第12話 我が友ドミニーカ(上)

「いかがですかな、国防大臣殿。幸いにも貴殿はまだ合否の発表をしておられない。うっかり間違って書いてしまった名前をそのリストから抹消するのは、まだ間に合いますぞ」


 観衆の目と耳がステージに注がれる中、財務大臣は挑発的な視線を俺に向けてくる。俺が言い返そうとするより先に、すっと審査席から立ち上がって口を挟んでくれたのはアヴローラだった。


「頂けませんわ、財務大臣さん。その選考結果はわたしとミーリツァの声でもあるんですよ」

「誤解なさいますな、姫様。貧民の娘と歌うことを止めなどしておりませんよ。広場でも原っぱでもどこでもお好きなところで歌えばよろしかろう。ただ、国防大臣殿の権限を超える国費の支出に関しては、私めに決裁権があるというだけのことです」


 会場はざわついている。観衆の中には財務大臣寄りの反応を見せる人も少なくなかった。やはり、スラムの少女を歌姫に列することには抵抗感を抱く人も多い――この男はそうした民意を巧みに読んでいるのだろう。

 ドミニーカは静かにうつむいて拳を握り締めている。彼女のために俺が毅然きぜんと言い返さなければ。しかし、そうしたら、劇場建設の予算は……。

 俺が逡巡している間に、財務大臣は続けざまに言った。


「例えば、そう――その合格者リストには、コーシカ商会のご令嬢の名もありましたな」


 彼がステージ上から身体を向けると、皆の目がファイーナに集まった。当のお嬢様は如才なく彼に一礼する。


「ファイーナ=コーシカでございます。父がいつもお世話になっております」

「うむ。どうかね、ファイーナ嬢。貴君も歌姫に名を連ねることが決まったようだが。きらびやかな専用劇場で華々しく喝采を浴びるのと、貧民街の娘と手を繋いで露天で踊るのと……あたら若きその青春、二つに一つならどちらに捧げたいかね」

「……恐れながら、わたくしの口から申し上げることではございませんわ、財務大臣閣下。何事もお偉い方々の御意ぎょいのままに」

「ほう。わきまえておられる」


 イヤミ大臣は満足げに口元をつり上げ、再び俺に顔を向けた。


「聞いた通りです、国防大臣殿。貴殿がこの場でお決めになるがよろしい。劇場か、貧民の娘か」

「く……ヒキョーな……!」


 悔しいが、俺はすぐに言い返す言葉を見つけられなかった。

 アヴローラから王様に掛け合ってもらっても無駄だろう。財務大臣には財務大臣の正論があるのだ。あの王様は、ここで彼の顔だけを一方的に潰すような人じゃない……。

 俺がぎりっと奥歯を噛んだ、そのとき。


「もういいよっ!」


 ステージの下から、涙交じりのドミニーカの声が響いた。


「わかってるよ。アタシなんかが入れてもらおうってのが間違いだったんだ」


 ざわざわと観衆達の声が上がる中、彼女は涙をためた瞳で俺を見上げて、にこりと無理な笑顔を作ってきた。


「大臣さん、ありがとね。アタシのために迷うフリしてくれて」

「ドミニーカ!」


 それきりきびすを返し、彼女はだっと人混みの中を駆け去っていく。その小さな背中を追おうとした俺の手を、背後からミーリツァの手が掴んだ。


「閣下!」


 振り向き見下ろした騎士娘の顔の上には、キャプテン適性を示す無数の星が揺れている。


「お気持ちはわかります。ですが今は、グループのこと、我が国のことをお考えください」


 彼女の後ろでは、アヴローラも悔しさに耐えるように唇をきゅっと絞っていた。勝ち誇った顔をしているのは、鷲鼻のイヤミ野郎ただ一人だけ……。


「……わかったよ」


 決して納得しきれない気持ちを胸の奥に飲み込んで、俺は居住まいを正してステージの中央に歩み出た。


「……合格者の名前を読み上げます。呼ばれた人から壇上に上がってください」


 康元やすもとプロデューサーもこんな思いを味わったことがあるのだろうか、と頭の片隅で思いながら、合格者リストの魔導紙マピルスを広げ、俺は少女達の名前を読み上げていく。


「ミラナ=ヴィルシーナ」

「は、はいっ」

「ノンナ=レーチカ」

「はぁーい」

「スヴェータ=グリツィーニヤ」

「はーいっ」


 自信をもってそこに書きつけたドミニーカ=ダスカーの名前は、もう呼ばれることはない。


「リーナ=ザカート」

「はいっ!」

「カミラ=ベーレク」

「はい」

「ファイーナ=コーシカ」

「はぁい」


 ……総勢21名の名前を読み上げ、俺は「以上」と宣言した。

 それぞれに緊張や喜びの色を浮かべて、壇上に勢揃いする歌姫候補達。一方、広場に残った不合格者達の中には、露骨につまらなそうな表情をする子もいれば、顔を覆って泣き出す子もいた。

