第11話 異世界の騎士、娘の部屋に上がる。

 私は結局、トモエに誘われるがまま昼食を共にすることにした。腹が減ってはいくさは出来ぬ、というような言い回しは恐らくこの世界にもあるに違いない。折角トモエが厚意を示してくれている以上、ここは遠慮なく空腹を満たし、しかる後にこの世界での身の振り方について考えることとしよう。


 彼女の仕立て屋から、住居と称する上階へ上がるには、一度店を出てから建物の外階段を上らねばならないようだった。私は腰につるぎを差し、鼻と口元を手で塞ぎながら店の扉を出たが、その程度では到底抑えきれないすすのような臭いがたちまち私の嗅覚を刺した。


「そんなに感じます? 異世界の人って敏感なんですねー」


 そんなことを言いながらも、トモエは私を気遣ったのか、黒猫を抱えたまま手早く戸締まりをして、すたすたと階段へ向かった。私は息を止めて彼女の後ろを付いて行く。

 視界を埋めるのは常軌を逸した人通りの多さ、聴覚を塞ぐのは凄まじい雑踏の喧騒。見上げた空は晴れているのに晴れている気がしなかった。

 階段を上がり、二階の扉から玄関に入ったところで、私はようやく口元から手を放して一息つくことができた。


「……其方そなたらはよく平気で居られるな。斯様かよう煤煙ばいえんに満ちた世界で」

「って言われても、クルマの排気ガスって、わたし達の世界では普通にあるものですからね……。都心のやかましさは、なかなか慣れない人も多いみたいですけど、わたし、こう見えて都会育ちなのでっ」


 靴を脱ぎ、室内に足を踏み入れたトモエが、えへんと腰に手を当てて胸を張る仕草を見せた。彼女の両腕から解放された黒猫が、勝手知ったるという様子でとことこと廊下の奥へ消えていく。


「まるで私が田舎者だと言いたげではないか。言っておくが、私とて生まれも育ちも王都であるぞ」

「そうそう、その辺のお話を色々聞かせてほしいんですよぉ。ホラ、まずは中へどうぞ、そこで靴を脱いでくださいねっ」


 トモエに言われ、私は靴紐をほどいた。貴族の屋敷と比べれば何とも窮屈きゅうくつな玄関ではあるが、この世界の庶民の住まいとしてこの程度が広いのか狭いのかは、私には判断のしようがない。


「邪魔をする」

「どうぞー」


 馬の尾のような黒髪を揺らす小柄な背中を追い、僅か数歩の短い廊下を抜けた先は、硝子ガラスの大窓のある小さな部屋であった。

 小さな、と言っても、庶民が数人で団欒だんらんするには十分な広さであろう。壁と天井は白く、床は板張りで、食卓の傍には調理場らしき一角がある。部屋の別の一角には紅色べにいろ絨毯じゅうたんが敷かれており、二人掛け程度のソファが置かれている。

 部屋の大窓は南に面しているらしく、明るい日差しが白いレースのカーテン越しに差し込んでいた。


「驚いたな。庶民の家にレースのカーテンとは……」

「そっか、レースって昔は王様や貴族だけの高級品だったんですよね。こっちでは、19世紀の中頃くらいには、どんなレースでも機械で再現できるようになったんですよー」

「ふむ……」


 私は大窓のそばに寄り、そのレースのカーテンをまじまじと眺めた。その刺繍の繊細さたるや、我が世界で王室に納められる一級品と比べても遜色のない出来である。これほどのレースを庶民向けに大量生産できるとは、つくづくこの世界の文明の高度さには驚かされる。

 私が思わずそのカーテンを手にとって手触りを確かめていると、どこに隠れていたのやら、黒猫が私の足元に寄ってきて、にゃあと鳴いた。

 調理場に立つトモエが、「アルスターさん」と私の名を呼んでくる。


「パスタでいいですよね。ていうか、そちらの世界にパスタってあります?」

「うむ」


 私が頷くと、トモエはにこりと笑い、小振りの鍋を手にした。

 私が窓際に立ったまま様子を見ていると、彼女は流し場に備え付けられた取っ手を引いて鍋に水を溜め、その鍋を傍らのかまどのような箇所に置いた。この世界の住人はどのように火を起こすのだろうかと私が気にしたのも束の間、ばちっ、と音が鳴ったかと思うと、一瞬にして鍋の下に火が灯っていたから驚きである。


