『SHUTEN-DOJI ~逆襲の鬼神~』本編(未完)

chapter 1. 殺害の感触

 ――僕が殺した――


 まだらに塗り潰された記憶の中、眼前に迫るのは異形いぎょうの爪。

 摩天楼も眠る丑三つ時ミッドナイト、月明かりも差さぬ闇夜の裏路地バックアレー。和洋折衷せっちゅう装束ドレスの前を無残にはだけさせ、湿った長髪を振り乱して己に迫る、人であって人でない異形のの姿。その狂った瞳を爛々らんらんと光らす、この世のものとは思えぬ異様な殺気。


 ――僕が殺した――


 その女の襲撃をひらりとかわし、己の足が踏み締める透過コンクリートの硬い感触。が振り抜いた、重たく軽い刀のつかの感触。


 ――僕が殺した――


 己の握ったやいばが肉を斬り骨を断つ、鈍く鮮やかな感触。赤い血の代わりに漆黒の瘴気しょうきを噴き出して倒れた、異形の女の肉体。鼓膜をつんざく断末魔の叫びと、力無く空を掴む異形の両腕。

 異形であろうと邪悪であろうと、一瞬前まで命が宿っていたもの。それを己が斬り裂いた。他の誰の物でもないこの手で――


 ――僕が――


 ――僕が――殺した!――



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「――ッ!」


 冷たい手で心臓を握り潰されるようなうめきとともに、ミナトは暗闇から目を覚ました。肌着にぐっしょりと染み込む汗の冷たさと、動悸の止まらぬ心臓から送り出される血流の熱さが、皮膚の内外から怖気おぞけと化して彼の意識を揺さぶってくる。

 彼の覚醒を感知し、多機能スマートベッドのAIが部屋の照明をゆっくりと点灯ターンオンさせていく。いつの間にか起動アクティベートしていた壁面のテレビジョンからは、一昨日のの最新報道が、落ち着いた男の声で流れていた。


一昨日いっさくじつ阪京はんきょう第三首都サード・キャピタル難波なんば特別区ディストリクトで女性が殺害された事件について、阪京警察は本日未明、犯行をによるものと断定し――』


 死骸収容後の犯行現場の写真に続き、公式発表を読み上げるかみしも姿の刑事局長の姿が画面に映る。事件の凄惨さと対照的な、ひたすらに淡々としたその報道が、が単なる夢ではないことをミナトの意識に叩き込んでくる。

 殺害された女の死骸は画面に映らないが、間違いない。この事件は自分がこの手で起こしたものだ。自分のこの手が、あの異形の存在を殺したのだ――。


「……監獄島アルカトラズか……」


 ミナトは洗面台の鏡に己を映し、これから自分が送られるであろうの名を思わず呟いた。国内に数少ない刑事収容施設の中でも、第一級の罪を犯した者のみが送られる洋上の監獄。殺人の下手人げしゅにんたる自分を待っているのは、悲愴ひそうの島とも呼ばれるその孤島で魂の抜け殻になる末路だろう。

 鏡に映っているのは年齢よわい十八歳の痩せた男の姿だった。どこに居るとも知れぬ父が残した黒髪と、いつ死んだとも知れぬ母が残した翡翠ひすいの瞳。監獄島アルカトラズの牢獄には鏡は無いと聞く。己が何者かを視覚で確認できる時間も、あと少しかもしれない。


 ――


 ミナトは顔を洗いひげを剃ると、略装の半裃はんかみしもに着替えて光刀かたなを差し、少ない手荷物を持って部屋を出た。僅か半年しか過ごさなかった官舎だが、二度と戻ることはないと思うと若干の名残惜しさは拭えなかった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 天候規制の敷かれた空は今日も毒々しいほど青く晴れ渡っていた。地上鉄道リニアの公用席で揺られること10分ばかり、ミナトは人の波に飲まれるようにして、阪京はんきょう第三都庁の中央城舎を目指した。