 料亭の看板娘のマトリョーナも、病弱なスニェーシカも。あの子達を落とした俺の判断が正しかったのかは、女神の授けた神の慧眼プロデューサー・アイも教えてくれない。


「センターのアヴローラ=アヴァンガールトですわ。皆さん、これからよろしくね」

「キャプテン名代のミーリツァ=モーストです。大臣閣下の仰った通り危険な任務ですが、一人も脱落者が出ないことを願っています。力を合わせて頑張りましょう」


 二人の訓示を受け、合格者達は異口同音に「はい」と答える。

 割れんばかりの拍手に讃えられ、少女達がばらばらと揃わない動きで会場に向かって礼をしている間も、俺の心にはドミニーカのことが残って離れなかった。



 ◆ ◆ ◆



「はぁ。なんでこうなるかなあ……」


 衛兵達が撤収の準備をしてくれている間、俺はステージから離れ、馬車の繋ぎ場の辺りを一人でぶらついていた。頭の中にぐるぐると渦巻くのは、涙を散らして駆け出していくドミニーカの背中ばかりだ。


「……やっぱ、身分ってやつが諸刃の剣なんだよなあ」


 俺自身も大臣の身分があるから好き勝手できているのだし、アヴローラがお姫様だからこそ皆が付いてくるってのもわかってはいるけど……。

 割り切れない気持ちを反芻はんすうしながら俺が歩いていると、一両の大きな馬車の陰から、ふと話し声が聞こえてきた。


「お疲れ様でした、お嬢様。先程は大変でしたね」

「ほんっとに。でも安心したわ、スラムの貧乏人が追い出されてくれて。財務大臣サマサマよ」


 その声の主があのファイーナと使用人であることは、詳しく聞き耳を立てるまでもなくわかった。


「でも、他の子達もお嬢様と釣り合わない庶民ばかりですよ」

「まあ、そのくらいは我慢するわよ。お父様の命令だもの。ここであの姫様を通じて王室とのパイプを強固にできれば、当家の商売のためにもなるわ」


 あー、思った通り、仮面の下の素顔はこんな感じか……。

 聞き耳を立てているのも趣味じゃないので、俺はさっさと彼女の前に姿を現すことにする。


「ふーん。それが本音なんだ」

「っ!? だ、大臣閣下……!」

「いいよいいよ、かしこまらなくて。これからメンバーとプロデューサーの仲になるんだから、もっとくだけてくれてもさ」


 俺が言うと、ファイーナはバツの悪さと恥ずかしさが混ざったような顔になって、おずおずと尋ねてきた。


「……わたくしに幻滅なさいました?」

「別に? 君が猫被ってんのは見ればわかるし。君もその歳で色々背負わされて大変だよね」


 睫毛まつげの目立つお嬢様の瞳が、ぱちぱちと二度ほどしばたかれる。

 彼女のせいでドミニーカが追い出されたわけでもないし、現代日本の価値観で彼女を叱ったって仕方がない。それよりも、人前であれだけちゃんと猫を被れているならアイドルとしても上手くやっていけるだろう、というのが俺の正直な見立てだった。


「君にしか出来ない役目を果たしてくれれば文句は言わないよ。皆の前ではしっかり猫被っときな」

「……恐縮ですわ」


 彼女が頷いたとき、路地の向こうから、慌てた様子で走ってくる複数の足音がした。


「お嬢様! お嬢様ーっ!」


 はぁはぁと息を切らしてファイーナの前に駆け寄ってきたのは、彼女の傍の使用人と揃いの服を着た二人の男性だった。


「申し訳ございませんお嬢様。坊ちゃまが……坊ちゃまが、魔物に連れ去られて……!」

「えぇっ!?」


 黄色い声を裏返らせるファイーナと一緒に、俺も目を見張った。


「そんな、レーフはお芝居を見てたはずでしょう!?」

「それが、観劇の後、私どもが目を離したスキに居なくなられて……! 路地裏から坊ちゃまの叫び声が聞こえて、私どもが駆けつけた時には、水路に魔物の粘液の痕が……!」


 彼らの言葉に嘘はなさそうだった。王都近傍に巣食う魔物が、餌を求めて街にまでやって来ることがあるのは俺も当然知っている。

 アヴローラ達を向かわせなければ、と俺がきびすを返そうとしたところで、ファイーナが血相を変えて俺に懇願してきた。


「大臣閣下、弟を……弟を救ってくださいませんか!?」

「ああ、もちろん。必ず助ける」


 急いで広場に戻ると、既に衛兵達がざわついているところだった。


「あっ、閣下!」

「王都に魔物が出たって!?」

「お聞き及びでしたか。ちょうど市民から通報があり、警衛兵が追跡に向かったところです」

「いやいや、歌姫を出さないとダメでしょ! アヴローラ、ミーリツァ、行くぞ!」

「お待ちください閣下!」


 二人に声を掛ける俺を、衛兵の一人が遮る。


「魔物は恐らく、スラムの地下に巣食う蜘蛛アラクネア。そんなところに姫様を向かわせる訳には行きません。兵士で対処すべき事案です」

「魔法も使えない普通の兵隊だろ!? その人達にムリさせないために歌姫がいるんじゃないか!」


 十分な魔力を持つ歌姫の戦闘能力は、一般兵士の何十人分にも匹敵する。アヴローラ達を行かせなければ無駄に犠牲が出るだけだ。

 そこへ、使用人と一緒に駆け寄ってきたファイーナが、俺と衛兵達、そしてアヴローラ達を見回して声を上げた。


「お願いします! どなたでも構いません、弟を救ってください!」


 その一言で事態の全てを察したらしい二人の歌姫は、どちらからともなく頷き合った。


「行きましょう、ミーリツァ」

「ええ。誰か馬車を!」


 衛兵の回してきた馬車に、俺も二人と一緒に乗り込む。

 闘志に燃える歌姫達を止められる者は、誰もいなかった。

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