第7話 歌姫嫌いの少女

 広場でのミニライブは滞りなく進んだ。開演前はあれほどまばらだった観客も今や目測で五十人を超え、ざわめきの渦が壇上のアヴローラとミーリツァを包んでいる。


Surelyシュアリィ――Surelyシュアリィ――好きだったんだ、きっと――」

「太陽の下――僕は君を探す――」


 神の慧眼プロデューサー・アイが見出した逸材だけあって二人とも本番に強いのか、ミニスカートを恥ずかしがっていた開演前の面影もない。最初はその格好に眉をひそめていた人達も、二人の堂々としたパフォーマンスに飲まれ、いつしか生脚から目を背けることも忘れて彼女達に惜しみない声援を送っていた。


Surelyシュアリィ――Surelyシュアリィ――好きだったんだ、きっと――」

「恋に落ちたら――叫びたくもなる――」

「能書きSurelyシュアリィ――!」


 弾けるような歌声でラストの曲を歌い終えた二人を、人々は割れんばかりの拍手でたたえる。

 ほおを上気させ、ひたいに汗をにじませた二人は、人々に向かって深く整ったお辞儀をした。一層多くの拍手と歓声に包まれながら頭を上げた二人の顔は、清々しい充実感と達成感に満ちているように見えた。

 ……だが、ここからだ。このミニライブは前座に過ぎない。21世紀の日本を席巻したエイトミリオン商法の真骨頂は、この後の握手会にこそある。


「大臣さんっ。凄いですわ、ミニライブは大成功です!」


 俺が従兵に付き添われてステージのすぐ下まで歩み出ると、アヴローラが飛び跳ねんばかりの勢いで壇上から声を掛けてきた。ミーリツァも思い出したようにスカートをちらちら気にしながら、それでも俺に笑顔で会釈してきた。

 ふっと苦笑してから、俺は軽く咳払いして人々を見渡す。

 親子連れもいれば老人もいる。質素な身なりの若者もいれば、召使いらしき人を従えた裕福そうなおじさんもいる。そして、その人だかりの奥には、頭巾ずきんで目元を隠したあの小柄な少女も……。

 この中の何人をファンにできるか。ここからがアイドルの、そしてプロデューサーの腕の見せ所だ。


「皆さん、お集まり頂きありがとうございます。まだ帰らないでくださいねー、ここからが本番なので」


 魔法のマイクを介して俺の声が広場に響く。人々はざわざわと口々に騒ぎ立て、何が始まるのかという目で俺やアヴローラ達を見ていた。


「これより、アヴローラ王女殿下とミーリツァ嬢の握手会を行います。ご希望の方はこちらに並んでくださーい」


 俺が手で示すのに合わせて、警備の兵士達が事前の打ち合わせ通りにロープを持って並び、ステージまで続くレーンを人々の前に形作った。


「何だありゃ?」

「アクシュカイって何?」

「まさか、姫様達とお話できるのか……?」


 人々は戸惑いながら言い合っている。その一人の言葉をとらえて、俺は「そのまさかです!」と声を上げた。


「ささ、皆さん。遠慮してないでレーンへ。本当は握手券っていうのを買ってもらわなきゃいけないんですけど、彼女達は活動を始めたばかりなので特別サービス。皆さん無料で、二人とそれぞれ10秒ずつお話できます!」

「アクシュケン……?」

「10秒だって……?」


 誰一人としてその意味を100パーセント理解している者はいないようだが、それでよかった。これからその威力を知ってもらうのだから。


「最初の方、どうぞー」


 俺の呼びかけに応えて、若い男性達が数人、顔を見合わせながらおずおずとレーンの中を歩み出てくる。アヴローラ達に「よろしく」と声を掛け、俺はレーンの横に控えて見守りモードに入った。

 兵士に案内され、いよいよ最初の男性が二人の前に立つ。

 迎える側の二人の顔にもやや緊張の色が浮かんでいるが、そこはそれ、仮にも王族と貴族である。庶民とこんな距離で向き合うことは初めてでも、流石に度胸はわっていた。

 先にお客さんの手を握るのは、右側に立つアヴローラ。教えた通りに彼女が手を差し出すと、相手の男性もキョドキョドしながら彼女の手を取った。


「ご機嫌よう。オーセングラート第四王女、アヴローラ=アヴァンガールトですわ」

「ご、ご、ご機嫌うるわしゅう」


 男性はいかずちに撃たれたような衝撃に身を強張こわばらせ、声を震わせている。

 両手で客の手を包み込む神対応握りとか、恋人繋ぎとかまではまだ教えなくて正解だった。一国の姫が――いや、まぶしい笑顔で歌い踊っていたアイドル衣装の女の子が、目の前で手を握ってくれるというだけで、アイドルを知らないこの世界の人の心臓を撃ち抜くには十分だった。


