第9話 窓ガラスは直っても平穏は戻ってきそうにない件

「しかしお客さん、災難でしたねえ。何があったらこんな風に割れるんですか?」

「いやー、まあ、ちょっとした事故っていうか……ははは」


 空飛ぶ車で飛び込んできた未来少女に平穏をぶち壊されて三日目、業者さんの有難い働きによって、ようやく俺の部屋の窓ガラスは復活した。

 ガラスの取り付けに来た業者のおじさんとお兄さんは、リビングの隅にうず高く積まれたガラスの残骸を回収しながら(勿論この処分も有料である)、リビングの中心にどーんと鎮座するブルーシート掛けの自動車大の「何か」をじろじろと気にしている。

 まあ、劇場版名探偵コナンじゃあるまいし、車が宙を飛んで高層階に突っ込んできたなんて流石に誰も思わないだろう……と、今は信じておきたい。


「じゃあスミマセン、ガラス代と取付工賃、割れたガラスの引き取りで、42万4200円お願いします」

「ハイ。確認してください」


 クレジットカードの使えない現金一括払い。赤ん坊の頃から「お母さんが預かっておくわよ」でコツコツ蓄えられてきたお年玉貯金が綺麗に吹っ飛んだ瞬間だった。


「ふーっ……」


 最後までブルーシートをしげしげと見ていた業者さん達を、丁重なお礼で見送り、俺は一人のリビングでソファに身を沈めて息を吐く。

 ……が、言うまでもなく、一人のくつろぎの時間は数秒しか続かなかった。


「ナリタさーん、業者さん帰ったですかー?」

「……ああ」


 寝室から出るなと厳命しておいたアスナが、ぱたぱたと足音を立ててリビングに戻ってくる。新品のガラスがはまった窓を見てわぁっと声を上げる彼女は、例によって人前には出せない銀ピカタイツ姿である。


「いいお天気っ。やっぱり新品の窓っていいですねー。気持ちまで澄み渡る青空って感じですねー」

「お前が突っ込んでくる前もずっとその窓は綺麗だったんだけどな?」

「なんだか、この窓見てたら、頑張ってお金稼がなきゃって思いが湧いてきたですよ。やっぱりホラ、窓が割れちゃったことに関しては、わたしにも責任の一端があるわけですし?」

「一端じゃなくて全責任がお前にあるんだよ」

「とゆーわけで、じゃじゃんっ! わたしアスナは、ナリタさんのためにアルバイトをしますっ!」


 謎に片手を突き上げて宣言するアスナ。あーもう、だから、ボディラインの出た格好でそういうポーズするなっていうの。目に毒なんだよ。


「え……何? 何をするって?」

「アルバイトですっ」

「誰が?」

「わたしが!」

「出来ると思ってんの?」

「やれって言ったじゃないですか!」


 未来少女が口を尖らせて詰め寄ってくる。確かにそう言ったこともあるけど、でも、どう考えてもコイツにバイトなんか無理だろ……。


「ふふふー、わたし、これでも真剣に考えたんですよ。この時代で何やったらお金稼げるかなって」

「へえー」

「服屋さんの店員さんとか、わたしに向いてると思いません?」

「無理だろ!? 何をどうしたら向いてると思えるの!?」

「お客さんとお喋りするの楽しそうですしっ」

「銀ピカタイツとエレベーターガールとウルトラ警備隊がお似合いですよーって勧めるのか?」

「ふみゅう、わたしだってオシャレな服くらい売れますぅー。ジーパンとかパンタロンとかー、これからの季節だとジャンパーとかー、とっくりセーターとかー」

「お前、なんかもう、わざと言ってるだろ」

「あ、じゃあ、靴屋さんの店員さんとか! マクドナルドとかスターバックスの店員さんも楽しそうですねー」

「何であろうと店員さん系はムリ! ていうか人前に出る仕事全般ムリだろ」

「みゅう」

「言っとくけど人前に出ない仕事もムリだからな」

「じゃあガラス代弁償しなくていいです?」

「それは返せ」

「ムジュンしてますよ?」

「だから俺も困ってんだよ」


 俺はひたいを押さえてはあっと天井を仰いだ。弁償の意思があるのは結構なことなんだけど、実際、このぶっ飛びお騒がせガールがこの時代で合法的にカネ稼げる手段って何よ……。


