第4話 未来少女を風呂に入らせたらロクなことにならなかった件

「いいか? これがシャワー。ここを上にひねるとお湯が出る」

「ふみゅ」


 銀ピカタイツのアスナが真剣な目で浴室を覗き込んでくる。服を着たまま浴室に立つ俺は、塾の先生にでもなった気分でシャワーを持ち、実際にコックをひねってみせる。

 お湯の張られた浴槽に向かって勢いよく水流が噴き出し、アスナがひゃっと律儀に声を上げた。


「わぁ、ほんとにシャワーですねっ」

「温度はこっちで調整な。赤い方にひねれば熱くなるから」

「手動で調整するですか? コンピューター制御じゃなくって?」

「ねーよ」


 シャワーを止めてフックに戻し、俺は浴室を出た。

 ぱちぱちと目をしばたかせている未来人を横目に、洗面台の下の引き出しから新品のタオルを引っ張り出す。


「で、これが身体を洗う用のタオル」

「? これでどうやって洗うです?」

「シャワーで濡らして、石鹸を泡立てて。石鹸は知ってるんだろ?」

「バカにしないでくださいっ。知ってますよ、石鹸いわゆるバブルでしょ?」

「石鹸はソープな」

「みゅう」


 すぐに卑猥だとか噛みついてこないところを見ると、流石にコイツの未来にいかがわしい意味のソープはないらしい。まあ、俺だってどこにあるのかも知らないが。


「じゃあ、このタオルに石鹸をモコモコって泡立てて、あとはロボットアームが勝手に身体洗ってくれるですね?」

「あいにくそんな洗車マシンみたいな機能は付いてねーよ」

「ふぇ? じゃあどうやって洗うですか?」

「いや、手で」

「手で!? タオルは!?」

「だから、タオルを手に持って」


 俺がカラの手でゴシゴシと自分の腕をこするジェスチャーをすると、アスナは二秒ほどまばたきした挙句、ようやく合点がいった様子で「あぁ!」と声を上げた。


「映画で見ました! 古代ローマの浴場ではそうやって身体の汚れを落としてたんですよね!」

「ストリジルじゃねえよ」


 はぁっと軽く溜息をついたところで、何やらワクワクした顔になっているアスナと目が合う。


「おっけーです、大体わかったです! 一人ではいれまーす」


 ぴょこんと手を上げるアスナ。銀色タイツに浮き出る胸のラインを極力意識しないようにして、俺は「じゃあ」と答えて脱衣所を出る。

 引き戸を閉めきる間際、未来少女はひょこっと顔を出して言ってきた。


「あ、ナリタさん」

「なに」

「コッソリ覗いたりしたらダメですよ?」

「覗かねーよ!」


 ぴしゃっと扉を閉め、俺は肩を落としてリビングへと戻った。

 あの全身タイツがどうやって脱ぐものかは知らないが、割とすぐに浴室からはシャワーの音が聞こえ始める。ややあって、聞いたことのないメロディの鼻歌までも交じってきた。

 不安がったり楽しそうにしたり、未来人ってやつは感情の起伏が激しいんだろうか。


「……呑気なもんだよ、まったく」


 ソファに身体を沈めて俺が呟くと、思わぬところから返事がした。


マッタクデス。アスナサンハ危機キキ意識イシキ欠如ケツジョシテイマス』

「うおっ!? 何お前、勝手に喋れるのかよ」


 リビングの中央に鎮座ちんざする平べったい車のAI、もとい電子頭脳である。


『ナリタサンガ、オ一人ヒトリサミシイカトオモイマシテ』

「寂しくない寂しくない。せっかく数時間ぶりにアイツから解放されたんだから放っといてくれよ」

『ソウデスカ』


 しぃん、と沈黙する銀色のオープンカー。心なしか、流線型のそのボディが寂しそうに見えたのはきっと疲れのせいだろう。

 コーヒーでも飲むかと思い立ち、俺は座ったばかりのソファから立ち上がってキッチンへ向かった。

 叔母おばさんのこだわりのビルトイン式IHクッキングヒーターのスイッチを押し、ケトルを置いてお湯が沸くのを待つ。アイツの時代にはこういう調理器はあるんだろうか、なんてぼんやり考えていると、浴室の方からお騒がせ未来人の声がした。


