第14話 この時間を何と呼ぶのか俺はまだ知りたくない件

家入いえいりアイルの~、アイル・チャンネルー! やっほー、みんなのネットプリンセス、家入アイルちゃんだよー☆』


 砂糖をシロップで煮詰めたような甘ったるい声が溢れ出すのは、事もあろうに俺のノートパソコンのスピーカーからである。画面にはメイド服姿の家入先輩……もといネットプリンセス家入アイルとやらが映り、ホイップクリームに蜂蜜をぶちまけたような笑顔をカメラに向かって振りまいている。

 先程アスナに説明していたところによると、事前に撮影・編集した動画をアップすることもあるが、先輩がより得意なのはリアルタイムの動画配信の方らしい。今流れているのは、つい先日の配信のアーカイブ映像だとか。


『なになに、「ゆうや☆」さん、「アイルちゃん絶対結婚しような」だって? うーん残念っ、わたし電子の姫君だから画面の中から出られないのだー。……なに、「貞子パイセンを見習って」? ふふっ、わたしに呪い殺されたい人そんなにいるの? ダメだよー、生きて貢いでくれなきゃー。あっ、でも、そっか、皆さんに保険金かけておいて、自分で呪い殺すのはビジネスとしてアリかもしれないなー。ふふっ、呪殺は法律で裁けないからね!』


 しれっと恐ろしいことを言うプリンセスだった。まあ、視聴者が楽しんでるなら何でもいいが……。

 それより問題は、画面から出てこられないはずの電子の姫君が、目の前で俺の部屋のソファを占領して未来少女といちゃついていることである。


「ふぇっ、アイルさんこわーい。でも、サダコパイセンって誰です?」

「知らないの? 呪いのビデオの画面から出てきて呪い殺しちゃう人だよー」

「ひぇっ、が、画面から人が……!? この時代ってそんな技術あるんですか!?」


 突っ込み不在の会話を延々垂れ流している先輩とアスナ。パソコンを占領された俺としては、間違っても画像フォルダを勝手に漁られたりしないために、見たくもない画面を後ろから監視しているしかないという形だった。

 いやほんと、俺って前世で何やらかしたんだろう……。分不相応な家に住んで美少女を囲ってでもいたのかな……。


『ではではっ、アイルちゃんの早着替えターイム☆』


 ひとしきりメイド姿で視聴者を釣っていたかと思うと、画面の中の先輩はぴょんっと衝立ついたての裏に引っ込み、何やら着替えを始めたようだった。それほど大きくない衝立の端から、わざとらしく頭や手の先がぴょこぴょこ見え隠れするのがいかにもあざとい。


「見ててー、アスナちゃん。わたしの名人芸!」

「はいですっ!」

「あ、成田君も見たければ見てていいよ?」

「はぁ、さっきから見たくもないのに見てます」


 ものの10秒ほどでお色直しを終え、電子の姫君は何かの萌えアニメのヒロインの格好になってカメラの前に戻ってきた。

 Twitterか何かで見たことがあるが、ファンタジー世界の巫女だか歌姫だかの設定なのに、ラブなライブをマスターしてそうなミニスカートの現代風アイドル衣装を纏っているチグハグなキャラクターだ。こういうの良くないよなあ、世界観の考証はちゃんとしないとさ……未来人ならちゃんと銀ピカタイツを着せるみたいな……。

 まあ、何が悔しいって、画面の中でキラッとウインクを決める家入アイルのコスプレが、普通に似合ってて普通に可愛いことだった。

 こんな可愛い子が一人暮らしの部屋に遊びに来てくれたりしたらさぞ楽しいだろうなあ。そんな幸せを享受きょうじゅできるのは一体どこの果報者なんだろうな。


「わぁっ、アイルさん、未来カワイイですっ!」

「でっしょー? ほら、鉄壁ガード」


 ネットプリンセスと同じ顔をした変質者が指差す画面では、ちょうど彼女がスカートをふわっとひるがえらせてターンするところだった。絶対領域の太ももが眩しく目を引くが、肝心のスカートの中は絶妙に隠されて見えない。魔法のような立ち回りだった。


