第6話 ファースト・ステージ

「この歌姫ディーヴァ宝玉・ジェムを、わたしに?」


 がらごろと揺れる馬車の中、ミーリツァは俺の差し出したペンダントを見てぱちりと目をしばたかせた。彼女の隣では、胸元に同じものを掛けたアヴローラ姫が嬉しそうに微笑んでいる。


「わたしとお揃いよ、ミーリツァ」

「それは光栄ですけど……」


 ウズラの卵大の真新しい宝玉を見て、騎士娘は照れくささと困惑の入り混じったような顔をした。

 亡き母の形見かたみだというアヴローラの宝玉ジェム褐色かっしょくに染まっているのに対し、魔導院で新調したばかりのミーリツァのそれは、無を表象するかのような静かな漆黒をたたえている。

 人々の声援によって魔力を得れば、ミーリツァの宝玉ジェムも彼女だけの色に輝くらしい。


「しかし大臣閣下、これは魔力を増幅したり蓄積したりする道具ではありません。本人に今どれだけの魔力があるかを示す計器はかりに過ぎませんよ?」

「ああ、知ってる。それでも持っててほしいのさ」

「……?」


 ミーリツァはアヴローラと顔を見合わせ、キョトンとしながらもペンダントを首に掛けた。

 俺が魔導院の職人達から受けた説明によると、この宝玉ジェムは要するに、歌姫の力を民衆にアピールするちょっとした小道具のようなものらしい。これがなくても魔力の行使に差し支えはないのだが、むしろ、魔力の源でもなければ魂の器でもない、見た目が綺麗なだけのただの小道具というところが俺の気に入っていた。

 これから多くの少女達を集めてグループを結成しようというのだ。ステージ衣装だけでなく、彼女達が普段から身に付けられる揃いのアイコンのようなものがあると都合がいい。


「ああ、今日は気持ちいい秋晴れ。わたし達の最初の晴れ舞台に持ってこいだわ」


 車窓から差し込む日差しを受けて、アヴローラは上機嫌に鼻歌なんて口ずさんでいる。俺が魔法で教えたばかりの秋葉原エイトミリオンのバラード、「花開く桜たち」だ。

 聞けば、この世界にも日本の桜とよく似た花があり、春には一斉につぼみを開いて街並みを彩るらしい。


「君は全然緊張しないねえ」


 俺が言うと、姫はくすりとはにかんで答えた。


「緊張より楽しみの方がずっと大きいですわ。うふふ、わたし達のパフォーマンスで街の人達のお鼻を明かしてあげましょう」

「ミニスカにはもう慣れたのか?」

「っ! そ、それは、おいおい慣れますっ」


 今はまだ普通に長丈のワンピースを着ているのに、彼女は律儀にほおを赤らめて脚を隠すような仕草をしている。

 俺がくくっと意地悪く笑っていると、ミーリツァがじっと神妙な顔で言ってきた。


「そのミニスカですが、閣下。せめてわたしだけでもズボンパンツスタイルにできません?」


 真面目な顔してしれっとそんなことを言う彼女に、アヴローラが横から突っ込む。


「ちょっと、自分だけズルいわ」

「だってわたしは剣で戦うんですよ。姫様は遠距離から魔法撃つだけだからいいじゃないですか」

「よくないわよ! ミーリツァこそ、お、男の子と一緒に水浴びしてたことあるんだからいいじゃない」

「そんなの3歳くらいの頃の話じゃないですか!」


 相変わらず仲の良い二人のやりとりに俺は苦笑しつつ、わざと重たい声で「ダメだ」と首を振る。


「あの衣装はアキバのアイドルの魂。二人とも恥じらいを捨てたまえ」

「……わかってますわ。中は黒パンだから大丈夫なんでしょう?」

「……わたしは姫様がいいなら」


 流石に彼女達も本気で衣装のことを言い続ける気はないのか、観念したように二人揃って頷いた。よしよし。

 まあ、時にはズボンやロングスカートの衣装があってもいいが、やはりアイドルの基本はスカートひらりと相場が決まっているというものだ。恥ずかしくても二人には慣れてもらわないといけない。これからオーディションで集める少女達にも……。


