第二帖 桃香(もものか)

 わたしの源氏名は本名と同じ「ひかる」と決まった。光源氏みたいで格好いい、というのはわたしが幼少の頃から飽きるほど聞かされてきたフレーズだ。

 だが、決して、千年も前に書かれた小説の主人公と並び称されることがわたしにとって心地良いわけではない。そんな創作上の人物よりもわたしのほうが男前に決まっているし、わたしの文武両道博学多才ぶりは紫式部が描いた宮中きゅうちゅう上達部かんだちめのそれを遥かに上回っているはずだ。


 そんなわたしのことだから、水商売という未知の世界でも、すぐさまトップにのし上がるのは難しいことではなかった。

 関西で一番と言われた高級ホストクラブで、ものの三ヶ月も過ごす頃には、わたしは指名客数、売上ともに他の追随を許さぬトップの座に上り詰めていた。


 だが、わたしは夜の世界で栄華を極めるために京大きょうだい主席の座を捨てたわけではない。

 わたしの心が追い求める運命の相手と、この世界にいれば出逢えるという、盲信めいた予感に導かれてわたしはここに来たのだ。


 桃香ももかと出逢ったのは、わたしが売れっ子ホストとして人気の絶頂を極め、幾十人の客との情事を金に換えてきた、入店四ヶ月目の春のことだった。


「わたしね、男の方のを舐めさせてもらうのが好きなんです」

 そんな頭のネジが飛んだような発言を、わたしとの初めてのホテルで恥ずかしげもなく披露してきた桃香は、この界隈でそれなりに名を知られた風俗店にパートタイムで勤める女子大生だった。

 もちろん、桃香というのは源氏名であって、わたしは彼女の本名など知る気もない。相手は常にわたしを本名と同じ名で呼ぶわけだが、それがわたしの本名だとは思っていないだろうから、不公平ということはまったくない。


「お客さんのを舐めるんじゃ飽き足らず、俺みたいなホストにまで手を出すんだ」

 わたしの股間に顔をうずめる桃香の頭を片手で撫でながら、わたしは甘ったるい声で彼女をいじめてやる。

 わたしが日常生活で使っていた一人称は「僕」なのだが、この世界では「俺」と言ったほうが受けが良いということは入店前から研究済みだった。


「お客様は別カウントですよぉ。わたしがしたいのは遊びじゃなくて、本気の恋愛ですから」

 桃香は本気マジの目をしてはにかみながら、わたしの白濁した液体を飲み干す。

 風俗嬢が店での仕事とプライベートの恋愛を分けるのは当然のことだし、その相手にホストを選ぶのも珍しい話ではない。

 自由恋愛の機会に恵まれぬ哀れな男達が風俗店に落とした金は、巡り巡ってわたしのようなイケメンホストの高給に還元されるのだ。夜の世界に限らず、世の中の仕組みはすべて、下々から巻き上げた金が上流に回るように出来ている。


「桃香は、俺と本気の恋愛をしてるつもりなの?」

「つもりって、ひどいですよ。わたしは最初からずっとそう言ってます」

 頭の茹で上がったような言葉を激しい吐息とともに吐き出しながら、桃香はわたしの身体の上で揺れた。

 彼女の家は年商100億ほどのささやかな会社を経営する小金持ちだというが、このお嬢さんの騎乗位の手慣れぶりを見ただけで、親は発狂して死にそうだ。


「わかってるよ、俺も桃香みたいな健気で可愛い子は好きだし」

 桃香の華奢な両腰に手を添え、下から激しく突き上げてやると、彼女はわたしに蕩けきった瞳を向けて何度も達した。

「嬉しい。わたし、今日から光さんのものです」

 お嬢様学校の文学部では絶対に習わないような言語表現が、桃香の濡れた唇から漏れる。

 わたしはもちろん本気ではなかった。わたしが前世からのえにしのごとく追い求める運命の相手が、こんなはしたない風俗嬢であるはずがない。

 ただ、たまたまプライベートの恋人のひとりと別れたばかりだったため、軽く遊んであげようと思っただけにすぎない。

 桃香は少なくとも粗悪な育ちではないし、形だけでも高等教育を受けている。それが本人の望みなら数ヶ月ほどわたしのものにしてやろうか、と思ったのだ。


 もとい。その表現は適切ではない。

 桃香に言われるまでもなく、地上のすべての女は最初からわたしのものなのだから。

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