第12話 我が友ドミニーカ(下)

 魔導車輪で石畳の道から浮き上がり、馬車は爆速でスラム街を目指す。驚いて道を開ける人々の姿が、魔導ガラスの車窓に流れてゆく。


「ミーリツァ、ちなみに問題のスラムって――」

「ええ、王都近傍で貧民窟といえば一つしかありません。ドミニーカの住まいでしょう」


 俺のこめかみを冷たい汗が伝った。ドミニーカはもう自分の住処すみかに帰っているだろうか。オーディションであの子の心に傷を負わせてしまった上、魔物の被害にまで巻き込んでしまったら……。


「大臣さん。わたし達は誰のことも見捨てる訳にはいきませんわ」


 焦る俺の心中しんちゅうを察したのか、アヴローラが自分も張り詰めた表情をしたまま言ってきた。俺はふうっと呼吸を整え、「ああ」と歌姫達に頷き返す。

 そうだ、ドミニーカだけでも、ファイーナの弟だけでもない。誰のことも魔物に傷付けさせないために、俺達のアイドルグループはあるのだ。


「停車!」


 馭者ぎょしゃ役の衛兵が声を張り上げ、馬車を急停止させた。

 昼間でも薄暗い貧民街の路地の入口に、軽装の鎧を纏った警衛兵が血を流して倒れている。衛兵と俺が駆け寄って助け起こすと、彼は苦しそうに声を絞り出した。


蜘蛛アラクネアは、この奥に……!」


 力なく路地を指差す兵士。ここから先は馬車が入れない。俺が車内キャビンの二人を振り仰ぐより早く、ミーリツァが呼びかけてきた。


「閣下、動きやすい衣装を!」

「ああ」


 君の服は元々動きやすいでしょ、というのは言いっこなしで。

 俺が手をかざして二人に纏わせるのは、お決まりの「能書きSurely」の赤紺ベストにミニスカート。今だけ恥ずかしさを忘れた二人が、馬車のキャビンからばっと外に飛び出す。


「姫様、行きますよ!」

「ええ!」


 姫君の真紅、騎士娘の純白、二人の歌姫ディーヴァ宝玉・ジェムに満ちる輝きは十分。ミーリツァの巻き起こす風をアヴローラも纏い、二人は俺に頷いて暗い路地へと駆け出した。


「うおっ、速っ……!」


 魔力を纏った二人の疾走には、常人の脚では到底付いていけそうにない。

 別の馬で追ってきた兵士に、倒れた警衛兵の手当てを任せ、俺は一旦落ち着いて周囲を見渡してみた。

 何階建てにも積み重なった石造りの建物から突き出す、生活感満載の物干し竿。ボロキレと見紛うような衣類が所狭しと掛かり、ただでさえ日当たりの悪い空を遮っている。


「……ここがスラムってやつか」


 生まれ育った村を魔物に滅ぼされ、ドミニーカはずっとこんなところで生きてきたのか……。

 と、一瞬の感慨にふける俺の足元に、上から何かが落ちてきてぐしゃっと潰れた。靴とズボンにねるそれは、腐った生卵だった。


「オイ、お偉いさんが何の用だァ?」


 上階の窓から身を乗り出して、二人の男がげらげらと笑ってくる。


「魔物から子供を助けに来たんだよ」

「ハッ! てめぇが魔物に食われねえようになァ!」


 周囲の窓からもあちこちから笑い声が聞こえる。衛兵が横から促してきた。


「閣下、参りましょう」

「あ、ああ」


 彼の手にした透明の球体の中で赤い煙が揺れる。彼の背中を追う形で、俺も魔物の居所を目掛けて走った。

 スラム街の奥へ奥へと踏み込むたび、路地は次第に細くなり、密集する建物に陽の光は遮られていく……。やがて、その深奥から、魔物と戦うアヴローラ達の声が確かに響いてきた。


「! 閣下、危ない!」


 路地を曲がりかけたところで、衛兵が俺の腕を掴んで引き戻す。直後、路地の奥から瓦礫がばらばらと吹き飛んできて、俺の鼻先をかすめた。

 よろめく身体を立て直して、巡らせた視界の先には、人のような上半身を備えた大きな蜘蛛の魔物と戦う二人の姿。そのさらに奥には、蜘蛛の糸にがんじがらめに吊るされ、気を失っている幼い子供の姿があった。