 そうこうしている内に、いよいよ馬車は石畳の街路を抜け、王都の中央広場へと辿り着いた。

 広場の周囲には警備の衛兵達が事前にスタンバイしてくれている。この時間に歌姫の催し物をやることは前日の内から告知していたので、広場には既に街の人々が大挙集まって……いるかと思いきや。


「……あれ」

「あら」

「あれだけ?」


 俺達三人の声は奇しくも重なった。今日は第七日シェミヂェーニ、俺の世界で言うところの日曜日のはずだが、広場にずらりと並べられた木製の長ベンチには、ひぃふぅみ……僅か七人ばかりの姿しか見えなかった。

 幼子を連れた夫婦が一組と、暇そうなおばさんが二人、眠そうな爺さんが二人だけ……。道行く人達はチラチラと広場の様子をうかがってはくるが、そのまま通り過ぎていくばかり。


「あー……。歌姫がオワコンってこういう……」


 分かっていた話とはいえ、歌姫への人々の関心がここまで低いとは俺も思わなかった。一応、アヴローラ姫が民の前で歌うという触れ込みで立て札を出したはずなのだけど、それでもたった七人って……。

 車窓から外を覗き、アヴローラは先程までの弾んだ感じから打って変わって沈んだ顔になっている。ミーリツァも平然を装ってはいるが、意気消沈は隠せない様子だった。

 どうする。こんな時こそ、プロデューサーの俺がしっかりしないと……。


「まあまあ、落ち込んでても始まらないって。オワコンだったのは今までの歌姫だろ。これから歴史を塗り替えるんだから」


 秋葉原エイトミリオンの黎明を思い返し、俺は魔導ガラスの窓をコンと手の甲で叩いて言った。


「俺の知るアイドルグループも、小さな劇場で僅かな観客を相手に歌い始めて、数年で国民的アイドルと言われるまでになったんだ。あの七人の観客をいずれ数千人、数万人にする。君達はパイオニアだ。全てはここから始まるんだよ」

「ぱいおにあ?」


 小さく首を傾げながらも、アヴローラはその瞳に元気を取り戻し、「そう、そうよ、そうですわ!」と変格活用のように繰り返した。


「ねえ、ミーリツァ! そんなに落ち込んでないで気合い入れなきゃ!」

「いや、落ち込んでたのはどっちかっていうと姫様でしょ?」


 よしよし、二人のテンションはもう大丈夫だ。頼むぜ、初代センターと初代キャプテン。

 俺は二人に手をかざし、「能書きSurely」の衣装を思い描いてパチンと指を鳴らした。ぱぁっと馬車の中が閃光に満ち、一瞬にして二人の装束が赤紺チェックのエイトミリオンスタイルへと変わる。

 広場の魔時計まどけいが昼十時の鐘を打つ。魔法のマイクを握り締めた二人と頷き合い、俺は広場一帯をめがけて音響魔法を発動させた。

 ずしんと胸を打つような大音量のメロディが、たちまち空間一杯に響き渡る。


О-オーсен-、セン、градグラート――Eightエイト Millionミリオン!』


 DJ風の男の声とともに、重厚な序曲オーバーチュアの調べがびりびりと空気を揺らす。ベンチの観客や警備の衛兵達、道行く人々、そして当のアヴローラ達までもがその音の衝撃に目を見開いている。


『Everybody!

(――さあ、オマエら、)


 A live act never seen before!』

(――見たこともないライブが始まるぜ)


 どこからともなく響くDJ風のあおりに、人々は驚き周りを見回す。ここが俺の世界なら、劇場はサイリウムの光に満たされ、観客ドルオタ達のMIXミックスの声がやかましく木霊こだましているに違いない。


『Here in world famous Осенград,

(――天下に名高きここ王都オーセングラートに、)


 These angels have come down to perform for you!

