17 My Story

「見えてきた! あれがそうか?」

「はい、確かにあれがアンサン聖池の祭壇です」

 

 ウガメルの背中に乗って2時間ほど、段々と辺りが暗くなり始めた頃。ゆっくりとしたその航行の先にやっと祭壇が姿を表した。オクライ山のものと似た平らな箱のような石の塊が、切り立った崖の前に鎮座している。

 

「思えばこいつは祭壇を護ってくれてたのかもな」

 

 胡座をかいている床、ウガメルの背中にそっと触れてみる。

 

「かも……しれませんね。魔力に反応して出てきたのなら、来訪者を試す役割もあったのかもしれません。四方の祭壇に来るのはナクラーレン以外、私も初めてなのでこんなことになるとは……」

 

 王宮を追われたアイラは祭壇を転々としていたと言っていたが、それは東にあるナクラーレン聖窟とライバーンからオクライ山の間にある、一般人も訪れることのできる普通の祭壇。それらの祭壇裏部屋を身を隠しながら移動し続けていたらしい。

 中心のオクライ山、北のアンサン聖池、南のサイバル聖谷、東のナクラーレン聖窟、西のトウトウ聖丘にあるのは四方の祭壇と呼ばれている魔力の濃い土地に作ってあるもので、一般人は近づくことすらできない特別な聖地なんだそうだ。

 

「何にしても生きてたどり着けて良かったよ……」

 

 ウライ神聖帝国親衛隊、クランクランからの旅の途中での山賊、ギン、ワレスでの憲兵隊、そしてウガメル。

 どの戦いも生き残ることができたのは奇跡のようなものだろう。ただのフリーターだった俺が随分と異世界に適応できたものだ。横に置いたアコギをそっと撫でてみる。元の世界にいた時から常にこいつだけは隣にいた。その相棒が俺を守る聖具になるなんて不思議なものだ。

 

「ええ、もしかしたら神が私達のことを見てくれているのかもしれませんね」

「神、かぁ」

 

 無宗教の国に住んでいた俺にとって神に守られているというのは想像がし辛い。しかしこれだけ魔法やら巫女やら聖獣やらが存在する世界だ、神くらいいてもおかしくない気もする。

 

「まあそれも祭壇に行けば何か分かるんじゃないか?」

「……オクライ山から飛び散った光の欠片を追えばきっと何かが分かると信じてこんな所まで来ましたけど、これでもし何も関係無かったらなんとお詫びすればいいか……」

「まあ、その時はその時だ」

 

 オクライ山で俺が歌った時、祭壇が光り輝き4つの光が方々に飛び去った。その先が四方の祭壇だと予想したアイラの言葉でここまで旅をしてきた訳だが、考えてみれば全然違うとこに飛んでた可能性もあるんだよな。その場合は全てが振り出しに戻ると考えると背中を冷や汗が伝う。

 

 (いや、そうだとしてもこの旅は無駄にはならないはずだ)

 

 アイラを巫女にして神とのコンタクトを取ってもらって元の世界に帰る。それが最初の目的だった。しかし今やそれは自分の中での最優先事項では無くなっている。今はただ、この少女が幸せに暮らせるように助けてやりたい。

 この気持ちはどこから来るものなんだろう。最初に出会ったことによるすり込み? 可哀想な境遇に同情した庇護欲? 死地を共に潜り抜けたことによる仲間意識? ……それとも。

 その全てが混ざりあって複雑な想いが自分の中で渦巻いている。少なくともすぐにでも帰りたいと思っていないのは確かだ。

 いよいよ目の前に迫った祭壇を前に決意を新たにする。この魔法は自分の大切なものを守る為に使うんだ。

 

「行こうまずは北、アンサン聖池祭壇だ!」

 

 

 

 ゴツゴツした岩場ばかりだったアンサン聖池の周りだったが、祭壇周りだけは整地をされており平らな地面になっていた。ウガメルの背中から降りると船から降りた時のような地面が揺れる感覚を覚える。

 

「ほら、気をつけて」

「ありがとうございます、よい……しょっ」

 

 手を差し出してアイラが降りるのを支える。ウガメルが横付けてくれはしたが地面とは高低差がかなりあった。

 

「わふっ!」

 

