んでいるのが、キミの父君ちちぎみの息女――即ちキミの妹であることに間違いはない。可愛らしいじゃないか」


 そう言って、妙は手元の携帯端末からミナトの端末に何かのデータを送ってきた。ミナトが絶句したままそれを開いてみると、そこには高校生くらいの女子の個人情報パーソナルデータが映し出されていた。


YUKAユカ IBUKIイブキ……」


 ミナトと同じく、漢字表記はない。

 伊吹いぶきユカ。それが、画面の中で屈託のない笑顔を見せるツインテールの少女――初めて見るミナトの「妹」の名であるらしかった。

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