第1部

第1話 異世界の騎士、召喚者に怒る。

「なんだ、その貧相ひんそう装束しょうぞくは!」


 召喚しょうかんに響いた私の声に、魔術師達はぎょっとした顔でこちらを見た。

 揃いの黒ローブに六芒星ろくぼうせい徽章きしょうきらめかせた王立魔術院の精鋭達が、何事かと言わんばかりの目で私の顔を凝視している。一瞬ののちに私は正気に返り、口元を手で覆った。


「いや、失礼……」


 我ら貴族が最も嫌う「恥」という名の感情が雪崩なだれの如く私を襲う。国家の一大事たるこの時に、紳士として騎士として、あるまじき醜態を皆に見せてしまった。もう妻をめとることも出来る年齢に達していながら、まったく我ながら情けない。

 いや、それでも、弁解はさせてもらいたい。魔術師達による三十日もの長きにわたる魔力充填じゅうてんの末、やっとのことで発動した召喚魔法で引き寄せたのが、よりにもよってだったというのだから。


「……あの。オレ、ひょっとして、異世界転移とかしちゃったんですか?」


 魔法陣の中心で倒れていた青年は、むくりと身体を起こし、この召喚の間と我々の様子をしばし眺め回していたかと思うと、我々の言語でそのような間抜けなことを口にした。

 召喚と同時に翻訳の魔法が作動することは私も知っているため、今さら彼の言葉に驚きはしない。魔法のない世界からやって来るが異世界転移という概念を知っているのも、我々とは大きく異なる文化や常識を持っているのも、から既に分かっていることである。


「さよう。望むと望まざるとに関わらず、貴様にはこの世界の救い手として働いてもらう」


 魔力の硝煙しょうえんを未だくすぶらせる魔法陣に一歩近付き、私はその貧相な若者を見下ろして告げた。元より、この男が我々の託す使命を拒むことなど考えづらい。魔術師達によれば、現在用いられている異世界召喚の魔法は、異世界に転移したいという気持ちを強く持っている者を独りでに探して連れてくる仕組みになっているそうだからだ。

 案の定、男はたちまち黒い瞳を輝かせたかと思うと、「マジかよ!」と低俗な言葉で喜びを表しながら私の前に立ち上がったのだ。


「オレ、やってみたかったんっすよ、そういうの! すっげえ、夢なら覚めないでくれぇー!」


 男の上機嫌な口調に、私は思わずひたいに手を当てていた。

 まったく、服装の貧相な者は心まで貧相と相場が決まっている。この男を召喚魔法で呼び出した当の魔術師達さえ、「今回もまた外れだった」という顔をしているではないか。

 私とて分からず屋ではない。召喚魔法の当たり外れは制御できぬと聞かされている以上、国家の精鋭たる彼ら魔術師達の手腕に難癖を付けるつもりはない。しかし、連日連夜の詠唱えいしょうの末に呼び寄せたのが、またしてもこのような下賤げせんな精神の若者であったとなれば、私にも彼らにも溜息をく権利くらいは有ろうというものだ。

 そもそも、何なのだ、この男の全身から漂う薄っぺらい雰囲気は。仮にも年の頃なら私と同じくらいであろうに、覚悟や矜持きょうじの一片たりとも持ち合わせぬ未熟な子供のような顔だ。挙句、その服装たるや!


「まったく、前に来た『パーカー』とかいう装束の男といい、その前に来た水兵のような装いの女といい、なぜ貴様らは揃いも揃って然様さように貧相な装束を好んでまとっておるのだ。仮にもであろうに」


 やり場のないいきどおりに任せて私が吐き捨てると、男は不思議そうな目で自分の装束を見下ろし、そして私に問い返した。


「……なんか、よくわかんないんっすけど、オレの、そんなにダメっすかね? 一応、ちゃんと新品の買ったんすけど」


 その真っ黒で薄っぺらい装束の袖口そでぐちを片手の指でつまみながら、男は子供のようにきょとんとした顔で私を上目遣いに見てくる。やめろ、情けない、仮にも大人の男が何という幼い顔をするのだ。


「貴様の身分は知らぬが、勇者を名乗るには、いささか威厳に欠けよう。何なのだ、その、飾緒モールの一つも付けぬ黒一色の装いは。せめてマントの一つでも羽織ったらどうなのだ。生地きじもいかにも安っぽい。模様の一つも織り込まれておらぬとは。大の男がよくもそんな飾りっ気のない格好で外に出られるものだ。それに引き換え私の装束を見ろ」


