第7話 異世界の騎士、若者と対峙する。

「あら、奥様! お久しぶりです」


 トモエはぱたぱたと店の入口に駆け寄り、嬉しそうな声で客人を招き入れた。見れば、客の婦人は、扉をやっと通るような丸々と太った身体に真っ赤な外套がいとうを纏っており、そのボタンが今にも弾け飛びそうになっていた。


「ご無沙汰しちゃって悪いわねえ、ともえちゃん」


 婦人は私の存在にも気付き、「どうも」と軽く頭を下げてきた。私はひとまずソファから立ち上がり、彼女に目礼を返したが、せっかく座る場所を開けたというのになかなか客人は店の奥に入ってこない。

 私がいぶかしむ間もなく、彼女は扉の外に目を向けると、そこに居るらしき連れを急かすように手招きしていた。


「ちょっと、ホラ、早く来なさいって。ここまで来たんだから」

「……だってさぁ。いいって言ってんのに」


 太った婦人に手を引かれ、店の入口に姿を見せたのは、持ち手の付いた薄い荷物を片手に提げた若い男だった。

 歳は私と同じくらいであろうか。その若者の紺色の装いには見覚えがある。確か、我が世界への転移者の一人が着ていた、「パーカー」とやらいう服だ。


「いらっしゃいませ、こんにちは。……息子さんですか?」


 トモエが婦人に問うと、彼女は丸々とした手を口元に持ってきて、「そうなのよぉ」と言いながら室内に足を踏み入れてきた。


「この子、今年就活しゅうかつだから、せっかくなら旦那のスーツの仕立て直しを巴ちゃんにお願いしようと思ってねえ。でもこの子、無駄に突っ張っちゃって」

「突っ張ってねえって。俺は普通のリクスーでいいって言ってんじゃん」


 母親に腕を引っ張られたまま、いかにも渋々という様子で店に入ってきた、その若者。私はソファの傍に立ったまま、何とはなしに彼の様子を観察していた。

 荷物を提げる手の握りの軽さと、今の婦人の台詞から察するに、あの中身は服であろう。スーツが半分ほどの大きさに畳まれて収納されているのに違いない。シュウカツ、リクスーという言葉の意味は知らぬが、会話の流れは聴いていれば大体分かる。母親は夫のスーツを息子に受け継がせようとしており、息子は何故かそれを拒んでいるのだ。


「ふふ、まあ、まずは奥へどうぞ」


 トモエは自然に手を出して若者から薄いを受け取り、店の奥へと親子をいざなった。私は彼女の接客の邪魔にならぬよう、猫が寝そべっている壁際へと身を寄せる。

 とうに餌の深皿をからにしていた黒猫が、にゃあ、と鳴きながら私の足元に擦り寄ってくるが、私は取り敢えずそれを放っておいてトモエ達の様子を見ていた。


「お二人とも、コーヒーでいいですか?」

「俺、コーラ」

「えっ。……ごめんなさい、コーラはちょっと置いてないんです」

「なんだよ。じゃあコーヒーでいいよ」


 母と並んでソファに腰を下ろし、若者は何ともふてぶてしい態度で言った。たちまち母親が「何よ、その態度は」と彼を一喝し、トモエに「ごめんなさいねえ」と謝っていたが、私も彼女と同じ気持ちであった。何なのだ、人を舐めたようなあの若者の態度は。


