第三帖 葵(あおい)

 桃香との遊びの交際が二ヶ月ほど続いていた頃、わたしの勤めるホストクラブに京大きょうだいの女子学生の三人連れが来店した。

 一人は茶髪のショートボブ、一人は同じく茶髪でセミロング、最後の一人は黒髪のストレートロングだった。服装やバッグはいずれも中流程度。人並みの家庭で人並みに育てられた女子大生という風情だった。


 わたしは当然ながら他のホストと人数を合わせてその席に付いたのだったが、これもまた当然ながら、客の注目を一手に集めるのはわたし一人だった。

 女子学生の内、茶髪でセミロングの一人はわたしの顔を見知っていた。もっとも、わたしは相手のことなど知らなかったが、自主退学の日まで一度も主席の座を他に譲ったことがなく、また容姿においても親友の中頭なかがみと双璧をなす評判を誇っていたわたしのことだ、誰に顔と名前を知られていようとまったく不思議ではない。


ひかるくんですよね!? なんでホストなんかやってるんですか」

 頭の悪そうな茶髪セミロングは、喜々として他の二人にわたしに関する知識を披露して悦に浸っている。

 わたしは売れっ子ホストとしてあくまで愛想よくお客様に対応した。会話はすぐさま、わたしが大学を辞めてホストに専念していることに及んだ。

「えーっ、そんな、勿体ないですよぉ!」

「ねえ、せっかく京大にまで入ったのに」

 ショートボブの女は同調して、わたしの選択を勿体ないと嘆いていたが、もう一人の黒髪ロングストレートの女は違っていた。

 瓜実うりざね顔の、一般人基準で見ればそれなりに整った部類に入りそうな顔立ちに、伊達と判別がつきづらい薄いレンズの眼鏡。

 友人たちのノリに付き合うことなく、ツンと澄ました表情を作ってグラスを傾けている彼女は、「頭が良く世間に染まらない自分」を気取っている典型的なお馬鹿さんのようにわたしには見えた。


「京大なんて、そんな大したものじゃないでしょ」

 彼女が精一杯の頭脳で捻り出した最大限のクールな発言がそれだったらしい。日本の国立大学程度の学歴が大したものではないという点はわたしも同意見だったが。

「もう、涼子りょうこ、ノリ悪いー。せっかく来たんやから楽しもうよぉ」

「わたし、軽薄な人キライだから。大学辞めてホストやってるとか、バカみたい」

 わたしの選択を堂々とバカと評する客は彼女が初めてだった。上手く転がせば面白いことになりそうだ。

 わたしはじっと彼女の瞳を見つめ、彼女が思わず目をそらそうとするギリギリのタイミングで、甘い声でそっとささやいた。

「涼子ちゃんは、俺とお話したくないの?」

「興味ないんです、ホストとか。今日だって彼女たちに誘われたから来ただけで」

「俺はもっと涼子ちゃんのこと知ってみたいけどな」

 彼女が嫌いと述べる軽薄なノリと、若干の寂しさ、そして彼女への本気の興味が程よくブレンドされて聴こえるような口調を計算し尽くし、わたしは彼女に伝えた。

 彼女は静かに席を立ち、「帰ります」と友人二人を残して店を出てしまった。そこまでわたしの計算通りだった。


 三日と置かず、彼女は再び店を訪れた。もちろん今度は一人きりでだ。

「あなたみたいな愚かな人は初めて見ましたから。もう少し見知っておきたくなったので」

 相変わらず澄ました口調を気取ってそう告げる彼女を、わたしはプロのホストとして適切な儀礼で歓待した。

 わたしの予想通り、彼女は好きな文学作品を問われて流行りの直木賞作家の名を答えるようなことはせず、源氏物語のお気に入りの帖を挙げるような女だった。

「へえ、涼子ちゃんは葵上あおいのうえが好きなんだ。じゃあ君のこともあおいって呼んでいい?」

 これは、客の名前を一度で覚えられない頭の悪いホストがよく使う手だ。似たようなタイプの客には全員同じニックネームを割り振ってしまい、接客や行為の最中に別の名を呼んでしまうことのないようにするのだ。

 もちろん、そんな小手先のテクニックを使う必要などわたしにはなく、したがってこの問いかけはただの冗談だったのだが、彼女は光源氏の最初の女の名で呼ばれることに意外なほどまんざらでもなさそうな反応を示した。

「いいですけど、わたし、自分より頭の良い人のことしか好きになりませんよ」

 彼女はどういうわけか、わたしが彼女に源氏の女の名を付けたことを、恋愛感情の告白と捉えたようだった。


 まさかこの気取り屋の女が、わたしの追い求める前世のえにしの相手であることなど、あろうはずもないが――

 本当の秀才がどんなものか思い知らせて鼻を折ってやるのも彼女の将来のためだろうか、とわたしは思い、彼女の位置付けを店の上客候補からプライベートでの遊び相手の候補へと切り替えることにした。

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