「今のは何だ。どうやって火をつけたのだ」

「ただのガスですよぉ。魔法みたいなものですよ」

「む……」


 トモエが私に振り向いて意地悪げな微笑を浮かべた。この小娘め、今や完全に、おのが世界の文明を私に見せつけて楽しんでいるな。


「わたし、お祖父ちゃんが亡くなってから一人暮らしですからねー。両親はずっと昔にわたしを置いてどっか行っちゃいましたし。だから、誰かと一緒にご飯食べられるのは嬉しいんですよ」


 湯が沸くまで手持ち無沙汰なのか、聞きもしないのに彼女はそのようなことを言った。明るい口調を装ってはいるが、聞き流すには重い身の上であった。


「アルスターさんは? ご両親はお元気ですか?」

「我が母は私が幼少の頃に世を去ったが、我が父は息災そくさいにして所領を治めている。長兄は騎士団長として国境防衛の任に就き、次兄は王立魔術院で魔法の修練に励んでいる。姉達も皆、嫁いだ先で息災と聞く」

「へぇ……。やっぱり、エリート一家なんですね」


 またも翻訳魔法で訳しきれぬ語彙が混じってきたが、雰囲気からして褒め言葉なのであろう。


「『エリート』とは『高貴』とでもいう意味か?」

「んー、どっちかって言うと『優秀』かな? なんか、生まれ育ちからしてスゴイなーってことです」

「……其方そなたとてそうであろう。一体、幾つの時から針糸の修行を始めたのだ?」


 私が問うと、トモエは「んー」と唇に指を当てて考える素振りを見せた。


「幼稚園の年少さんだから、えっと、四歳です」

「今は幾つになる?」

「じゅうは……って、さりげなく女の子の歳を聞かないでくださいよ。抜け目ないなあ、もう。華の十八歳です」


 少し気恥ずかしそうに彼女は年齢を告げた。概ね私の推測は当たっていたようである。


「そういうアルスターさんはお幾つなんですか?」

「今年で二十一になる。其方そなたとそう変わらんよ」

「え!? あーっ、やっぱり!?」


 私の歳を聞くなり、トモエが急に素っ頓狂な声を上げるので、私は思わず何事かと目を見開いてしまった。


「何だ、やっぱりとは」

「やー、だって、アルスターさんの喋り方とか佇まいの雰囲気って、なんか、もっとオトナっぽく見えるじゃないですか。でも、よく見たら若いし、ひょっとしてわたしより少し上くらいなのかなーって思ってたんですよ」

「……何が言いたいのかよく分からんが、私は紛れもなく大人であるぞ」

「ですよねー。この世界の二十歳がコドモすぎるだけですよね……」


 トモエは一人で勝手に納得したようなことを言ってから、ぐらぐらと湯の沸いている鍋に向かった。

 まあ、彼女に言われるまでもなく、私も思っていたことではある。我が世界に転移してきた者達といい、先程の客人といい、この世界の若者は私に言わせれば幼すぎるのだ。類推するに、この世界の十八歳の中では、トモエはかなり大人びた部類に入るのではなかろうか。


「あ、アルスターさんの世界って、フォークはもうあります?」


 乾麺を鍋に放り込みながら、トモエはちらりと私を見て問うた。フォークを知っているかだと?


「馬鹿にしているのか?」

「あはは、ごめんなさい。だってー、昔のヨーロッパでは手掴みでパスタを食べてたって、よく雑学の本とかに出てくるんですもん」


 苦笑いを交えて謝るトモエに、私は呆れ気味に言い返す。


其方そなたらの歴史のことは知らぬが、我が世界は其方そなたの知る『昔のヨーロッパ』ではないのだ。たとえ文化風俗が似ていようともな」

「……そっかー、そうですよね。ていうか、ライトノベルに出てくる『中世ヨーロッパ風の異世界』って、実は全然『中世ヨーロッパ』じゃないって言いますもんね……」


 そして、透明の小瓶から鍋に塩を振り入れたあと、トモエは私に背を向けたまま唐突に言った。


「わたしの許嫁いいなずけさんね、たぶん、

「……何だと?」


 直後に振り向いた彼女の顔は、作り笑いの裏の何かを抑えきれていなかった。

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