「アヴローラ、ミーリツァ……!」

「まずいですよ。お二人の攻撃が通用していません」


 衛兵が切羽詰まった声で戦況を分析してくる。俺の目に映るのは、まさに彼の述べた通りの光景だった。


迅風パリィフ――」


 風を纏って斬り掛かるミーリツァの剣を、敵は粘着性の糸で難なく受け止め、


「――火焔プラーミャ!」


 追撃するアヴローラの炎もまた、敵に届く寸前で避けられ、スラムの壁を黒く焦がすばかり。

 二人の宝玉ジェムに宿る光は既に薄れかけている。今の彼女達が人々の応援から得られる魔力なんて、ただ一度の実戦で簡単に尽きてしまう程度でしかないのだ。


「おいおいお前ら、俺達の家を壊さねえでくれよ!」

「お前らが暴れなきゃ、蜘蛛の被害もそのガキ一人で済むんだからなァ!」


 そんな酷いヤジがあちこちの窓から聞こえる。俺は頭に来て思わず声を張り上げた。


「そんな言い方ないだろう! あんた達も応援してやってくれよ!」


 だが、頭上から返ってくるのは嘲笑の声ばかり。


「はぁ!? 俺達にあの姫サマ達を応援しろだぁ!?」

「貧乏人を追い返すような歌姫なんざ、誰が応援してやるかよ!」

「そうだそうだ! 魔物にやられて痛い目見やがれ!」

「く……!」


 やはり、オーディションで俺達がドミニーカにしてしまった仕打ちのことは、もうここの住人達にまで伝わっていたのか……!

 これでは、俺が出来ることなど何もない。可愛らしい衣装を着せ、目新しい歌を歌わせても、周りの人達がハナからアンチを決め込んでいては……。


「クソッ……!」


 アイドルは、支えてくれる人がいて初めてアイドルになれる。完全にアウェーのこの場所では、二人にどんな資質があっても……!


「キシャァァッ!」


 魔物がえ、蜘蛛の糸が鋭く風を裂いて伸びる。


「姫様っ!」


 アヴローラを守って突き出されたミーリツァの剣は、たちまち蜘蛛の糸に弾き飛ばされて石畳の地面に落ち、


「ミーリツァ!」


 互いを庇い合ってバリアを展開しようとした二人の身体を、真白い糸がまとめて絡め取った。


「く……うっ!」


 二人の素肌にぎりぎりと蜘蛛の糸が食い込む。衛兵がすらりと腰の剣を抜き、俺を守るように前に出た。


「いや、助けに入ってやってよ!」

「自分は閣下をお守りします。姫様達が助からなくても、閣下がご無事なら歌姫はまた生み出せます」

「そういう問題じゃないだろ!?」


 こうしている間にも、苦悶の表情でもがくアヴローラ達の前に、蜘蛛の魔物は醜悪な唸り声を上げてにじり寄っていく――

 万事休すかと思ったその時、俺達の後方から、だっと駆け出してくる一つの小柄な影があった。

 スラムに不釣り合いな真白いワンピースと、つやの出た茶髪のセミロング。衛兵の静止も聞かず、落ちたミーリツァの剣を拾い上げて、その少女が魔物を目掛けて地面を蹴る。


「ドミニーカ!?」


 俺は驚愕に目を見張った。あちこちの窓からも驚きの声が上がる中、彼女は両手でしっかりと剣を握り締め、跳び出した勢いのままに魔物に斬り掛かっていた。

 がきんと鋭い音を立てて、魔物の上半身の腕が剣を弾き返す。敢えなく地面に叩きつけられたドミニーカは、それでも剣を手放さず、再び立ち上がって魔物に向かっていく。


「無茶するな、ドミニーカ!」


 叫ぶ俺の眼前で、彼女の小柄な身体は再び魔物に弾き返されて地面を削った。


「……だって」


 蜘蛛の糸に捕らわれたアヴローラ達を、そして俺の目をしっかりと見て、この街の少女は声を絞り出す。


「だって、姫サマ達はアタシを守ってくれた。嫌なことばっかり言ったアタシを、それでも守って戦ってくれた。歌姫の仲間になんか入れてもらえなくたって――アタシも、おんなじように戦いたいんだっ!」