「ナリタさぁーん」

「何だよもう」


 おちおち一服もさせてくれないのか……。俺がIHを切って廊下に出ようとしたところで、空飛ぶ車が後ろから言う。


『ナリタサン、ノゾイタラ駄目ダメデスヨ』

「覗かねーって!」


 スマホもネットもないくせに何でこんなに流暢りゅうちょうに喋る機械があるんだよ、と軽く頭を押さえながら、俺は脱衣所の扉の前に立った。


「何だよ?」

「あっ、ナリタさぁん、シャワーがぁ」


 二枚の扉を隔てて、シャワーの音とアスナの切羽詰まった声が響く。

 よくよく考えたらこの向こうに裸の女子がいるんだよな……という現実を努めて意識から追い出しつつ、俺は聞き返した。


「シャワーが何?」

「どうやってもシャワーが動かないんですぅ」

「シャワーが動くって何だよ」

「だって、これ、引っ掛けるところが固定されててー」

「いや、それで普通だから」

「シャワールーム全体にしゃわーって出るんじゃないんですか?」

「だからそんな洗車マシンみたいな風呂はねえよ。手で持って使えって」

「えっ!? ハッ、そっか、取れるんですもんねこれ!」


 コペルニクス的転回を経たかのようなアスナの声。やれやれと息を吐いて俺はその場を離れ、再びIHの前に立った。

 ふつふつと沸くお湯を眺めながら、これからのことを考える。未来からの救助とやらが一日や二日で来るならいいが、もしアイツを何日も何週間も居候いそうろうさせなきゃいけないことになったら……。


「……ケーサツに見られたらヤバイよなあ、これ」


 どう見ても未成年だし、宇宙なんちゃら高校の一年生って言ってたし。未来人だろうと何だろうと、高校生らしき女の子を一つ屋根の下に住まわせているなんて、ご近所さんに知られたら通報モノだろう。