『あっ、今パンチラ期待したでしょ! ダメだぞー、よこしまな気持ちを抱いた人は素直に罰金としてギフトを献上しなさいっ』


 アーカイブでは視聴者のその時の反応までは見えないが、恐らく今の一言で何十人もの善良な市民が課金ギフトを巻き上げられたに違いなかった。


ころ公妨こうぼうかよ……」

「人聞きが悪いなあキミは。せめてネズミ捕りって言ってほしいね」


 目の前の先輩がわざとらしく脚を組み替える。今にもスカートの中が見えそうなその仕草に、隣のアスナがひゃあっと小さく声を上げる。

 どうせ見えないんでしょハイハイと思いながらも、つい目を背けられないY染色体の本能が辛い。


「おや、成田被告人、いま何か期待したかね?」

「いつ起訴されたんですか。……いや、何かが見えること自体には微塵も期待しませんけど、うっかりミスって何か見せちゃってうろたえる先輩の顔はちょっと見てみたいですね」

「ふふふ、なかなか倒錯した性癖してるねえ」


 ニマニマ笑う先輩に苦笑いを返している内に、画面の中ではコスプレヒロインが電波ゆんゆんの歌を音楽に乗せて歌い始めていた。この人、「歌ってみた」の真似事までやるのか……。


「……とまあ、こんな感じでやってるんだけど、どう? アスナちゃん。いつから始めよっか」

「すぐやるです! ナリタさん、このアイチューバー?ってここでも出来るです?」


 出来るか出来ないかと聞かれたら、物理的には出来ると答えるしかないが。


「はあ、まあ、カメラとか買えばな……」

「WEBカメラなんかウチにいくらでも余ってるから分けたげるよぉ」

「わぁい! 誰かと違ってアイルさんは太っ腹ですねー」

「さっきランチ代はチャラにしてやっただろ」

「アイルさんアイルさん、あのコスプレ?の服ってどこに売ってるです?」

「んー、ショや通販で買えるのもあるけど、わたしの場合は衣装作ってくれるお友達がいてね。アスナちゃんのぶんもお願いしてあげるよ」

「わーい、未来嬉しいです!」


 そのお友達とやらの了解も取り付けない内にきゃいきゃいと喜んでいる二人。アスナは俺といる時のいつより楽しそうな目をして、「わたしアイルさんとお揃いがいいですっ」なんて言っている。

 いや、コスプレ衣装なんかなくてもお前にはご自慢のホログラフィがあるだろ……。ソーラー充電式ですぐバッテリー切れるやつが……。


「お揃いもいいけど、わたし、アスナちゃんには未来人の銀ピカタイツとか着せてみたいなー」

「ふみゅ? それだったらありますよ!」

「あるの!? なんで!?」

「にへへー、わたし未来人ですからー」


 いつにない笑い方をして、未来少女は俺が止める間もなく「着替えてきますっ」と寝室へ引っ込んでいく。流石の先輩も半信半疑の顔で彼女の背中を見送っていた。


「ねー成田君、アスナちゃんってほんとはどこの子なの?」


 ソファから身を乗り出して尋ねてくる彼女の目は、ちらちらとリビング中央のブルーシートを気にしている。


「ひょっとして、そのシートの下ってデロリアンとかある感じ?」

「あー……アイツ、そういう半端に新しい映画は知らないですよ」

「あぁ、スタートレックの第一作を宇宙パトロールとか言ってたもんね。キャラ作りヤバすぎない?」

「先輩もなかなかですけど」

「ぜーんぜん。わたしのは所詮、量産型って感じだもん。その点、あの子はオンリーワンじゃん」

「……まあ、あんなのが何人もいたらたまりませんよね」


 普通に興味津々の先輩を普通に相手していると、しゅたっとアスナが戻ってきた。


「じゃんっ! わたしアスナ、2009年の未来から来ました!」


 見慣れた銀ピカタイツに浮き出る、見慣れたボディライン。先輩はマジであんぐり口を開けて数秒固まり、ぱちぱちぱちっと目を何度もしばたかせて、「ええぇぇっ」と砂糖の砂糖漬けみたいな声で絶叫した。


「やっば、めっちゃカワイイ……。えっえっ、何その衣装、似合いすぎなんだけど!」

「えへへー、メガロポリスの光化学スモッグも防ぐ21世紀の防護スーツですー」

「どこで売ってるの!? 作ったの!?」

「みゅ? 普通に仕立てロボットがオーダーメイドしてくれるですよ?」

「あーもうっ、いちいち受け答えがカワイイっ!」


 いつの間にかソファから飛び降りて(やっぱりスカートの中は見えない)、アスナに擦り寄ってナデナデしている先輩と、にへらーっと間抜け面を晒して喜んでいるアスナ。俺の前では一度も見せたことのない顔である。