「……あ、ナリタさん、ひょっとしてわたしにいかがわしいお仕事させようとか考えてます? ダメですよー、そういうヒワイなのは」

「そのやりとり初日にやっただろ。……うん、なんつーか、お前じゃそういう仕事すら務まらねーって」


 そういう仕事「すら」なんて言うのも、その道の人達にとんでもなく失礼だろうけど。


「まあ、お前のバイトのことは俺も考えとくからさ。それより……」


 リビングの時計を見ると昼11時。今日という今日こそは、大学の課題のレポートを少しは進めておかないといけない気がするが、どうにも手元の本だけでは参考文献が不足している。こればっかりはネットで全部済ませるわけにもいかないしな……。


「俺、今日はちょっと大学の図書館に行きたいんだけど……」

「図書館っ!? はいはいっ、わたしも行ってみたいですっ!」

「……そうなるんだよなあ」

「だってだって、この時代ってまだマイクロフィルムじゃなくて紙の本が主流でしょー? ぎっしり本が並んだ図書館って、一度見てみたかったんですー」

「むしろマイクロフィルムの方が先に滅びた感じするけどな」


 俺は銀ピカタイツのアスナをちらっと見て考える。外出用の服は入手したとはいえ、ヘタに大学の構内なんかに連れていって騒ぎを起こされたら……。

 さりとて、コイツをここに一人で置いておいても、帰ってきたら部屋が核爆発に巻き込まれてたなんてことになりかねないし。連れて歩くも地獄、留守番させるも地獄……。


「どうあがいても詰んでるじゃん……」

「ツムってなんです?」

「将棋くらい知ってんだろ」

「あっ、将棋の詰みのことです? ふふふー、わたしの時代でもロボット将棋って流行ってましたよー。知らないでしょ? ロボットが自分で考えて将棋すんです」

「知ってる知ってる。それAIってやつな」

「えーあい?」

ワタシ将棋ショウギツヨイデスヨ』


 ブルーシートの下から唐突に電子頭脳の声がした。


「うおっ、居たの!? いや、ずっと居たか」

『ズットダマラサレテイテサミシカッタノデ、自然シゼン会話カイワンデミマシタ』

「気持ちはわかるけど、お前の存在自体が自然じゃねーんだよ」


 機械相手に「気持ちはわかる」なんて言うのも相当シュールなジョークだよなあと思いながら、俺は空飛ぶ車のブルーシートを取り払ってやる。


『ナリタサン、今度コンドヒマナトキニワタシ一局イッキョク手合テアワセイカガデスカ』

「お前がここにいる内に『暇な時』なんてものが俺に訪れると思ってるのが、電子頭脳の限界だよな」


 ブルーシートを畳んで戸棚にしまい込み、俺はアスナに告げる。


「お前も来るんなら服着替えてこいよ」

「はーい!」


 軽い足取りで寝室に引っ込んでいくアスナ。

 窓を覆っていた段ボールを俺が片付けている間に、未来少女は白ニットにミニスカートの現代ルックスに変身し、ふんふんと鼻歌を歌いながらリビングに舞い戻ってきた。


「お出かけ準備かんりょーですっ!」

「ゴーグルは外せって」

「えー、やっぱりダメです? せっかくこの時代でケンブンを広めるんですから、ちゃんと写真で記録残しておきたいですよう」

「フィルムで72枚しか撮れないくせに……。昨日も言ったろ、それ目立つんだって」

「みゅう……」


 渋々といった顔をしながらも、アスナは素直にゴーグルを外して車のダッシュボードに収めていた。ちなみに、例のおっかない光線銃も普段はそこに仕舞ってあるらしい。どういう治安の世界なんだよ、コイツの21世紀って。


「そういえば、ナリタさんって何のお勉強してるです?」


 姿見の前で無駄にくるくるとターンしながら、アスナが聞いてくる。


「一応、法学部だけど」

「ホーガク部。テレビ歌謡ですか?」

「……? ……いや、J-POPのことじゃねえよ」

「じぇーぽっぷって何です?」

「J-POPって……何だろうなJ-POPって」

「ジャパンのJとポピュラー音楽のポップで、和製ポップスのことです?」

「なんで急に察しがいいの!? バカならバカで通せよ!」

「わたし別におバカさんじゃないですもーん。ねえ、コンピューター?」

『ハイ。アスナサンハ馬鹿バカデハアリマセン。注意チュウイリョク分析ブンセキリョク判断ハンダンリョク忍耐ニンタイリョク致命的チメイテキ欠如ケツジョシテイルダケデス』

「おい、機械になんか言われてるぞ」

「想像力は豊かなんでーす、わたしー」

「まあ、うん、車が空飛ぶ世界の出身だもんな……」


 妙に納得したところで、アスナが「行きましょっ」と袖を引くので、はいはいと答えて俺はショルダーポーチを取り上げた。

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