第5話 異世界の騎士、神業を知る。
「その服を私の身体に合わせるだと? 今この場でか?」
私が娘を見下ろしたまま問うと、娘は「ハイ」とあっさり頷いて、空いた方の腕を私に向かって差し出してきた。私の今着ている上着を脱いで渡せという意味であろう。
娘の
私は試してみたいのかもしれない。私の怒声にも
「……よかろう」
私は焼け焦げたマントと上着を脱いで娘に手渡し、かわりに彼女の手から黒色の上着を受け取った。見た目は黒一色で貧相だが、使われている
「そこまで言うなら、娘、腕の程を見せてもらおうではないか。ただし……その言葉が
娘の渡してきた「スーツ」なる装束の上着を左手に持ったまま、私がそっと左腰の剣の
「その剣も外しちゃってください。邪魔になるので」
「なに?」
私は面食らって娘の顔を見返した。
確かに、
「大丈夫ですよぉ。この平和な日本で、いきなり襲いかかってくる人なんて居ませんよ」
「居たではないか、先程」
「倒したじゃないですか、素手で」
「……それもそうか」
娘の言葉に妙に納得させられ、私は結局、
断じて娘の調子に飲まれるのを良しとする訳ではないが、しかし、先程の暴漢のような者が突如襲い掛かってきたところで、そもそもそれを脅威と感じる私ではない。まさか、訓練された猛獣や、完全武装の兵団が踏み込んでくるということもあるまいし。
「アルスターさん……でしたよね? 安心してください。この国じゃ、普通の人は剣も銃も持ってないんですよ」
「ふむ?」
娘の言う「普通の人」がどこまでを指すのか測りかねるが、魔法もない上に武装もしておらぬとは、この世界の者達は服装のみならず戦力までも貧弱なのだろうか。
「それでどうやって己の身を守るのだ。この世界にも
私が剣を腰から外し、傍の壁に立てかけながら言うと、娘は「んー」と二秒ばかり考え込んだ。
「でも、この国は世界でもトップクラスに治安がいいですからねー。普通に歩いてて襲われるなんてこと、まず無いですし」
「
「その時はアルスターさんが守ってくれたらいいじゃないですか?」
私の焦げた上着とマントを丁寧にハンガーに吊るし、娘はクスリと微笑んでみせる。……私にはこの娘の本性がどうにも分からない。どこまで冗談のつもりなのか、それとも――。
「さっ、そのジャケット着てください」
「む?」
異世界の装束を纏うことにまだ抵抗はあるが、とにかく私は娘に言われるがまま上着に袖を通した。見た通り、肩も首周りも袖も胴も、私の身体には一回り大きい。分かっていたことではあるが、その
そして、彼女は私の目の前に立ったかと思うと、余り気味の私の袖をくいっと引っ張り、ふむ、と
こういう表現がこの世界にもあるのかどうかは知らぬが、私は狐につままれたような気になった。この娘、一体何を始めるつもりかと思えば、私の身体に
「待て、採寸はどうした? 私の身体に合わせるというのなら、寸法を取らねば始まるまい」
「んー、まあ、ちゃんと仕立てるときはモチロン採寸させてもらうんですけど、今回はいいでしょ。大体の寸法なんて見ればわかりますし」
見ればわかる――だと?
「じゃあ……動かないでくださいね」
瞬く間に上着の全面に線を引き終えると、娘は
「……!?」
気のせいだろうか、娘の纏う空気が――
その瞳に宿る光の色が、変わった。
リッパーを手にして私を見上げる娘の
一級の剣士を思わせる
「なっ――」
私の頭は、己の目に映るものを信じられなかった。
リッパーを持つ娘の手が風のように私の右肩を撫ぜたかと思うと、私が纏う上着の肩口は、その縫い目の上半分を断ち切られ――
あまりの早業に私が目を見張ったその瞬間、何をどうしたのかは知らぬが、切り開かれていた縫い目は瞬時に新しい糸で仮止めされ――
今度は同じ肩口の下半分の糸がリッパーで
馬鹿な――
絶句する私をよそに、娘は寸分の迷いもない動きで、上着の肩を、腕を、袖周りを、首周りを、胴を、まるで野菜の皮でも剥くかのように詰めていく。散髪を終えた直後の床のように、私の足元には切り落とされた
目の前で繰り広げられる光景が一体何なのか、私の理解はまだ追いつかない。
私が一つ瞬きをする間に、娘の構えた鋏が稲妻の速さで布を
「はい。脱いでください」
娘は、仮縫いの糸だらけになった上着を私から引き剥がすと、作業机の前の椅子にすとんと腰を下ろした。
真に驚くべきはそれからだった。娘は縫い針を手にし、ぱしりと糸を通したかと思うと――
「何だと……!?」
目にも留まらぬ、どころではない。
目にも映らぬ早業で、娘の細腕が上着を縫い上げていく。私が元の世界で目にしてきた仕立て職人達の腕など、まるで問題にもならぬ速さで。
辛うじて私に分かるのは、当然のことではあろうが、裁縫の仕組み自体はこちらの世界でも変わらぬということ。つまり――あの神速の
それなのに――この娘は何故、恐れも
「ハイ。これで完成です。着てみてくださいっ」
出し抜けに娘に振り向かれ、私は呼吸が止まるような衝撃を覚えた。馬鹿げている。この私が、こんな小娘に
娘が立ち上がって私に上着を差し出してくるので、私は
「なんと――」
上着に袖を通してみて、私はまたも絶句した。
この際、飾り気の無さは捨て置くとしても――
先程と同じ服とは思えぬ、驚くべき軽さ。
大きさを詰める前のこの服とは、まるで身体に感じる重みが違う。
床に落とした布の量など微々たるもの。この軽さは物理的な質量の問題ではない。私の腕を、肩を、首を、胴を――吸い付くかのようにふわりと取り巻く、この上着の仕上がりによるものだ。
「どうですか? ぴったりフィットしてるでしょ?」
「フィット。身体の線に沿っている、とでもいう意味か」
「です、です。全身にかかる布の重さがさっきとは全然違うはずです。でも、これはホントにお試しコースみたいなものですから、ちゃんと時間を掛けて仕立てたら、もっと
「……」
ふと見れば、娘の瞳からは先程感じた恐るべき殺気は消え失せ、娘は元の人懐こい上目遣いで私を見上げていた。
彼女を見下ろし、私はただただ驚愕に心を震わせていた。何なのだ、この娘は――。
「……
「あー、失敬な、
またしても頬を膨らませてみせてから、娘は続けて言った。
「わたしの自己紹介はこのくらいでいいですよね? 今度は、あなたのことも色々教えてください、アルスターさん」
「なに?」
「異世界からいらしたんでしょ? わたし、結構興味ありますよ、その手のお話」
どうやらこの娘とは短くない付き合いになりそうだと、何故かそんな気がしたのだった。
(第1部 完)
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