 ギンはそんなことを苦にもせず、ひらりと地面へと飛び降りてしまう。あれくらいの身のこなしができれば日常生活で怪我とかしなさそうだよなあ。

 

「何はともあれ、着いたな」

 

 目の前にしてみると祭壇周りはとても綺麗な空気を纏っているような気配がする。オクライ山の祭壇もこうだったのだろうか。

 

「そういや、魔力がかなり濃いって話だけどアイラ大丈夫か?」

「……えぇ。ゆっくりと近づいてきたのである程度は耐えられます」

 

 気にしてみればアイラは少し辛そうにしていた。一般人には耐えることができないという聖地の魔力。濃い魔力で聖獣化したギンと、聖具に護られている俺には無害なようだが巫女として覚醒していないアイラにとっては辛いのか。

 

「無理はするなよ? とは言ってもギンに頼んで遠くに連れてってもらうことくらいしかできないけど……」

「ありがとうございますサクライ。……でも大丈夫です! 昔からお母様に連れられてオクライ山などにはよく行っていたので。昔はかなり辛かったですけど今では慣れたもんですから!」

「お母さん、結構スパルタだね……」

 

 巫女として生きることを宿命づけられた者の定めなのだろうか。

 ……もしかしたらアイラのお母さんはアイラがこういう状況に置かれることを予期して昔から慣れさせたなんてことも?

 

 (アイラが巫女として覚醒できないなんてことを予想出来るわけないか)

 

 話に聞く限りでは巫女は世襲制だ。300年間、母からその娘へと脈々と受け継がれてきたという。そこに特別な資格や何かがあるとはアイラは話していなかった。

 

「……そういや、女の子が産まれなかったことって無いのか?」

「え?」

「いや、巫女ってお母さんから娘へ、そのまた娘へと受け継がれてきたんでしょ? 女の子が産まれなかったら途切れちゃうじゃん?」

「……考えたこともありませんでしたが、確かにそうですよね。今のところ全ての世代で女の子は産まれ、巫女の血は絶えず受け継がれているはずです。少なくとも私の代までは」

 

 なんだろう。特殊な産み分け法でもあるのかしら。それとも魔法?

 なんにせよここまで女子が産まれなかった例はないらしい。

 

「男子は将来はどうなっていくんだ?」

「大体が王宮に残って政治に関わる要職に付きます。中には王宮を出てどこかに婿入りしていくこともあったようですが。結婚はしていないですし女性ではありますがお母様の妹のトーアおばさまなんかが分かりやすい例ですね」

「へえ。じゃあ王様……帝王になるのは外部の人になるのか」

 

 日本で産まれた俺からすると少し違和感を感じるが、この国は建国時からその歴史を重ねてきているのだ。価値観なんてその個人が産まれ育った環境で簡単に変わる。善悪の区別すらも。

 

「ええ。私のお父様も皇族に近い貴族の出です。……帝王として最高権力の座にはいますが実権は巫女とその相談役達に握られている形ばかりの地位ではありますけどね……」

 

 カルム皇太子により投獄されてしまったというアイラの父。その立場は国においてそこまで強いものでは無いようだ。クーデターなんかが起きてしまったのも実権を握る巫女の座が空席となった今だったからというのもあったのだろう。

 

「アイラは……お父さんのこと好きか?」

「……はい。お父様が私のことをどう思っていたかは分かりませんが大切な家族です」

「そか。なら早く助けてやらないとな」

 

 カルム皇太子がクーデターを起こし投獄してしまったことからしても、皇帝との親子関係はあまり良くないのだろう。それでもアイラが救いたいと願うのならば俺はそれを自分にできることで後押しするだけだ。

 

 

 

 アコギのストラップの捩れを直しながら肩にかけ、祭壇に向き合う。いよいよこの時がきた。オクライ山の祭壇前で歌ってから17日。この世界のことを知った、魔法のことを知った、アイラのことを知った。

 事故にあって召喚された、右も左も分からなかったあの時とは違う。何のために何を思って誰の為に歌うのか。

 後ろで見守るアイラの視線を感じながら背中を広げるように静かに息を吸う。

 

「──My Story」

 

 

 

 いくら寝ても寝足りなくて

 嘘つきの自分は嘘の夢を見る

 いつかバレてしまうのなら

 全て見えなくしてしまおうか


 暗くて分からなくて

 光さえも怖くて

 それでも甘えてしまうんだ

 ごめんね


 今までの僕は曲がってばかりで生きてきた

 逆境も困難も誤魔化して避けてきた

 これからの僕はどうやって生きていく?

