第4話 異世界の騎士、娘にも怒る。

「仕立て職人だと? 其方そなたがか……?」

「あっ。その顔は信じてない顔でしょう。アナタも思ってますね? こんな小娘が職人になんてなれるワケないって」


 馬の尾を思わせる髪を左右に揺らし、私の前で生意気にも頬を膨らませてみせる、この娘。

 私は彼女の黒い瞳を見返し、がらにもなく口ごもってしまった。

 如何いかにも、この娘自身の言う通りなのだ。仕立ての仕事は職人個人の練達れんたつした技術のせるわざ。いかな科学技術とやらの進んだ世界であろうとも、十七、八かそこらの娘が一端いっぱしの仕立て職人になどなれる筈がない。

 さりとて、翻訳魔法の不備ということもあるまい。どう見ても仕立て屋にしか見えぬこの店の「店主」を名乗り、今また己が職人と見られぬことに頬を膨らませているのであるから、私の取り違えではなく、この娘ははっきり自分を仕立て職人だと言っているのだ。

 しかも、「アナタも思ってますね」と来た。つまり、この娘ほどの若さで仕立て職人になるのは、この世界においても普通のことではないのだろう。彼女はこの世界の常識に照らしても異常な若さで職人となり、その若さゆえに、これまでにも数多あまたそしりやあなどりを受けてきたのに違いない。


「いや、失敬。しかし……」


 私はひとまず彼女を不快にさせたことを詫びながらも、どうにも彼女の素性への引っかかりを捨て置くことが出来なかった。

 ふと見れば、いつしか娘の腕の中から飛び降りていた黒猫が、床に置かれたからの深皿のそばに寄り、物欲しそうに、にゃあと一声鳴いていた。娘は猫に何やら話しかけながら、壁際の棚から猫の絵の書かれた箱を取り、その箱から深皿に餌らしきものを入れてやっている。

 そんな娘の様子を見やりながら、私は続けて言った。


「我が世界では、仕立ての道で三十路みそじ四十路よそじは駆け出しと言う。今の口振りからしても、其方そなたほどの若さで職人の看板を掲げるのは、この世界でも決して有り触れたことではないのであろう?」

「そうなんですよぉ、よく珍しいって言われます。お祖父ちゃんが亡くなって、店を継げる人が他にいなかったから、わたしがやってるだけなんですけどね……」


 猫に餌をやり終えた娘は、暗い顔ひとつ見せることなくそのように言い、桜色の外套がいとうを脱いで壁際のハンガーに吊るしていた。

 娘が外套の下に着ていたのは、白の無地のブラウスに、紺色の中衣ベスト。そして中衣ベストと同じ紺色をした紺色の細いズボンだった。――ふむ、この世界の女の全てが水兵のような格好をしている訳ではないらしい。

 それにしても、この世界の男共が着る「スーツ」とやらいう装束と同様、この娘の服装もまた、実に飾り気のない質素な見た目をしているものだ。やはり、この世界では服飾文化があまり発達しておらぬらしい。斯様かように若い娘が仕立て職人を名乗れるのも、そもそも服へのこだわりが薄い社会であるからだとすれば合点がてんが行くのやもしれぬ。

 ……などということを私が考えていると、娘はふいに私の前に両腕を差し出してきて、こんなことを言うのだ。


「でも、わたし、小娘にしては方なんですよ。よかったらその服、わたしが直しましょうか?」

「なに?」


 娘に言われ、私は改めて自分の装束を見下ろした。上着もマントも無残に焼け焦げ、元来の荘厳さを留めなくなってしまった自慢の装束を。

 まさか、と私は己の眉間みけんに皺が寄るのを感じた。ここまで損壊の度合いが激しいとなると、普通に考えれば修復は不可能だろう。一流の魔術師ならば復元できるかもしれないが、とても常人の手で直せるものではない。

 だが、娘は不可思議な笑いの細波さざなみを目に含ませたまま、妙に自信な表情で私を見上げているのだ。


「直せるのか?」

「ほとんど一から作り直しになるとは思いますけど、二日ほどお預かりすれば……」

「二日だと!?」


 私が思わず鸚鵡おうむ返ししたその声に、娘はびくりと肩を震わせた。

 馬鹿な。これほど焼け焦げた服を修繕しようというだけでも無謀な試みであろうに、魔法も使えぬ小娘が僅か二日でそれをやってのけるだと?


