知らずの北海道
柴田 恭太朗
1.あこがれの北海道
広いところだと聞いていた。
大きさを地図で目にしてもいた。
視界の上半分が突き抜ける青空
下半分が風にそよぐ緑の草原
その中央をまっすぐ貫く一条の国道
たった三行ですべてを語れる風景があるものか。
かつての私なら、そう言って笑ったかも知れない。
だが、そんな
圧倒的迫力の
――それが北海道。
私は大学の夏休みを利用して、あこがれの北海道へツーリングに出かけた。
オートバイを乗せたフェリーで小樽へ上陸して三日目。国道を反時計回りに走り始めると、行けども行けども道が尽きることのない北海道に心が歓声をあげていた。私の旅の目的は、この地の景色と感動を一つ残らず記憶に残すこと。カメラを持ってきてはいたが、バイクを止めて撮影する手間が惜しかった。見聞きしたすべての出来事を直接、脳の海馬に収めればいい。
しかも、今回は
計画では、そんな気ままな旅になるはずだった。
ヤツラとさえ出会わなければ……
◇
その日、私は
白ペンキで塗られた木造の小さな駅舎に入ると、待合室のベンチには先客がいた。三十代の男。無精ひげをはやし、目つきが鋭い。赤銅色に日焼けした顔はチェ・ゲバラに似ている。力仕事を生業としているのだろうか、埃まみれの作業着の袖からのぞく腕は丸太のように太かった。ウワサでは
男の風体も充分怪しいが、私も他人のことをとやかく評価できる容姿ではなかった。オートバイの排気煙がたっぷりとしみ込んだオイル臭いツーリングウェアを着こみ、持ち前の童顔を隠す目的と、初対面の相手から舐められないために山男然とした無精ひげを生やしていた。胡散臭さ勝負なら、五分五分の引き分けといったところか。
「お兄さんはどこから来たの?」
作業着のチェ・ゲバラが話しかけてきた。
「東京です」
「東京ねー、俺、去年行ったわ」
ゲバラは
旅ではさまざまな人との出会いがある。楽しい人もいれば、イヤなヤツもいる。世の中ってやつは、種々雑多な人間がワッサワッサと寄り集まって出来ているのだ。そうした旅を繰り返すうち、人は見かけで判断できないことも覚えた。
「ところでムツゴロウ先生知ってる?」
ゲバラが突然話題を変えてきた。それまで土木工事の話題に終始していたから意外だった。
「知ってますよ、畑正憲でしょう」
畑正憲は私の好きな作家の一人だ。ムツゴロウシリーズは全巻読んでいた。当時はまだ彼がテレビに出はじめる前で、一般的には著名人とはいえない時代であった。ところがゲバラも、畑正憲の著作を読んでいるという。浜中町にある動物王国のことで、ひとしきり話が弾む。まったくもって、人は見かけによらないのだ。
やがて日が暮れ、私は駅前の空き地にテントを設営した。設営手順は単純だ、テントに作られたガイドにグラスファイバー製の棒を通していくだけ。最後の棒を押し込むときだけちょっと力とコツが必要になるが、旅に出る前にさんざん練習をしてきたので、なんとかクリアできた。
北海道三日目の夜。
背の高いヒョウキンなヤツ、真ん中分けの長髪と一重のたれ目が某アニメの登場人物に似ているので「シデン」と名付けた。身長が中ほどで筋肉質の寡黙なヤツは、見た目がそのまんまムッツリすけべなので「ムッツリーニ」。小柄で朗らかな好印象の少年が「フレンディ」。横浜からやって来たという彼らの本名を聞くには聞いたが、すぐに忘れた。おそらくもう二度と会うことない少年たちだから、ニックネームでいいだろう。私は自らを「セン」と名乗った。
◇
ツーリング中のバイク乗りが集まれば、雑談を交えた情報交換が行われる。話のネタは、警察の取り締まり情報や、道路状況、宿泊地や観光地の見どころ等々だ。まだインターネットはなく、無論ケータイなんて便利なものもない時代だったから、旅先で出会った仲間から聞く体験談は貴重な情報だった。
「あの白いクルマさ、あれヤバかったなぁ」
早速、シデンが口を開いた。
「センさん、俺たちひどい事故を見ちゃったんですよ。ファミリーカーが崖に突っ込んでグッシャグシャ」
フレンディが目撃談の情報を補足する。
「クルマの中を見ると、そこにいたのは首なし運転手。このヘンから上がスッパリと切断されてた」
シデンが自分の首に手刀を当て、スパっと切る真似をする。
「うへ、グロいな」
私は顔をしかめた。
「しかも首から流れた血の量がハンパじゃないんですよ。運転手の上半身は血で真っ赤っ赤のグショ濡れ。俺モロに見ちゃって……夜トイレに行けないかも」
フレンディは泣き笑いの表情を浮かべる。
「キヨスケはビビりだからな」