 私は男の前から一歩引き、ばさりとマントを片腕で広げてみせた。自分で言うのも何だが、一流の職人と一流の素材による見事な装束だ。絢爛けんらん豪華ごうかな金色の飾緒モールを多用した上着に、背中にひるがえ緋色ひいろのマント。威厳のある装いとはこうしたものではないか。

 男は目をぱちくりとさせ、「確かに凄い服っすねー」などと間延びした声を出している。恐れ入ったか。貴様ら異世界人がいかに強力無比な「チート」とやらを持っていようとも、服飾の素晴らしさにおいては我らに及ぶべくもない。


「あの、アルスター様」


 魔術師の一人が横から私に声を掛けてきた。私が顔を向けると、彼はやや声をひそめて告げた。


「実は、前に来た異世界人の発案を取り入れ、今回からは召喚魔法に『クーリングオフ』なる仕組みを取り入れております。この男がお気に召さねば、元の世界に追い返すことが出来ますよ」

「何? しかし、人ひとりを異世界転移させるには膨大な魔力が必要なのではないのか」


 私の問い返しに対し、国内最高峰の知的階級たる魔術師は得意気ににやりと笑った。


「ご心配無用。この男をこの世界に召喚する際に生じた時空のゆがみは、言うなれば限界まで引きしぼられた弓のつるのようなもの。これまではただ手を離して終わりでしたが、この仕組みを解き明かした今ならば、召喚した者自身をその弦に矢としてつがえ、再びあちらの世界へ飛ばすことが出来るのです」

「……ふむ、成程な。我らの気に召す勇者が現れるまで、召喚魔法をやり直せば良いというわけか」


 それ自体は何ら目新しい発想ではない。一度の発動に三十日の充填期間が必要であるとはいえ、魔術師達はこれまでに幾度もこの召喚術をやり直し、その度に我が世界は外れを掴まされているのだ。

 その外れどもの中の一人が、この一連の試みを、あちらの世界にあるという遊戯具になぞらえて「ガチャを引く」などと言っていたことがあるが、成程、今後はガチャとやらの外れが出たら即座にあちらへ送り返してしまえば良いということだな。


「聞いていたか、青年。残念だが貴様は――」

「ちょ、カンベンして下さいよ! 戻りたくないっすよ、オレ!」


 私が「クーリングオフ」とやらの適用を告げようとした途端、男は憤然ふんぜんとした顔で猛抗議を始めた。いわく、せっかく異世界に来たのに、だの、まだ魔法の一つも試してないのに、だの――。

 どこまでも下卑げびた精神の男だ。やはり魔術師達には魔法陣の組み方を見直してもらわねばならないのかもしれない。異世界転移をしたがっている者を探す仕組みなど要らぬから、勇者と呼ばれるに足るだけの高潔こうけつな精神と美的感覚を持ち合わせた者を探すようにして欲しいものだ。

 今にも暴れ出しかねない男をがっと組み付いて押さえ付け、私は先程の魔術師に向かって叫ぶ。


「今だ、時空の穴をひらけ! 私がこの男を叩き返してくれる!」

「は、はっ!」


 魔術師の短い詠唱とともに、魔法陣の上で私と組み合う男の背後にぽっかりと空間の穴が空いた。魔力の渦が轟々ごうごうと唸りを上げ、男を飲み込まんとうごめいている。

 思えば、この時の私には油断とおごりがあったのかもしれない。このような貧相なをした男に、王都十二騎士の一角たるこの私が後れを取ることなど微塵みじんもあるまいと。


「離せよっ! 帰りたくないって言ってるだろ!」

「なっ――」


 男が苦し紛れに私の胸倉むなぐらを掴んだと思った瞬間、突如、男の両手から雷電がぜ、烈火の炎が私の全身を包み込んだ。突然のことに私の意識が追いつかぬ刹那の間隙かんげきを突いて、男の両腕が私の身体を空間の渦へと突き飛ばす。

 なぜ私は勝てると思ったのだろう。国中の騎士と魔術師を総動員しても歯が立たぬ強大な魔竜王を倒すべく、国家の最後の望みを懸けて神話の時代より復元した異世界召喚術――それが呼び寄せた「」の勇者に。


 いや、そんなことより何より――


「き、貴様……!」


 すべ無く時空の渦に飲まれる最中さなか、私は灼熱の炎に身を焼かれながら、ただ一つの怒りを込めて叫んでいた。


 服が――

 私の服が、汚れるではないか――。

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