第3話 異世界アイドル第一号

 緑の草原を蹴立てて馬は駆ける。ミーリツァの背中の剣を掴み、振り落とされないようにバランスを取りながら、俺は聞いた。


「歌姫ってさあ、魔法で戦えるんだろ!?」

「ええ。何をそんな当たり前のことを!」

「じゃあ大丈夫なんじゃないの? あの姫様、自分で歌姫って言ってたし、センターオーラ抜群だったし!」

「無理ですよ! センターオーラというのは存じませんが!」


 ミーリツァの切羽詰まった声。それを裏付けるように、地平の彼方の凄絶な戦いの様子がすぐに俺の目にも見えてきた。


「あれは……!?」


 濛々もうもうと立ち込める土煙の中、懸命に剣や槍を振るう大勢の兵士達。それをあざ笑うように、棍棒の一振りで彼らをまとめて吹っ飛ばす巨大なトロール。女神の空間で見たあの魔物だ。

 そして――


「アイツ、何して……!」


 その戦いの渦中にアヴローラは居た。馬から降り、トロールと戦う兵士達の後ろを右往左往しては、彼らに向かって必死に何かを訴えているようだった。


「……皆さんっ。皆さんっ、お願いします!」


 やけに通りの良いアヴローラの声が、風に乗って俺の耳にも届く。


「わたしの歌に声援を! 力をくださいっ!」

「姫様!」


 何人かの兵士達が、敵から庇うように彼女の周りを取り囲んでいる。

 俺達の馬はそのすぐ傍に滑り込んだ。ミーリツァと俺が急いで馬から降りた時には、アヴローラは胸元から引っ張り出した小さなペンダントを握りしめ、澄んだ声で歌い始めていた。

 過酷な戦場と不釣り合いな、ゆったりしたバラード。この国の言葉で平和を祈る歌詞を、彼女の可憐な声が紡いでいくが――。


「閣下。彼らをご覧ください」


 ミーリツァが俺に耳打ちしてくる。俺は言われるがまま兵士達を見回した。

 男達はトロールと戦うのに必死で、誰もアヴローラの歌になど興味を示していない。棍棒に吹っ飛ばされて倒れた兵士達から、こんな悪態まで聞こえてくる始末だった。


「声援をって、言われてもなぁ……」

「ガキの頃から聞き飽きた歌……。今更何を楽しめってんだよ」


 彼らの声が聞こえているのかいないのか、アヴローラは目に涙をうるませ、それでも懸命に歌い続けていた。その声が少しずつ嗚咽おえつに震え、トロールの唸り声と剣戟けんげきの音にかき消されていく。