「お、お姫様と、こんなっ」

「お時間です」


 砂時計を持たせて「がし」の役を命じておいた兵士が、トントンと後ろから男性の肩を叩く。「えっ」と訳も分からず誘導される彼に、アヴローラが「またいらして下さいね」と微笑みかける。

 その笑顔の余韻も冷めやらぬ内に、今度はすぐ隣のミーリツァが彼の手を握るのだ。


「はじめまして。キャプテン代理を務めますミーリツァ=モーストです」

「きゃ、きゃぷ……?」

「あなたは幸運ですよ。この世で初の握手会の客となったのですから」


 気品と可憐さの同居するお姫様の笑顔とはまた違う、騎士娘のりんとした微笑。彼が骨抜きにされてレーンを出る頃には、もう次の男性をアヴローラが仕留めに掛かっている。


「わたし達は皆さんのために歌いますわ。また聴きにいらして下さいね」

「はっ、はいっ、必ず」

「お時間です」


「歌姫は民衆の助けなくして戦えません。頼みます、我々に力を」

「えっ、はい、応援してます」

「お時間です」


 一人また一人と客達が握手を体験するたび、レーンを囲む人々の顔色も変わってゆく。「どうやらこれはとんでもないことが行われているらしい」――それに気付いた者から我先にとレーンに押し寄せ、しまいにはミニライブを聴いていなかった人達まで次々と加わって、あっという間に何十人もの行列が出来てしまった。


「まさか王女様に手を握ってもらえるとはの……長生きしてみるもんじゃ」

「ふふ。またお元気で会いにいらして下さいね」


「つ、次はいつ歌いに来てくれるんだい」

「皆さんがわたし達を忘れてしまう前には、必ず」


 歌姫の使命を果たしたがっていたアヴローラは勿論のこと、ミーリツァも初めてで立派にファン対応をこなしてくれている。二人と話した人達は皆、男も女も老いも若きも、ことごとく彼女達のとりこになってしまったように見えた。


「お時間です」

「えっ、まだっ、あっ」


 たった10秒では何も話せず、名残なごり惜しそうにがされていく人も多かった。当のアヴローラ達もあまりの時間の短さをまだ飲み込みきれていない感があるが、しかし、これでいいのだ。一度の逢瀬おうせが極端に短いからこそ、また会いに来たいと思ってくれる。

 そう、握手会は麻薬なのだ。単に手を握ることではなく、アイドルという特別な存在と一対一で話せる時間こそがその本質。ひとたびその魅力を知ってしまえば、もう在宅には戻れない。


「……よし」


 この世界初の握手会はどうやら大成功に終わりそうだ……と思った、その矢先。

 レーンの盛況ぶりに満足して頷いていた俺のもとへ、一人の兵士が困った顔をしてやって来た。


「恐れながら、大臣閣下」

「どしたの?」

「あの少女を握手会の列に入れて良いものかと、我々では判断がつかず……」


 彼が手で示した先には、誰あろう、例の頭巾ずきんを被った少女の姿があった。別の兵士二人に行く手を塞がれ、彼女は何か文句を言っているように見える。


「あの子……」


 俺がつかつかと彼女の方へ歩み寄ると、兵士達が気付いて道を開けた。

 俺は改めて少女の姿を見る。アヴローラやミーリツァと比べても小柄な少女だ。頭巾から覗く顔立ちは可愛らしいが、肩にかかる茶色の髪は無造作にくるくるとね、日々の暮らしに苦労している感がにじみ出ていた。


「その子がどうしたって?」

「大臣閣下。この者が握手会に参加したいと言うのですが、その……」


 歯切れの悪い兵士の言葉を遮る勢いで、少女がギラリと俺を睨み上げてくる。


「なによ。アタシみたいなスラムの子には、歌姫サマは手を差し伸べてくれないってわけ?」

「そんなことは――」


 すすに汚れた顔の彼女と、目が合って一秒。

 例によって例の如く、彼女のアイドルステータスが俺の意識に流れ込んでくる。


***********


 ドミニーカ=ダスカー

 Доминика Доска


 年齢:14歳

 血液型:A型

 身長:154cm

 出身:王都オーセングラート近傍スラム


 ルックス:★★★★☆

 スタイル:★★★☆☆

 歌唱適性:★★★☆☆

 ダンス適性:★★★★★


 ファン対応適性:★★★☆☆

 グラビア適性:★★★★☆

 バラエティ適性:★★★☆☆

 キャプテン適性:★★☆☆☆

 センターオーラ:★★★☆☆


***********


「普通……か」

「は? 何がフツーなのよ、おエライさん」

「いや、ごめん、こっちの話……」


 アヴローラ達の極端なステータスを見た後だからか、このドミニーカという少女のそれは極めて平凡に思えた。というか、その三人以外のステータスを見たことがないので、全体的にこれが高いのか低いのかはイマイチわからないが……。