「翻訳が間違っているのではあるまいな。一日、二日と数える、その二日か」


 私が指折り数えてみせると、娘はそれに合わせたようにこくこくと頷いた。


「ハイ。朝起きて夜寝るまでの一日、それを二回繰り返す二日です」


 娘の微笑を前にして、私は開いた口が塞がらなかった。

 いや、もとい、よく考えてみよ。この娘の仕事が手縫てぬいとは限らんではないか。炎より明るく部屋を照らし、馬より速く地を駆ける文明の利器を持つ者達だ。服ひとつ仕立てるのにも、私の想像も及ばぬ便利な道具があるのかもしれぬ。

 だが、しかし、そうなると……。

 今は黒焦げとはいえ、我が装束はベルファスト公爵家代々に仕える一流の職人達の仕立て。それを得体の知れぬ道具でいじり回されたとあっては、元の世界に帰還してのち、家名に申し訳が立たぬ。


「厚意は有難いが、其方そなたらの文明の利器に我が装束を委ねる気にはならんな。我が世界に存在しない道具で修繕されたとあらば、最早もはやそれは我が装束とは呼べぬ」


 私がそう言って娘の提案を断ろうとすると、娘は、きょとんとした上目遣いを私に向けてきた。


「いえ、わたしの仕立ては全部手縫てぬいですよ。ミシンっていう機械もあるんですけど、わたしは基本的に使いません」

「何だと……?」


 よもや、この娘、私を文明の遅れた世界の出自と見て、愚弄ぐろうしているのではあるまいな。


「娘よ、あまり服のことで私をからかうでないぞ。この上着を手縫いで仕立て直すのに二日だと? そのような早業、あまりに無理があると子供でも分かる話ではないか」

「そんなぁ……。お祖父ちゃんはもっと早かったですよ。ウソだと思うなら、預からせてください、その服。それで、お預かりしてる間は、えっと……ちょっと待っててくださいね」


 娘は髪を揺らしてぱたぱたと店の奥へ引っ込んでいってしまったかと思うと、ややあって、ハンガーに掛けたままの一着の上着を持って戻ってきた。

 見れば、それは例のスーツという貧相な装束であった。私の焼け焦げた上着とよく似た漆黒の色をしている。どうやら新品ではあるようだが、一目見て私の身体には大きすぎる代物しろものだと分かった。

 それを私の前に差し出しながら、娘が言う。


「その上着をお預かりしている間は、代わりにこれを着ててもらえたら……」


 これには流石に私も堪忍袋の緒が切れた。


「どこまで私を愚弄するか、娘! 服の貧相さはともかく、どう見ても私の身体には大きさが合わんではないか!」


 私の言葉に、びくんと跳ねるように後ずさりながらも、娘は私から目をらそうとしなかった。

 何故だろう。ひ弱な小娘にしか見えぬ彼女の瞳に、先程から、妙な自信に満ちた炎が絶えることなく燃え盛っているように感じるのは。


「さ、最後まで聞いてくださいよぉ。これ、わたしが今よりもっと未熟だった頃に、お客さんの仮縫かりぬい用に余分の一着を作ったやつなんですけどね。今からこれを、あなたの身体にピッタリ合うように詰めて差し上げますから」

「な、なに……?」


 怒りに熱くなった私の心を冷ますように、娘はどこか人懐こい笑みで私を上目遣いに見上げてくるのだった。

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