 光の下で生きようとしたことない僕の旅

 

 

 

「……っ! 祭壇が……」

 

 アイラの声に意識が現実に戻される。見れば祭壇は俺の歌に反応して光を発していた。オクライ山の時と同じだ。

 光はやがて収束していき、1つの玉となっていく。これはあの時と同じ……!

 

「くそっ……また弾けちまうのか……?!」

 

 光を追って四方の祭壇を巡ることでアイラが巫女として覚醒するきっかけを得ることができると思いここまで来た。しかし光がここに落ちていたとしてもこれから何が起こるかの予測は誰にもできない。

 光の収束は止まらず、そのエネルギーの余波によって地面が鳴動し始めた。

 

「くっ……! 地震か?!」

「ぐわぅ!」

 

 振り返るとギンが、倒れ込みそうになっていたアイラを自分の背中へと投げ上げていた。

 

「大丈夫かアイラ!」

「すみません……! あまりの魔力にあてられてしまって……。これはオクライ山の時よりも強大な魔力です」

「オクライ山の時よりも……?!」

 

 それが何を意味しているのか。それを考えようとしたその時だった。

 光の収束がピタリと止まり、一瞬の静寂が訪れる。嫌な予感がする……!!

 

「アイラっ! ギンに掴まれぇぇえええええっ!!!」

 

 その叫びと同時に、恐ろしい揺れがドカンと大地を襲った。

 

「きゃっ……!!」

「ウォフッ……!」

 

 今までの地震の中で一番大きい! これはやばい……っ!!

 

「ギンっ……こっちに来い!」

 

 俺の言葉を聞いて地面に爪を立てていたギンが這うようにこちらに移動してきた。この状況でそんな無理を言う理由、それはたったひとつ。

 

 湖にも津波は存在するのだ。

 

 大体津波は揺れから30分で陸に到達すると言われている。その前に祭壇裏部屋に逃げ込んでしまわないといけない。

 

「くっ……立っていられないっ」

 

 膝をついて揺れに耐える。

 この揺れが国全体を襲っているとすれば被害は甚大だろう。クランクランやヤイタ、ワレスの街並みが頭をよぎる。

 どうにか……この揺れを止める手段はっ……?

 

「そうだ、光……!」

 

 祭壇から光が放出されひとつになった直後にこの揺れが起きた。この光は地震を抑える力だったのではないか? 仮にこの光が地震を抑えていたのだとすればそれを戻してやれば!

 

「アイラ! この光を祭壇に戻すにはどうすればいい!!」

 

 ギンの背中に伏せているアイラに問い掛けると、彼女は俺の考えを理解したのかハッとする。

 

「戻し方……とは少し違うかもしれませんが、サクライの桜花を使ってその光の玉を霧散させてしまえば魔力はまた祭壇へと帰るはずです!」

「桜花でっ……?!」

 

 確かに俺の桜花は触れた魔法を打ち消す……! こんな強力なものに対しても通じるかは分からないが、ウガメルの水の柱だって無効化して見せたんだ。可能性は0じゃない!!

 

「うおおおおおおおおおおっ!!」

 

 揺れの中で必死に立ち上がる。安定しない地面に必死に抗い、正面にギターを構えた。揺れは相変わらず収まる気配がない。やるなら早く、ここでアクションを起こせるのは俺しかいないんだ。

 

「桜花ああああああああぁぁっ!!」

 

 叫びながら右手の人差し指で5フレットの弦を叩く。ハーモニクスの美しい音色が響き渡るのと同時に右手を祭壇上の光へと向けた。瞬間、俺の手からは大きな桜の花が零れ咲く。

 ジリ、と地面を擦るように歩を進める。光に……触れろっ!!

 

「届っ……けえええええええ!!!!」

 

 不気味なほど静かに静止している光に向けて手を伸ばす。あと……30センチ!!

 

「サクライッ……!!」

「ワゥッ!!!」

 

 2人の声を受けてまた1歩、また1歩と進む。しかしその時、さらに大きな揺れが大地を襲った。

 

「ぐっう……?!」

 

 不意打ちによろめき、倒れそうになる。不味い、ここで倒れたら届かない……!