「あの、そちらの方は……?」


 婦人がちらりと私の方を見て、遠慮めいた声でトモエに尋ねた。


「その方は、ちょっと変わったお客様というか……」

「レジメンタル王国王立騎士団員のアルスター・ベルファストだ。其方そなたらの邪魔はせぬゆえ、楽にされるがよい」


 私が言うと、ソファに身を沈めた婦人は、「あらぁ」と肥えた両手を合わせて笑った。


「日本語がお上手なのねえ。時代劇で覚えられたのかしら?」

「いや、私は翻訳魔法を介して話しているのであって、真の意味で其方そなたらの言語を学んだ訳ではない」

「魔法……?」


 婦人の目が点になったところで、一瞬の静寂を裂くように、トモエが焦った様子でコーヒーの盆を持って戻ってきた。


「その方、ヨーロッパからいらしたんですけど、冗談がお得意なんですよ。ねえ、アルスターさん」

「む? 私は冗談など……」

「いいから、ネロちゃんと遊んでてください」


 トモエは私の足元の黒猫を手で示し、やけにぴしりとした口調で言った。


「愉快な方なのねえ。ひょっとして、お祖父ちゃんのご友人のお孫さんとか?」

「あはは。まあ、そんなところです」


 誤魔化すようなトモエの微笑に、婦人はまた楽しそうに笑い、それからコーヒーのカップを手に取った。


「……なんか、知らねえけどさあ」


 と、せっかく黒猫の背のように丸くなった空気を引き裂いたのは、やはり婦人の息子であった。


「オヤジの服のおふるとか、やっぱ、マジでカンベンして欲しいんだけど」


 ソファの上で堂々と足を組み、息子は吐き捨てるように言う。


「普通に『クロキ』とか『あきやま』とかのリクスーにしようぜ。普通の就活生しゅうかつせいは皆そうしてんじゃん」

「何言ってんのよ。ちゃんと身体に合ったお仕立てをしてもらった方が、シュッとして格好いいに決まってるでしょ。ねえ、巴ちゃん」


 ばん、と息子の肩を叩く母親と、露骨に嫌な顔をしてその手を払いのける息子。

 私はトモエの顔をちらりと窺った。彼女は怖気づくかと思いきや、ふふっと余裕のある笑みを口元に含ませ、「そうですねー」と婦人に同意を示している。

 そして、彼女は若者の前に回り、その顔を覗き込むようにして言った。


「大丈夫ですよ。わたしが、あなたに似合うようにバッチリお直ししますから」

「……って言うけどさあ」


 若者はチッと舌打ちしてトモエから目を逸らし、誰も居ない空間を見ながら言い返す。


「周りは皆、新品のパリッとしたリクルートスーツなのに、俺だけオヤジのスーツの仕立て直しとか、絶対浮くじゃん。恥ずかしいって」

「アンタ、仕立て屋さんの前で既製服の方がいいなんて、滅多なこと言うもんじゃないわよ。……ごめんなさいね、巴ちゃん、この子ったら失礼ばかり言って」


 三人のやりとりを眺めながら、私は首を捻った。

 この若者が何を嫌がっているのか、今ひとつ合点がてんが行かぬ。どうやら、話を聞いている限り、この社会には仕立て屋とは別に、既に出来上がった服を売る店があり、若い男の多くはそうした店で「スーツ」を買っているようだが……。


「トモエよ」


 疑問を放っておけず、私は思わず横から口を挟んでいた。


「この世界には既製品の『スーツ』を売る店があるのか?」

「へ? あー……そうか、アルスターさん、知らないんですよね。そうそう、そういうお店が沢山あるんですよ」

「だが、『スーツ』とは客の体型に合わせて仕立てるものではないのか? 農奴のうど作業着チュニックではあるまいし……」

「うるせーなぁ、ガイジンさん」


 若者が私の方に顔を向け、何やら生意気な目つきで私を見てくる。


「いいんだよ、スーツなんか普通の店のヤツで。ていうか、その方が絶対ぜってー恥ずかしくねーし」

「ふむ……?」


 トモエが私を止めようとしてくるのを片手で制し、私は若者の目を見て問うた。


「分からぬ。なぜ、既製品と比べて仕立て服が恥なのだ? 其方そなたらの社会のことは知らぬが、店に並んだものを買うより、自分の体型に合わせて仕立てられた服の方が上等ではないのか?」

「……いや、だから、仕立てが嫌なんじゃねーし。オヤジのお下がりっていうのが恥ずかしいんだし」


 若者は私からも目を逸らしながら、どうやら本音と思しきことを口にした。

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