嗤うシデン。フレンディは仲間内ではキヨスケと呼ばれているのか。
おしゃべりは専らシデンと、キヨスケことフレンディのようだ。ムッツリーニは聞き役に徹していた。
「見たって言えば、俺らイイものを見たよな」
にやけるシデン。
「イイものって?」
話が見えてこない私はオウム返しに尋ねる。
「それがね、俺たち露天風呂へ行く途中の泉で見たんですけど……」
ニヤニヤと相好を崩したフレンディが語り始めたところへ、今まで黙っていたムッツリーニが手を伸ばし、フレンディの肩に当てて彼の言葉を制した。
「その話はやめておこう」
なぜかムッツリーニの顔が青ざめて見えた。
彼らは一体何を見たんだろうか? 私は疑問に思った。露天風呂で裸の女の子を見たとか、高校生らしく他愛のないエロ話かと思ったが、彼らの様子を見るかぎり、その手の話とも違うようだ。ノリノリのフレンディと不安げなムッツリーニ、真逆の反応ではないか。ひょっとすると彼らの眼には、それぞれ違うものが映ったのかもしれない。それは、うがち過ぎだろうか。
先ほどまで私と談笑していたゲバラは、我々バイク乗りの会話に興味がなかったのか、いつの間にか姿を消していた。
◇
夜も更け、明日のツーリングのため早めに休息を取ろうということになり、駅舎を出てそれぞれのテントに向かった。歩きながら頭上を見上げると、清冽な大気の下、かすみ草の花を摘んでばら撒いたような満天の星空が広がっている。これが北海道の夜空か。私は、これまで目にした数々の風景とともに記憶へと刻み込んだ。
私はテントにもぐり込む前に思い直し、駅のトイレへ行くことにした。トイレは駅舎の外に作られており、内部はアンモニアの臭気がただよう古びた建物である。トイレというより便所と呼ぶほうがが似つかわしいかもしれない。
薄暗く、不規則にちらつく蛍光灯に照らされたトイレで小用をたしていると、左斜め後方の戸口から声を掛けてくるものがある。
「トイレ入るの?」
首をめぐらせて戸口を見ると、ゲバラが立っていた。青みがかった蛍光灯に照らし出された顔が不自然に引きつっている。
「え?」
入るも何も、私はすでに入って用をたしているではないか。見ればわかるだろうに。あるいは個室に入るかどうかを聞いているのかと思った。だが、二つある個室はどちらも空いている。確認するまでもなく自由に入ればよいではないかと、怪訝に思った。用を済ませた私は、挙動不審な彼を残してトイレを後にした。
◇
バイクに積むことを考えて、小さなテントを選んだのは失敗だったかもしれない。二人用をうたったテントの中は狭く、内部に荷物を並べてしまうとシュラフに潜り込むのにひと苦労する。体をくねらせ、ようやく潜り込みに成功してから十分も経った頃だろうか。テントの外から呼ぶ者がある。フレンディの声だった。
「センさん、センさん」
「どうしたの?」
「変態です! 俺たち逃げますから」
「どういうこと?」
私はシュラフから這い出て、テントのジッパーを開けた。隣ではシデンとムッツリーニがテントをたたみ始めている。
「知らないんですか? ツーリング中のバイク乗りを襲う変態野郎がいること」
フレンディが早口でまくしたてる。
「それって都市伝説じゃないの?」
「アイツ、トイレでコレしてました。これ見よがしに」
フレンディが下半身に当てた手を動かした。瞬時に私は状況を察する。ゲバラはイカれている、ムツゴロウ好きの好人物はどこへ行った。
「アイツ変質者だったのか!」
「センさんも一緒に逃げませんか?」
私はすぐさまテントの撤収に取り掛かった。事前練習の成果でたたむのも早い。結果的に、先に片付けていた高校生たちを追い越して、私が待つ形となった。
「俺ってカワイイからさ、寝てる間に襲われたらどうしよう」
片付ける手を止めずにシデンが冗談を言い、仲間二人が「ないない」と応じる。まもなく全員の撤収が完了した。
「次の街『
地図を広げたムッツリーニが案を出す。高校生のグループは彼がリーダーのようだ。残りの二人がうなずく。
「センさんは、
異論はない。ムッツリーニに「了解」と応じた。
そもそも、こういう修羅場に慣れていない私は及び腰になる。何しろ大学のサークルは文芸部、しかも部長だ。なので腕力に関してはこう言い切る自信がある。『滅法弱い』と。敵に向かって古今東西の警句を滝のように浴びせかける必殺技を持っているが、それで下半身を中心に猛り狂ったゲバラがひるむだろうか。まあ無理だ。
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