 アヴローラがちらりと手の中のペンダントに目を落とすのが見えた。華奢な手に収まった小さな卵型の宝玉が、くすんだ褐色かっしょくに染まっている。


「これが、この国の現実なのです」


 背中の剣をすらりと抜きつつ、ミーリツァが張り詰めた声で俺にささやいた。


「王家の巫女みこが歌うだけで民があがめてくれたのは、遥か昔のこと……。姫様の歌がいかにお上手でも、錆びついた伝統音楽に、代わり映えのしない衣装では……」

「……ああ。女神が言ってた通りだな」

「女神とは?」

「いや、こっちの話……」


 必死に歌うアヴローラの横顔を見て、俺は汗のにじむ拳を思わず握りしめていた。

 要するに、歌姫の歌はこの世界ではオワコンということらしい。あのお姫様だってそれをわかってない訳じゃないだろうに、それでも皆を救うために戦おうとしている……。

 助けてやりたい、と俺は思った。あのロリ女神は、そのために俺をこの世界に送り込んだんだろう。


「アヴローラ!」


 俺が彼女の名を叫んだ、まさにそのとき、トロールの棍棒がぐわんと大きく宙をいだ。


「っ!」


 アヴローラを守る兵士達が一度に吹っ飛ばされる。その刹那、ミーリツァが疾風の勢いでアヴローラの前に飛び出し、突き出した剣でトロールの棍棒を受け止めていた。


「ミーリツァ!」


 アヴローラが叫ぶ。


「く……っ!」


 ミーリツァの声が苦悶くもんに震えるのがわかる。俺が息を呑む間もなく、次の瞬間には、彼女の身体はトロールの足に蹴り上げられて宙に舞っていた。


「ぐあっ!」

「ミーリツァっ!」


 ミーリツァの背が力なく地面を削る。涙を散らして彼女に駆け寄るアヴローラ。二人をかばって飛び出す兵士達を、次々とトロールの棍棒が蹂躙じゅうりんしていく。

 俺も思わずミーリツァのそばに駆け寄り膝をついた。ミーリツァは口元に血を垂らし、それでも腕をついて立ち上がろうとしていた。


「姫様はお逃げください……! 早く……!」

「そんな、ミーリツァ!」


 彼女の身体を抱き寄せながら、アヴローラが濡れた瞳で俺を見上げてくる。


「お願いします、大臣さん! 『センター』になる方法を教えてください!」

「えっ――」

「センターって凄い歌姫なんでしょう!? わたし、皆のために戦わなきゃいけないんです! お願いです、皆を守れる力を……センターの力を、わたしに!」


 宝石のようにきらめく瞳を通して、彼女の決意と無敵のステータスが伝わってくる。満点を遥かに突き破るセンター適正、そして皆を守る歌姫になりたいという熱い思い。

 彼女の情熱を受け止めて、俺は、しっかりと頷いた。


「ああ。俺が君をプロデュースしてやる」


 そっと彼女の肩に手を置き、俺は立ち上がった。ミーリツァが怪訝けげんそうな目を向けてくる。


「閣下、何を……?」

「まあ、見てなって」


 俺の世界のアイドルソングをこの世界の言葉に変換する翻訳魔法。そして、いかなるアイドル衣装をも自在に出現させる生成魔法。

 女神に貰ったプロデューサースキルを活かして、俺がこのお姫様を最強の歌姫アイドルにしてやる!


「そうと決まれば、歌も衣装もそれじゃダメだ。曲はこれ!」


 脳裏に一つの曲を思い描き、俺はアヴローラのひたいに指で触れた。それだけでメロディと歌詞が伝わることは本能でわかった。


「そして、衣装はこれ!」


 続いて彼女を指差した瞬間、まばゆい光が彼女を包み、そのよそおいは一瞬にしてドレスから半袖のアイドル衣装へと変わっていた。

 秋葉原エイトミリオンの衣装と聞いて、多くの人が真っ先に思い浮かべる一着。赤と紺のベストに赤チェックのミニスカートも鮮やかな、往年の「のうSurelyシュアリィ」のMV衣装――。