 三たび地を蹴る彼女の剣が、ずばっと小気味よく中空をぎ、アヴローラ達を吊るす糸を真っ二つに断ち切る。

 いましめから解き放たれた二人の身体が地面を転がる。追撃とばかりに剣を振り上げ飛び掛かるドミニーカの身体を、魔物の腕がばしりと弾き飛ばす。


「うぐ……!」


 血を吐き倒れるドミニーカに迫る魔物の巨躯を、糸を振り払い立ち上がったアヴローラとミーリツァのバリアがすかさず押しとどめた。

 衛兵が止めるのを振り切り、俺はドミニーカに駆け寄る。バリアの火花がばちばちとぜる中、ドミニーカは得意げに俺を見上げ、鮮血のにじむ口元でへへっと笑ってきた。


「……わかった、ドミニーカ」


 彼女の身体を助け起こし、俺は告げる。


「あのイヤミ野郎に言ってやるさ。劇場の予算なんか要らないって。俺達皆の力で国じゅうの人の心を掴んで、堂々稼いだカネででっかい劇場を建ててやろうぜ」

「! じゃあ――」

「ああ。君はエイトミリオンの仲間だ、ドミニーカ=ダスカー!」


 立ち上がった少女の瞳に熱い光が満ちる。周囲の窓からは、最早誰もヤジを飛ばす者はいない。


「歌え、ドミニーカ! 君の独擅場ステージだ!」


 音響魔法でスラムの空に溢れるのは、地面を踏み鳴らすような重厚なメロディ。

 ドミニーカの全身が光に包まれ、一瞬で衣装が書き換わる。俺が生成魔法で作り出したそれは、白黒のギンガムチェックのトップスに、シルバーの多層レイヤードミニスカート。激流を乗り越え夢に向かって進む、秋葉原エイトミリオンの往年の名曲「STREAMストリーム」の専用衣装――!


「行く手を塞いだ、川の流れを、いま、強く睨んで――」


 執念の炎を静かに立ち上らせるように、ドミニーカは歌う。片手にミーリツァの剣を、片手に魔法のマイクを握り締めて。


「誰が邪魔しても――何に阻まれても――」


 光のバリアで必死に敵を押し留めながら、アヴローラ達も振り返り目を見開いていた。スラムの少女が紡ぐ凛とした歌声、その力強い決意の歌詞に。


「僕らは跳ぶんだ――恐れを捨てて――あの流れの向こう――」


 ドミニーカの握る剣の刀身に、ミーリツァのものとは違う魔力のオーラが静かに流れ込んでいくのがわかる。萌える若葉を象徴するような鮮やかな緑の光が、渦をなして鋭い刃を取り巻いていく――。


「きっと――待ってる人のために――!」


 彼女が歌い終えた瞬間、周囲の窓から身を乗り出していた人々は、ハッと我に返ったように次々と声を漏らし始めた。


「なんだよあの大臣、話がわかるじゃねえか」

「いいぞ、ドミニーカ!」

「ドミニーカ、やっちまえ!」


 スラムの歌姫がこくりと頷き、マイクを放り捨てて剣を構え駆け出す。鋭く地面を蹴るその足が、振り上げたその刃が、まばゆい緑の閃光を纏う。


「――うりゃぁっ!」


 アヴローラ達のバリアが破られるその刹那、ドミニーカは烈風を纏って敵に突っ込み、迎撃の糸を斬り裂いて魔物の身体に一太刀を浴びせていた。

 返す刃で敵の上半身を逆風さかかぜに斬り上げ、軽く飛び退いて返り血を避ける。魔力を使い果たしたアヴローラ達を庇うように、ドミニーカは前へ前へと果敢に踏み込み、二太刀ふたたち三太刀みたちと蜘蛛の巨体に傷を刻んでいく。

 敵の鋭い爪の反撃を片腕に受け、石畳に血を垂らしながらも、ドミニーカは止まらなかった。窓という窓から溢れかえる声援を受け、オーラの風を更に強く纏って、彼女は一心不乱に魔物に斬り込む。


