第一帖 前世(ぜんせ)

 わたしは幼い頃から完璧超人と呼ばれてきた。

 容姿、勉学、運動、芸術、どれをとってもわたしに敵う男などそうはいない。天から三物も四物も与えられた男であると人はわたしを称した。わたしに嫉妬心を抱ける者すら、ただ一人を除いて周りに居はしなかった。


 父親が旧華族の系列に連なる財閥の当主であったため、金と権力にも何ら不自由することがなかった。小学中学高校と、どこへ行っても誰もがわたしにかしずく。酒に溺れようが煙草を嗜もうが、誰もわたしを止められようはずもない。


 わたしは人当たりにも天賦の才があったようだ。わたしは行く先々で同性の友人、異性の友人に囲まれていた。

 初めて女を抱く機会は同年代の平均的な男子よりも遥かに早く回ってきた。中学を出るまでに幾十人、高校を出るまでに幾百人の女をわたしは抱いた。わたしにとっては変わり映えもしない、当たり前の人生だった。


 だが、幾人の女を抱こうとも、決して満たされぬ空虚な思いがわたしの胸にはある。

 足りない。この女でもない。得体の知れない焦りの中で、わたしはずっと、もがき続ける。


 ……ずっと誰かを、探している。



「映画の見過ぎだ。運命の相手なんてこの世にいるもんか」

 バンドの解散を満員のファンの前で宣言した最後のライブの帰り。

 ファミレスでわたしの向かいに座る親友の中頭なかがみは、わたしの打ち明けた幻想を即座に鼻で笑った。

「そうかな。僕には、自分が知らない誰かをずっと探している気がしてならないんだよ」

 わたしが言い返す。中頭がまた鼻で笑う。

「コピーライブのためにあの映画を4回も続けて観たりしたからだろ。毒されてんのさ、ファンタジーの世界に」

 しっかりしろよ、京大きょうだい一の秀才ともあろうものが。中頭はそう言って皿の上のフライドポテトをつまみ、ドリンクバーのコーラを喉に流し込んだ。


 知らない誰かと赤い糸で繋がっている。千人を超える女との逢瀬を貪ってきたわたしだからこそ、心に浮かぶそんな幻想がある。

 誰を抱いても、何人抱いても満たされない、まだ見ぬ誰かとの繋がりを。

 この夏に日本中を涙で包んだあの映画の筋書きのように、わたしはずっと、追い求めている。


「せっかく始めたバンドも解散しちまって、ひかる、お前今度は何をやるつもりなんだ」

 この世で唯一わたしと対等に張り合えた男、中頭の端正な両目がじっとわたしを睨んでいる。

 わたしは冷めたコーヒーのカップをソーサーに戻して、ふっと息を吐き、彼に告げた。

「大学を辞めて、ホストになろうと思う」

「はぁ!?」

 中頭はわたしの予想通りの頓狂な声を出し、途端にコーラでむせ返って咳き込み始めた。京大で二番目と言われた甘いマスクもこれでは台無しだ。

「大丈夫か。そんなに驚くようなことかな」

「驚くだろ。ていうか、やめとけよ。勿体ないって。お前なら国家公務員一種コクイチでトップ入庁だって余裕だろうし、研究を続けるならハーバードの院からも誘いが来てんだろ」

「官僚だって研究者だって、代わりはいくらでもいるよ。僕には僕だけの使命がある気がするんだ」

「その歳で今さら厨二病か? それがなんでホストなんだよ。ホストやるにしても大学行きながらバイトでいいだろ」

 まるでわからない、といった表情で中頭はわたしに向かって言葉を並べてくる。

 正直なところ、わたし自身にも、自分の心を突き動かすものの正体はわからない。ただ漠然と、誰かのもとへ行かねばならないということだけが理屈を超えて解るのだ。その相手が霞ヶ関やアメリカの大学院には居ないということも。

「だから、今日まで世話になった。来週にはもう僕は大学に居ないよ」

 わたしがきっぱりと言い切ると、中頭はもう何も言い返すことができなかった。

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