(――オマエらのために歌い踊る天使達が舞い降りた)


 Are you ready?

(――準備はいいか?)


 Are you ready!?』

(――準備はいいな!?)


 そして、ばぁんと爆発音が弾け――


「さあ、見せつけてこい!」

「はっ」

「はいっ!」


 その笑顔を希望の色に弾ませて、二人が馬車から飛び出す。アヴローラの黄金のロングヘアーが、ミーリツァの栗色のポニーテールが、ふわりと秋風をはらんで俺の目に残影を引く。

 わっと驚く観客達を前に、恥じらいを勇気で吹き飛ばした二人が、ひらりとスカートをひるがえして歌い始める。最初の曲は秋葉原エイトミリオンの黎明期のナンバー「愛したかった」――俺の世界では誰もが知る、そしてこの世界の人々には全てが新しい一曲だ。


「恋したくて――愛したくて――」


 軽快なステップを踏んで歌い踊る二人の姿に、人々は稲妻に撃たれたように釘付けになっていた。彼らの目にはあまりに鮮烈な衣装、彼らの耳にはあまりに斬新な音楽。道行く人々も次々と足を止め、何だ何だと広場に集まってくる。

 大音響にかき消されて言葉は聞き取れないが、彼らは驚いた顔でアヴローラ達を指差しては、あれこれと言い合っているようだった。

 あんぐりと口を開けたまま目をしばたかせる老人もいれば、何やら興奮して人を呼びに走る若者もいる。手で目を覆ったふりをして二人を見続けている兵士もいれば、露骨に彼女達の生脚を凝視している男もいる。「見ちゃいけません!」――多分そんなことを言いながら男の子を引き寄せる母親の姿もあった。

 誰の顔にも書いてある。「自分達の知る歌姫とは違う」と。


「やっと目覚めた――この想いに――」

「突き動かされて――」

「僕は君の待つ場所へ――」

「急ぐ――」


 そして、二人の歌唱はあっという間にサビに差し掛かった。一層の輝きを笑顔に乗せて、息の合った二人の歌声が観客達の意識を塗り潰してゆく。


「恋心――隠しておけず――」

「君の前――顔でバレてる――」

「恋心――隠せないなら――」

「君の前――出してしまおう――」


 俺もまた一人の観客となって、彼女達の歌い上げるサビのメロディに聴き入っていた。

 生で見た者にしか伝わらない理屈抜きの衝撃。刮目かつもくしろ異世界、これがアイドルだ――!


「恋したくて――愛したくて――いたくて――Yeah!」

「き、み、と――!」


 二人が一番ファースト・バースを歌い終えてびしっと振りを決めた直後、半秒置いて客席からわぁっと声が上がった。

 ぺこりと律儀にお辞儀をする二人に、観客達からばらばらと賛辞の声が浴びせられる。二番セカンド・バースを歌い始める彼女達に注がれる好奇の目と歓喜の声は、気付けば何十人分にも膨れ上がっていた。


「すげえ……」


 女神の授けた神の慧眼プロデューサー・アイは間違っていなかった。握手会の前座のミニライブのまだ一曲目。たった一曲で、彼女達はこの場の民衆の心を掴んでしまったのだ。


「……ん?」


 と、広場に集まってくる人だかりを見やっていた俺は、ふとその奥に気になる人影を見つけた。

 質素なケープを羽織り、頭巾ずきんをパーカーのフードのように深く被った小柄な少女だ。多くの人達が仲間と連れ立ち、我先にと前へ前へ出てくるのに対し、その少女は人だかりの奥の方に一人でぽつりと立ち、じぃっとアヴローラ達を見ているようだった。

 少女の目元がちらりと見えたが、流石にこんな距離からではステータスは見えない。それよりも、すすともちりともつかない汚れにまみれた彼女の顔に浮かぶ、何か凄まじい執念しゅうねんの炎のような表情だけが、俺の意識を捉えて放さなかった。

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