『コノ時代ジダイ法律ホウリツデモ誘拐ユウカイタリマスカ』

「だから独り言にいちいち反応しなくていいんだって」


 未来の車は地獄耳な上にお喋りらしい。ヘイSiriとかオッケーグーグルとか、人間サマから声を掛けたときだけ反応するって分別ふんべつはないのかよ。


「ひゃぁぁ、ナリタさぁーん!」


 やっとコーヒーを淹れようかと思ったら、またしてもアスナの黄色い声が俺を呼んだ。


「だから、何だよもう!」

ノゾイタラ駄目ダメデスヨ』

「それはもう聞いた!」


 放っておくわけにもいかず、俺は再び脱衣所の前に駆けつける。


「今度は何だよ」

「泡がっ、泡がモーレツにぃぃ」

「はぁぁ!?」


 まだ浴室内にいるはずだよなと思い、脱衣所の扉を数センチほど引いてみると、途端にモコモコと白い泡が廊下に噴き出してきた。


「うおっ!? 何で!?」

「シャンプーしようとしたらこうなっちゃったですぅ!」

「だから何で!?」


 慌ててぴしゃりと扉を閉める。が、閉めたところで、既に浴室の扉からスリットを通して泡が脱衣所を埋め尽くしてるってことだよな、これ。


「お前何やってるんだよ、叔母さんに怒られるだろ!」

「だってだって、わかんないですぅ! シャンプーが勝手に!」

「『何もしてないのにパソコンが壊れた』みたいな言い方するな」

「パソコンって何です!?」

「いいから早く泡を流せっ」

「流していいですかっ!?」


 あっ、と思った瞬間、がちゃっと浴室の扉が開く音がして、脱衣所の扉の内側にシャワーの水流がぶち当たる音。


「ちょ、おまっ」

「ひゃっ、余計に泡がっ!」


 とうとう、閉め切った脱衣所の扉のスキマからも泡が噴き出てきた。


「どうやったらこんなに泡が立つんだよ!」

「ちゃんとシャンプーって書いてあるボトルを使いましたよ!?」

「使って何したって!?」

「よくわからないから、ボトルの液体をシャワーのお湯に乗せて流したですっ」

「全部!?」

「だってっ、ひゃっ、もごっ。待って、泡がお口にっ」


 浴室内に飽和する泡にいよいよ首から上を飲まれたらしい。シャワーを取り落としたのか、がんっと硬い音も聞こえた。


「あっ、目に泡がっ! 痛いですっ、助けてっ!」

「自力で何とかしろよ!」

「ムリですムリですっ!」


 床に落ちたらしきシャワーの暴れる音と、未来少女の甲高くわめく声。


「助けっ、もがっ、けほっ」


 泡を飲み込んだらしく咳き込むアスナ。どうする、助けに入っていいのか、と逡巡しゅんじゅんしていると、リビングから声がした。


『ナリタサン、サワギニジョウジテノゾイタラ駄目ダメデスヨ』

「やかましいわ!」


 中で死なれでもしたら大変だし、もう覗きがどうとか言ってる場合じゃない。そうだよな、うん。俺の行動は緊急避難として正当化されるはずだ。


「ええい、ままよ!」


 俺は思い切って脱衣所の扉を引き、手で目元を守って泡の世界へと飛び込んだ。

 アスナの銀ピカタイツが床に畳んで置いてある。ちょうどその上に例のゴーグルがあるのを見つけ、俺はすかさずそれを拾い上げて装着し、浴室を埋め尽くす泡の中に顔を突っ込む。

 咳き込みながらもごもごと何かをわめいているアスナ。泡の中から素肌の手が空を切る。緊急避難緊急避難と心の中で唱えつつ、俺はシャワーのコックを探り当てて水流を止め、続いてアスナの手首を掴んだ。


「出るぞっ!」

「もふぇっ」


 彼女の手を引き、すぐさまきびすを返して浴室を脱出する。彼女用のバスタオルを引き掴んで脱衣所を抜け、まだ泡の侵食の少ない廊下にまろび出て、俺はぴしゃりと扉を閉めた。

 アスナは俺の背後で廊下に膝をつき、けほけほと咳き込んでいる。


「ほら、これっ」

「えぅー」


 下ろしたてのバスタオルを後ろに向かって放ると、彼女がそれをたぐり寄せる気配がした。


「けほっ、目がっ、目が開けれないですっ」

「キッチンの流しで洗えばいいから、とりあえず身体拭けって」

「人間乾燥機ないんですかっ」

「ない!」

「みゅう」


 手探りで身体を拭き始めたらしい気配。とりあえず、みゅうとか言う元気があるなら大丈夫か?


「振り向くぞー。ちゃんとタオルで身体隠したか?」

「ふぁいい」


 軽く深呼吸して振り向くと、泡だらけの濡れネズミになってぎゅっと目を閉じているアスナの姿が目に入った。金髪は水を吸ってぺたっと顔に貼り付き、タオルで覆いきれない手足には水滴がしたたって、抗いがたいヒワイさをかもし出している。

 いかんいかん、こんなの見てると本当にヤバい……。


「ほら、キッチン行くから、手っ」


 極力アスナの方を見ないようにしてキッチンの流しまで引っ張っていき、シンクのコックをひねる。

 アスナは片手でバスタオルを押さえたまま片手で目をゆすぎ、ふぇええと気の抜けた声を出しながら両目をしばたかせて、ようやく俺を見た。


「ナリタさん、ありが……って、えぇっ、何でそのゴーグル付けてるですか!?」

「え? いや、これは」

「わたしのカラダをっ!? カラダをトーサツするつもりでっ!?」

「はぁぁ!? いや、泡の中に顔突っ込むのに使っただけだし!」

「やだやだやだっ、ヒワイですっ!!」

「お前もう帰れよ!」


 せっかく助けてやったのに思わぬ濡れ衣を着せられ、俺は自分の心が疲労の泡に飲まれていくのを感じた。

 一日目からこんな調子で、果たして俺はコイツが未来に帰るまでつのか……?

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