 摩天楼の80階から城下シティを見下ろす検察オフィスに登城とじょうし、光刀かたなをロッカーに収める。続々と出勤してくる同僚や先輩達への挨拶も早々に、ミナトは局長室の扉を叩いた。無論、己の身体が犯した罪を告白し、処罰を求めるためだった。

 扉を開けて中に入ると、局長ボスは執務机の卓上端末インターフェースに向かい、いつものように眉間に険しい皺を寄せていた。


「どうしたんや、ミナト。お白洲しらすに引き出されたような顔して」


 ミナトの内心を知ってか知らずか、局長はそんなことを言った。スキンヘッドの中年男の鋭い視線が、射抜くようにミナトの目を捉えてきた。


「一昨日の殺人事件のことですが」

「アレがどうした?」

「……僕が殺したんです」


 喉の奥から絞り出すようにミナトが言うと、局長は「あ?」と顔をしかめた。


「自首をしに来ました。あの被害者は、僕がこの手で殺したんです」


 自分の話が荒唐無稽なものに聞こえるのは承知の上だった。だが、事実は事実なのだから、自分は罪を告白し、罰を受けねばならない。

 ミナトが二秒ばかり黙っていると、局長は執務机から立ち上がり、はぁっと重たい息を吐いた。


「アホか」


 局長の乾いた唇が発したのは、ただその一言だった。


「いえ、僕は――」

「警察の発表は見たやろ。あの事件は明らかに人間業やあらへん。使われた凶器も、被害者ガイシャを死に至らしめた太刀筋たちすじも、この世のものやない」


 局長は机を回り込んでミナトの前に立った。その鋭い目が、お前の戯言たわごとなど信じない、と明確に伝えていた。


「いくら剣術が得意やうても、お前にそんな犯行が出来てたまるか。いや、人間の誰にも出来てたまるか」

「……しかし」

「お前、悪い夢でも見たんやろう。幼少期のトラウマがフラッシュバックしとるんかもしれんな。可哀想に」


 威圧と同情が同居したような視線を向けられると、ミナトはもう何も反駁はんばくできなかった。

 あの犯行は人間業ではないと局長は言ったのだ。ミナト自身もそれはよく分かっている。だが、それでも、あの異形を斬り裂いたのは己のこの手だ。その矛盾を覆すだけのが、己の身体には宿っているのだ。

 だが――。


「この事件は化物バケモン同士の小競り合いとして、に委ねることになる。人間われわれの手に負える領分やない」


 殺人犯であることは認めても、頭の狂った人間であるとは思われたくない――ミナトの意識下に染み付いた妙なプライドめいたものが、そのの存在を上官に告げることを彼に躊躇させていた。


「……僕を隔離して取り調べて下さい。少なくとも僕を閉じ込めておけば、これ以上の被害は」

「ええから、お前、ちょっと頭を休めてこい」


 ぽん、とミナトの肩に片手を載せ、局長は言う。


「お前は今日から新京しんきょうに行け。異動や」

「……はい?」

「前から要請はあったんや。若くて優秀で、ヤツが欲しいうて。新京は以来、人手不足やからな。俺の権限でたった今、お前に決めた」


 突然のことに意味が分からず、ミナトが目をしばたいていると、局長は彼の肩から手を離してニヤリと口元を釣り上げた。


「新京はお前のルーツやろ。故郷の空気を吸うて、心を落ち着けてこいや」

「……ルーツと言っても、親父の実家があるってだけで、僕自身は行ったこともないんですよ」


 その父親も、ミナトの幼少の頃に蒸発して行方が知れない。中京ちゅうきょう第二首都セカンド・キャピタルの英才局で少年期の全てを過ごし、奉職と同時に阪京に配属されたミナトにしてみれば、新京という都市のことは社会常識として知っている程度で、己のルーツだとも何とも思ったことはなかった。


「それなら、新天地で気分一新やな」


 笑って話を終わらせようとする局長に対し、取りすがるようにミナトは声を上げた。


「待って下さい、僕の殺人容疑はどうなるんですか」

「嫌疑不十分により不起訴。取り調べ終了」


 阪京検察を統べる局長にそう宣言されては、最早どうしようもなかった。

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