 はいはい、どうせ俺はポッと出のNTR魔にヒロインを寝取られた可哀想な主人公ですよ……。最初から俺の部屋なんかじゃなくて先輩のところに行ってればよかったね……。


「ねえねえ、タイムパトローラー明日坂アスナ!って言ってみて?」

「ふぇっ? タイムパトローラー明日坂アスナ!」

「21世紀より只今参上」

「21世紀より只今参上っ!」


 天を指差してばっちりポーズまで決めるアスナだった。いや、まあ、なんでもいいけど、お前むしろタイムパトロールに取り締まられる側だろ。


「あー、尊すぎる……この子マジでウチに欲しい……」


 先輩も先輩でトロンとした間抜け面を晒していた。もうどうでもいいや、二人で末永くお幸せにどうぞ。


「あっ、アイルさん、光線銃もあるけど見ます?」

「見る見るー」


 やっぱり全然どうでもよくはなかった。


「いや、見せるなって! この時代に存在しない技術を見せたらタイムパラドックスになりかねないだろ!」

「え、なんかSFオタクみたいな人がなんか言ってる……きんもーっ☆」

「ハシゴ外し芸好きすぎません!?」

「タイムパラドックスって言うならナリタさんに見せた時点でなってるです」

「じゃあさっさとタイムパトロールに強制送還されてろ。その前にカネは返せよ」

「みゅう……」


 と、そこで、先輩が「いいこと思いついたっ」とハイテンションに声を弾ませた。


「わたしのお友達でWEBマンガとか描いてる子がいるから、その子にもアスナちゃん紹介しちゃおう」

「え……何ですかそれ」

「時代は著作権ビジネスだよ、キミ達ぃ。こんなオンリーワンの子、他にいないもん。配信と合わせてTwitterでコミックエッセイとか展開したら絶対バズるって」

「嘘松扱いされなきゃいいですけどね……」

「書籍化なんかされちゃったら、印税もバンバン入ってくるしさ。この矮小な男がしつこく請求してくるガラス代なんか10倍にして返せちゃうよ」

「なんでソロバン弾きにしれっと俺へのディスを織り込むんです?」


 相変わらず、アスナの意向もお友達とやらの意向も確認しない内に皮算用を進めるのがジャイアンのジャイアンたる所以ゆえんだなあ……と思って聞いていると、先輩はふわっとアスナの上体を片手で抱き、彼女の髪をさらっとつまんで言う。


「そしたら、成田君の部屋にいる理由もなくなるし。かわりにわたしの部屋に来る?」

「みゅ?」


 百合系出会い厨が一気に強気のクロージングに入りやがった……!

 と、俺が息を呑んだのも、ほんの束の間。


「んー、それはないです!」


 明るく元気に、それでいていやにキッパリした声でアスナは答えた。あまりの即答に「え?」と先輩が一瞬マジで固まる。

 未来少女はふふふっと笑顔を浮かべたまま、顔の前でちょこんと両手を合わせる。


「ごめんなさいアイルさん。でも、わたしはナリタさんの部屋が気に入ってるですから」

「……!」


 いや、そんな、「美女にさんざん鼻の下伸ばしといて、いざ迫られたら『俺には愛する妻と子供達がいるんだ』と即答する野原ひろし」みたいなのやられても困るんだけど……。

 俺がしばらく絶句していると、先輩はふっと笑ってアスナの身体から手を放し、一歩身を引いて言った。


「そっかぁー、残念っ! でもアスナちゃん、わたし諦めないよ? なんなら普通に二人の間に混ざっちゃうし!」


 赤メガネの奥の目をきらりんと光らせ、彼女は俺にも顔を向けてくる。


「ほら、百合に混ざりたがる男は滅殺されるべきだけど、NLに混ざりたがる百合は正義って感じするじゃん?」

「知りませんけど、まずこの場のどこにノーマルなラブが存在してるんです?」

「ふふふー、わたしがアスナちゃんに女の良さを教えてあげる」


 当のアスナは話が分かっているのかいないのか、普通にキョトンとして「はいです!」とか答えている始末だった。あーもう、俺が突っ込み諦めてたらどんどんワケわからん方向に話が転がっちゃうじゃん……。


