第2部(未完)

第6話 異世界の騎士、三つ揃いを拒む。

 くて、若き仕立て職人……トモエという娘の神業を目の当たりにした私は、そのまま成り行きで「スーツ」なる装束の上着を着せられたまま、彼女の仕立て屋の一角に据えられた客人用のソファで珈琲コーヒーすすっている次第である。


「……ふむ」


 珈琲とは言っても、その場で豆をいてれたものではない。紙製の小袋のようなものにあらかじめ一杯分の豆の粉が入っており、その袋の口を開いてカップの上に取り付け、とやらいう器具で沸かした熱湯を注ぎ入れれば珈琲が出来上がるという簡易的なものだ。

 それでいて味や香りは我が世界の一級品に劣らぬのであるから、全く不思議と言うほかない。


「お口に合いますか?」


 娘は作業机に向かって縫い仕事をしながらも、珈琲を啜る私に顔を向け、遠慮がちな顔でそのように問うてきた。

 彼女が縫っているのは私の上着ではなく、客に納める仕立てであるらしい。室内には私と娘、そして気ままに床に寝そべっている黒猫。新しい客が店を訪れる様子は未だ無いが、少なくとも現にこうして進めている仕事がある以上、全くの閑古鳥かんこどりということもないのだろう。


「コーヒー、簡単なドリップのヤツしかなくて、ちょっと申し訳ないんですけど……」

「いや、不味くはないが、不思議でならん。なぜ、いついたかも分からぬ粉を小分けしておいて、こうも風味が落ちぬのだ」

「なぜ、って言われちゃうと、わたしも全然知らないんですけどね」

「よもや、本当は魔法があるのを隠しているのではあるまいな」

「えー……」


 彼女は困ったような顔になってから、ふと、ソファに身を沈める私の格好を改めて注視したかと思うと、「うーん」と小首を傾げた。


「アルスターさぁん、やっぱりズボンも合わせましょうよぉ。なんか不揃いで気持ち悪いです」


 無駄な上目遣いで、妙に物欲しそうな目線を私に向けてくる娘。

 彼女は先程から、この「スーツ」の上着と揃いのズボントラウザースを私に穿かせたいと言って聞かぬのだ。私のズボンは上着やマントと違って焼け焦げてはおらず、修繕は不要だというのに。


「要らぬと言っているではないか。其方そなたの腕を疑う訳ではないが、上着とズボンを同じ生地きじで仕立てるなど、私には納得がいかん」

「だからー、現代のスーツはそれが普通なんですって。ごうに入ってはごうに従えって言うじゃないですか」


 娘は口を尖らせてくるが、私は小さく首を横に振った。

 先程聞かされたところによれば、「スーツ」というのは上着単体の名称ではなく、この上着ジャケットズボントラウザース、更に中衣ベストを合わせた三つ揃いの装束を指す言葉であるらしい。彼女が今また口にしたように、この形式の最大の特徴は、ジャケット、トラウザース、ベストを揃いの生地で仕立てる点にあるそうだ。

 だが、それがまさしく私の気に食わぬところだ。三つ揃いを同じ生地で仕立てるとなれば、必然、私が目にした転移者の男や先程の筋者すじもの共のように、上から下まで同じ色と柄の、何とも貧相な装いが出来上がるだけではないか。


「……この世界の常識がどうであるかは知らぬが、我が世界では、上着や中衣ベストやズボンは、それぞれ異なる素材、色、柄で合わせるのが上流の証とされている。私に言わせれば、其方そなたらの三つ揃いは、何とも配慮に欠ける貧相な装いに見えるのだ」

「んー……。まあ、こっちでも19世紀の中頃くらいまではそんな感じだったみたいですけどね……。でもホラ、今は21世紀ですし」

其方そなたらの歴史がどうであろうと、私の知ったことではない」


 私は残りの珈琲を飲み干し、からのカップをローテーブルの上のソーサーに戻した。

 娘は「もう」と一声呟いてから、手にしていた布を卓上に置く。


「頑固な人だなぁ……。じゃあ、代わりに一ついいですか?」

「何だ、代わりにとは」

「『娘』っていうの、そろそろやめましょうよ。わたし、市松いちまつともえって名前があるんですから」


 娘は卓上から紙切れを取り、細身の筆記具で何やら書いて寄越した。娘の差し出してきた紙切れには、ただ一文字、「巴」という字が黒く書かれている。


「魔法で日本語覚えたってことは、漢字も読めます?」

「いや、翻訳魔法は話し言葉にしか対応しておらんのだ。これが其方そなたの名を表す文字なのか?」

「です、です。アルスターさんが覚えた漢字、第一号ですねー」


 聞けば、それは物事が円形に流転るてんする様を象形しょうけいした字であるらしい。なるほど、そう言われてみれば、我が世界にある三脚巴紋トリスケリオンに似ていなくもない。

 だが、私がそう呟くと、彼女は心なしか嫌がるような顔を見せた。


「えぇー、全然違いますよぉ。トリスケリオンって、人の脚がぐるぐる回ってるやつでしょ?」

「……よく知っているではないか」


 如何いかにも、三脚巴紋トリスケリオンは人間の脚を三本、風車の如く連ねたものであるが、何故我が世界の紋様を彼女が知っているのだろうか。


「やっぱりねー。似てるんですよ、異世界と昔のヨーロッパって。ライトノベルとかに出てくる異世界って、大抵、中世ヨーロッパ風味なんですよね。似た世界だから文化が共通してるのかな?」

「何が言いたいのかよく分からぬが……文化が似ているだと?」


 少なくとも、この日本という国の文化風俗は我が世界とは似ても似つかぬように思えるが、ヨーロッパとやらいう地域には我が世界と似た文化があるのだろうか。


「その地域では、人々は我らのような服を着ているのか?」

「いえ? ヨーロッパの人達も普段着はスーツですよ。ていうか、元々スーツ自体が向こうのもので……。あ、でも、異世界ファンタジーの舞台になるような時代には、まだ今みたいなスーツは無かったですよね。……そっか、時代が違うから服装も違うんですよ」

「……愉快な話ではないな。我が世界の服飾文化が其方そなたらより遅れているようではないか」


 私の言葉に、娘は控えめに笑っただけだった。

 床に寝そべる黒猫が、にゃあ、と猫らしい怠惰をむさぼる声で一鳴きした。壁に掛けられた時計は、気付けば昼の十二時を指していた。


「トモエよ。もう昼時だというのに、全く客が来る様子がないな」


 早速名で呼んでやると、娘は分かりやすく口元をほころばせたが……。

 部外者の私が心配することでもないが、大丈夫なのか、この店は。


「こんなものですよぉ。平日ですしねー。新しいお客さんが来ない間は、こうして、預かったお仕事を進めてればいいですし」


 そう娘が言ったとき、示し合わせたように、からんからんと鈴の音が店の入口から響いた。言った傍から来客らしい。


「あのぅ……」

「あっ、いらっしゃいませ!」


 扉を開けて顔を覗かせたのは、豚のように肥えた中年の婦人であった。

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