「それで? アタシもあの二人と握手させてくれるの、くれないの?」

「貴様、閣下になんて口の利き方を――」

「いいから、いいから」


 怒る兵士を遮って、俺は彼女と向き合う。

 ミニライブの最中、何だか凄まじい眼力でステージを睨んでいた彼女。歌姫にどんな思いがあるのかは知らないが、少なくとも現代日本出身の俺には、貧富とか身分とかいった理由で彼女を門前払いする気はない。


「いいよ、せっかく足を止めてくれたんだから握手していきな。危害を加えたりしないならね」

「危害? アタシが刃物でも持ってるっての?」


 ぱっぱっと両手を開いて、少女はふふんと挑発的な目で俺を見てくる。やれやれと苦笑して、俺は彼女をいざなう形できびすを返した。


「来なよ、ドミニーカ」

「!? なんで、アタシの名前……!?」

「それは俺がチート魔法の使い手だからだ」

「チート……?」


 少女ドミニーカは目を丸くして俺に付いてくる。ちょうど、アヴローラ達はレーンの客の全員をさばき終えるところだった。


「最後の一人だよ」


 群衆の中にはドミニーカに怪訝けげんそうな目を向ける人もいたが、流石にアヴローラ達は色々とわきまえているのか、少なくともこの最後の客の格好を見て顔色を変えるようなことはなかった。


「ご機嫌よう。アヴローラ=アヴァンガールトですわ」


 王女の差し出す手をスラムの少女が握り返す。念のため、兵士達と一緒にすぐ近くで俺も彼女を見張っていたが、幸いにもケープの奥から刃物が飛び出してくるようなことはなかった。

 が、しかし――。


「アタシは、歌姫なんか嫌いだ」


 刃物の代わりに飛び出した言葉の矢が、アヴローラと隣のミーリツァを絶句させる。

 剥がし役の兵士がすぐさま彼女の肩に手を掛けようとしたが、俺は目線でそれを押しとどめた。

 アンチの説教もまたアイドル現場には付き物。せめてもう少し言い分を聞いてみなければ、出禁できんの判断はできない。


「どうして……?」


 アヴローラが気丈に訊き返す。ドミニーカは針の貫くような視線で彼女を睨み、そして語気鋭く言った。


「だって、アンタの母親は、アタシの村を守ってくれなかった!」

「え……?」


 もう10秒などとうに過ぎている。だが俺は止めなかった。他の客と不公平だとかそういう次元ではなく、俺達には彼女の話に耳を傾ける責任があると思った。


「姫様のお母上……亡き王妃殿下が……?」


 ミーリツァも呆然とした声で呟いている。アヴローラの母親といえば、アヴローラに歌姫ディーヴァ宝玉・ジェムを受け継がせた先代の歌姫だったと俺も聞いているが……?


「……違いますわ。お母様は、あの時」


 アヴローラが震える声で言い掛けたその時、全ての空気を引き裂く勢いで、フォォ、フォォと風鳴りのような音が周囲に鳴り響いた。

 従兵がふところから透明の球体を取り出し、俺に叫んでくる。


「大臣閣下! 魔物の襲撃です!」

「えっ――」


 球体の中に立ち込める赤い煙。俺が戸惑うよりも早く、ミーリツァが戦士の目になって従兵に尋ねる。


「場所は!?」

「王都近郊、ボーク・ポーリェ!」

「姫様、閣下、行きましょう!」


 アヴローラの手を引き、俺にも呼びかけて、騎士娘は馬車へと走る。俺はハッと閃いてドミニーカに告げた。


「君も来るんだ、ドミニーカ!」

「えっ!?」

「君の村に何があったかは知らないけど、あの子達は助けを求める人を見捨てはしない」

「なんで、そんなこと――」


 困惑するスラム少女の手首を掴み、俺は二人を追って駆ける。


「俺の作るアイドルグループがどんなものか、君にも見せてやる!」

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