「いや、あの、ラブコメ時空に足踏み入れる気ないんで、勝手に持ってっちゃってください。梱包が必要なら段ボール沢山ありますんで」

「だって勝手に連れてったら犯罪じゃないの」

「なんでそういうとこだけ常識人のフリするんですか」

「ネットプリンセス家入アイルは100パーセント合法で出来ているのだよ、キミぃ」

「法に触れなきゃ何やっても構わないと思ってそうな顔して言われてもなあ……」


 こういう人が「被告人が保釈中に逃亡してもそれ自体は罪にならない」みたいな法の隙間を縫って海外に高飛びしたりするんだろうな。幸いにして、令和元年9月現在においてそんな話は聞こえてこないけど。


「あの、アイルさん、わたしチューバーとかコスプレとかは普通に教えてほしいですっ」


 マイペースに言う未来少女に「もちろん」と微笑みかけ、先輩はうーんと胸を揺らして伸びをした。


「じゃあ、わたしはそろそろバイトの準備があるから、おいとまするねー。お紅茶ご馳走さま」

「いえ、お粗末様です。てか先輩、バイトもやってるんですか」

「メイドバーだよメイドバー。社会勉強積んどかなきゃ、いい弁護士にはなれないからねえ」

「メイドバーのお客さんから学べる社会勉強って何なんですかね……。あ、下まで送りますよ」

「いーよう、玄関先で」


 カラのティーカップをしっかり流し台に持って行ってから、俺達に見送られて玄関に立ち、家入アイルはにかっと白い歯を見せて笑った。


「では、また会おう諸君っ! 良い夜を過ごしてくれたまえ!」

「まだ全然夕方ですけどね」

「アイルさんっ、また遊びに来てくださいですー!」

「だからお前が勝手に歓迎するなっての」


 最後にアスナに軽く投げキッスし、ひらひらと手を振って出ていく先輩が、少しだけちゃんと歳上に見えたのは秘密である。




『……ナカナカ、センセーショナルナオキャクサマデシタネ』


 俺とアスナがリビングに戻るやいなや、ブルーシートの下のデロリアンもどきは待ちきれなかったという様子で言ってきた。


「ああ、今日はマジで疲れた」

ワタシ退屈タイクツシマセンデシタ』

「そもそも機械が退屈しようとするなよ」


 ブルーシートを片付けている俺に、アスナがトテトテと寄ってきて言う。


「あのあの、ナリタさん」

「何」

「わたし、この部屋が気に入ってるのはホントですよ?」


 あかのさした顔で上目遣いにふふっと微笑んでくる未来少女。未来カワイイなんて断じて思ってやるか、と言いたいところだが……。


「……んー、まあ、あのNTR魔にノコノコ付いていかなかったことは褒めてやる」


 と、そのくらいは言ってやってもいいかなというのが、手のひら返しを食らった俺の正直な感想だった。


「みゅ? あの、さっきから気になってたんですけど、ネトルとかネトラレとかって何です?」

「お前は知らなくていいんだよ」

「もう、そうやっていっつもイジワルしてー」

「いつもって言うほど長い付き合いじゃねーだろ」


 まだ三日しか経っていないのに……と言おうとしたところで、妙に頭に引っかかるものがあった。何か大事なことを忘れているような……。


『トコロデ、ナリタサン、ホンツカリマシタカ?』

「あーっ、そうだ、図書館! 結局本借りれてねーじゃん!」


 俺が叫ぶと、アスナがびくぅっと身を震わせた。


「わ、わたしのせいです?」

「……いや、主にもう一人の変人のせいだけど……。うっわ、めんどくせー、また明日図書館行かなきゃじゃん」

「ナイル川から取り寄せたらいいじゃないですか」

「アマゾンな。いや、レポートの引用に使う専門書なんかいちいち買ってるカネないの」

「これからはわたしがアイチューバーになって稼いであげます!」


 ぶいっとピースサインを突き出してくるアスナ。例によって劣情を煽るボディラインに、眩しいまでに邪気のないその笑顔……。


「……いや、これからはって何だよ。お前いつまでいる気なんだよ」

「未来からの救助が来るまでずっといますよ? そう言ってるじゃないですかっ」

「……未来カンベンしてくれ」


 はぁっと溜息をつきそうになって俺が思い留まったのは、もしかしたら、溜息をついたら逃げるとされる何かを失いたくないと思ったから……などでは断じてないと信じたかった。

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