「ええっ!? 何ですか、このヒワイな服っ!」


 あらわになった生脚を隠すように身を縮こまらせ、アヴローラが顔を真っ赤にして叫ぶ。


「卑猥じゃない、アイドル衣装だ。中は黒パンだから大丈夫!」

「アイドル!? って何です!?」

「この世界を救う切り札だよ! 君はこの世界のアイドル第一号だ!」


 俺は力強く言い切り、びしりと戦場を指差した。


「行けっ、アヴローラ!」

「……はいっ」


 トロールと必死に戦う兵士達を見据え、彼女はりんとした眼差しで頷く。

 恥ずかしさを振り払って立ち上がったその身体に、刹那、可視化されたオーラの風が吹き抜けるのを俺は見た。

 俺の音響魔法で周囲一帯に曲が響き渡る。生成魔法で出したマイクを投げ渡すと、ぱしりとそれを受け取り、彼女はかすかに微笑んだ。


「アヴローラ=アヴァンガールト、歌います!」


 地面を蹴って戦場ステージに飛び出した彼女の姿に、ミーリツァと兵士達が目を見張る。

 そして、彼女のパフォーマンスが始まる。魔法で伝えた振り付けを軽やかになぞり、スカートの裾をふわりとひるがえして、この世界最初のアイドルが青空に歌声を弾ませる。


「見慣れた道の――わだちを踏んで――。秋の風、ほおぜる――ひとりの自転車――」


 この世界にあるはずのない音楽、この世界にあるはずのない衣装。傷付き倒れた兵士達も次々に顔を上げ、驚嘆の眼差しで彼女の姿を追っていた。


「閣下、ジテンシャって何です?」

「あー、馬みたいなやつ」

「ふむ……?」


 しれっと俺に歌詞の意味を尋ねながら、ミーリツァもまた真剣な目で彼女を見ていた。先程まで呆れや焦りに満ちていたその双眸そうぼうに、今は心なしか期待の色が浮かんでいる気がした。

 兵士達にもざわめきが広がっている。トロールと今まさに武器を交えている者達さえ、ちらちらとアヴローラの姿を振り返り、口々に驚きの声を上げている。


「何だよあの服、それにあの歌……!」

「あれ、本当にあの姫様か……?」

「姫様、すげぇ……!」


 皆の注目と比例して、アヴローラの胸元のペンダントがまばゆい赤にきらめき、彼女の背に熱い光のオーラが立ち上がっていく。輝きを増す後光の中、彼女はくるりとターンを交え、きらりとウインクを飛ばして、サビの歌声を張り上げた。


Surelyシュアリィ――Surelyシュアリィ――好きだったんだ、きっと――。太陽の下――僕は君を探す――」


 熱波を纏って歌い踊る、そのオーラはまさに太陽。ミーリツァも、兵士達も、いや、誰より俺自身も見入ってしまった。

 エイトミリオンの歴代センター達にも劣らない輝き。見るもの全てを惹きつける問答無用の瞳の引力。

 こいつ、やばい――!


Surelyシュアリィ――Surelyシュアリィ――好きだったんだ、きっと――。恋に落ちたら――叫びたくもなる――のうSurelyシュアリィ――!」


 何百回と歌い慣れた曲のように、彼女は寸分の狂いもなく歌詞を歌い上げ、ぴしっとラストの振りを決めた。

 半秒置いて、我に返った兵士達が一斉に歓声を上げる。その声援がそのまま力に変わり、天地を染める真紅の閃光が彼女のペンダントの宝玉から溢れ出す。

 歌姫の背後に渦巻く巨大なオーラの炎。トロールが恐れをなして後ずさるのを見て、俺は叫んだ。


「今だ、撃てっ!」

「炎熱魔法――新天フランチィル・熱波テンペラトゥーラ!」


 アヴローラの突き出した手から灼熱の熱波がほとばしり、トロールの巨体を一瞬で飲み込む。轟々ごうごうと渦巻く炎の波が魔物の断末魔をもかき消し、その体躯を消炭へと変えた。

 ひゅうっと風が吹き抜け、魔物の残骸がちりとなって消える。


「やった! 姫様がやったぞぉ!」

「すげえぇっ!」


 兵士達がたちまち大喜びして、アヴローラの周りに押し寄せてくる。彼らの歓声に包まれる中、アヴローラはハッとした顔で自分の格好を見下ろし、きゃあっと小さく叫んでスカートを押さえた。


「大臣さんっ、やっぱり恥ずかしいです、この格好! 戻してくださいっ!」


 ははっと苦笑する俺に、ミーリツァが横から聞いてくる。


「大臣閣下、これは一体……?」

「この世界の希望さ」


 俺の言葉に、ミーリツァはなおも首を傾げていた。

 俺がアヴローラに向かって歩みだすと、兵士達が自然に道を開けた。ほおを染めて恥ずかしがっている彼女の前に立ち、俺はさっと手を差し出す。


「アヴローラ姫。君はこの世界で最初のアイドル、そして俺の作るアイドルグループの初代センターだ」


 彼女は青い瞳に戸惑いの色を浮かべながらも、やがて「はい」と頷き、俺の手を握り返してきた。

 これが、異世界最初のアイドルの誕生、そして俺のプロデューサー街道の始まりの瞬間だった。

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