「あ、あれは……!?」


 俺の背後で女の驚く声がした。振り向くと、ハンカチで口元を押さえたファイーナが、使用人達に囲まれて息を切らしているところだった。


「どうして、あの子が戦っていますの!?」


 肩で息をしながら俺に詰め寄ってくる彼女。はらはらと揺れるその目が、捕らわれの弟を見て、アヴローラ達を見て、魔物と戦うドミニーカを見る。


「どうしてって? 君の弟を助けるために決まってるだろ」

「なんであの子が、あんなケガしてまで……!」

「傷ついても、蔑まれても、選びたい道のために立つ――」


 ファイーナの目を見て、俺は言った。


は、そういうヤツなのさ」

「……!」


 瞬間、ばちりと痛々しい音がして、ドミニーカの身体が宙に舞った。最後の力を振り絞って歌姫を弾き飛ばした魔物が、ぶしゅっと糸を吐きかけ、彼女の左腕を絡め取る。


「ちっ……!」


 ずざっと着地したドミニーカの腕を魔物が引き寄せてくる。彼女が右手一本で剣を振りかぶったとき、


「ドミニーカさん! お願い、負けないで!」


 令嬢が涙をはらして張り上げた声が、その刀身にこれまでにないまばゆさで閃光をほとばしらせた。

 薄暗いスラムを緑の光が染め上げる。魔物の糸を一振りで斬り払い、自由の身となったドミニーカに、俺は叫んだ。


「今だ、戦友!」

「食らえっ! ドミニーカちゃん必殺斬りっ!!」


 天地を貫く勢いで振り下ろされる必殺の剣が、蜘蛛アラクネアの巨躯を唐竹からたけ割りに斬り裂く。

 爆音を上げて破裂する魔物をバックに、彼女は剣を一振りして返り血を払い、俺達に向かってVサインを突き出してきた。


「す、すげえ……!」

「ドミニーカのヤツ、やりやがった!」


 スラムの人々から一斉に歓声が上がる。ミニスカートの裾をぴらっとつまんで、彼女はえへへと気恥ずかしそうに笑い、それから思い出したように捕われの子供の方へと向かった。

 蜘蛛の糸を斬り裂き、男の子を抱え上げたドミニーカのもとへ、ファイーナがほとんど抱きつくような勢いで駆け寄る。使用人達もそれに続いて彼女を取り囲んだ。


「ドミニーカさん、ありがとう……!」

「坊ちゃまを救って頂き、何とお礼を言ってよいか!」

「いやいや、やめてよ、そんな、アタシなんかに」


 ドミニーカは照れ隠しのようにほおをかいていたが、俺がアヴローラ達と一緒に歩み寄ると、彼女は俺達の顔を順番に見て言ってきた。


「悪くないね、人のために戦うのって。それに歌うのも」

「ああ。君にぴったりの道だろ」


 アヴローラも、ミーリツァも彼女に向かって頷く。ドミニーカが「うん」と嬉しそうに笑って頷き返したところで、ファイーナがふいに俺を見上げて言ってきた。


「大臣閣下。やっぱり、わたくしには無理ですわ」

「えっ!?」

「ドミニーカさんか劇場か、どちらかしか選べないなんて。わたくし、こう見えて欲張りさんなの」


 ふふっと悪戯っぽく笑って、彼女は続ける。


「父を通じて財務大臣さんにお願いしてみますわ。予算の一部を当家から献金するかわりに、歌姫劇場の建設を認めてくださるようにって」

「ファイーナ……」


 思わず笑みがこぼれるのを自覚しつつ、俺は猫被り令嬢の綺麗な目を見下ろして言う。


「それが君の本音か」

「ふふ。どうでしょう」


 ファイーナはドミニーカに向き直り、すっと手を差し出した。


「よろしくね。わたくしの同期さん」

「……照れるよ」


 鼻の頭をぜて、ドミニーカもその手を握り返す。


「わぁ、嬉しいわ。お二人が手を取り合ってくれて」


 アヴローラがぱんっと手を叩いて、それから二人の手を自分の両手で包み込んだ。ミーリツァも破顔一笑してその上に手を重ねる。誰の顔も、充実感とこれからの期待に満ち溢れていた。

 あちこちの窓から口笛や拍手の音が響いてくる。スラムの人々が彼女達を認めてくれた瞬間だった。


「わたし達皆の力で、国じゅうの人達を笑顔にしましょうね。オーセングラート・エイトミリオンの名にかけて」


 センターに立つ姫君の言葉に、皆はそれぞれに目を輝かせて頷きを返す。


 アヴローラ=アヴァンガールト、14歳。

 ミーリツァ=モースト、14歳。

 ファイーナ=コーシカ、17歳。

 そして、ドミニーカ=ダスカー、14歳。


 ここに誓いの拳を突き上げる彼女達こそ、後の国民的アイドル、オーセングラート・エイトミリオンの初代「七姉妹セブン・シスターズ」の四柱を担うことになる――のかどうかは、今は神すらも知らない話。

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