 

 ブシュウッ!!

 

 どこかで聞いた音が後ろから響いた。これはウガメルの水弾の……!! 先程嫌という程聞いた音が後ろからしたということはつまり。しかし今そちらに構う余裕は無い。

 

「くそおおおおおおおおおぉっ!!」

 

 ポポポポポッと自分の背中で水弾が弾けたのを感じたと同時に、その反動で前にグンッと押し出される。

 そしてその結果、伸ばしていた右手の花が光の玉へと触れた……!!

 

 バチバチバチィッ!

 

 桜花と光の玉の接触は一定の均衡を保った後に光を溢れさせ、視界が真っ白に染まった。

 

「ぐっ……?!」

 

「そんなっ……サクライッ!!」

「グワゥウウウウウウッ!!」

 

 光に……吸い込まれるっ……!!

 

 

 

 

 

『アンサン聖池祭壇にて接触を確認。権限の一部移譲プロセスを開始します』

『同時に被魔法データを参照。水魔法に対して耐性を作成。雷魔法への耐性と同時に付与を予定』

『言語認識を拡張。聖地付近では契約を結んだ相手との感応対話テレパスを可能に』

 

「……ん、んん? なんだここ」

 

 真っ白な空間。上も下もない。暑くも

 寒くもない。あるのはただ白、白、白、白。

 そんな空間に声だけが響き渡っていた。

 

『自動防御魔法任意発動進化形、呼称"桜花"の自動化は20%進行。引き続き発動が必要』

『権限移譲プロセス進行40%』

 

 機械的な女性の声が何かを淡々と告げている。なんなのだこれは。

 

「あの、誰かいるんですか? 一体何がどうなっているのか説明して欲しいんですけど……」

 

『聖獣との繋がりリンクを確立。以後、聖具無しでの感情感応が可能』

『権限移譲プロセス66%進行』

 

 その問いに答える者はいない。声はただひたすらに何かを告げ続けていた。

 次第に意識が遠のいていく。

 

『発声による魔法イメージの最適化を適用。以後被魔法に対して学習進化を可能に』

『雷、水の魔法耐性の作成完了、付与します』

 

 声は俺の存在には構わず何かを唱え続ける。

 

 (早く、戻らなきゃいけない……アイラ達を護らないと……!)

 

『権限一部移譲プロセス完了、100%。以降、大地の鳴動は非召喚者に一任されます』

『全権限中40%の移譲が完了、引き続き聖地での移譲の準備を続行』

 

 訳の分からない言葉が続いていたが意識が続いていたのはそこまでだった。強力な何かに引っ張られ、何もかもが遠のく……。

 

 

 

 

 

「っ……はっ?!」

 

 ガバッと身体を起こすと、そこはオクライ山の祭壇裏部屋に似た洞窟の中だった。そこに置いてあるベッドに寝かされていたようだ。

 

「一体あの後何が……?」

 

 光の玉に触れようとしてあと少しのところでウガメルの水弾を背中にくらった。その反動で吹き飛ばされたことによって光の玉へと桜花が届き、その後は……。

 

「なんか、あったような気がするんだけど……」

 

 何も思い出せない。頭の中はただただ真っ白だった。

 しかしさっきの水弾、今思えばあれはウガメルの助太刀だったのでは無いだろうか。

 

「運んでくれたことといい、俺らのこと認めてくれたのかな」

 

 聖獣は意外とみんな話が分かるやつばかりのようだ。なんだか心が温かくなるような不思議な気持ちに包まれる。

 

「……ウガメルはご主人のことを褒めていたぞ。我が最強の魔法を受け止めてみせたのは100年前の巫女以来だと」

「へえ。ウガメルってそんな長い間アンサン聖池にいるんだな。じゃあやっぱり来る者を試しているって推測は当たってたわけだ」

 

 ずっとあの池を守り続けている聖魚ウガメル。その楽しみはこうして訪問してくる者達を試すことのみなのかもしれない……なんて妄想をしてみる。

 

「我がご主人を試すなど厚顔無恥にも程があるがな。だが帰りも運ぶと言っている以上無下にもできないのが歯がゆいところだ」

 

 

 

 ……ん?

 今、俺は誰と会話をしている?

 

 まるで頭に響くような若い女性の声、アイラではない。しかしその声の主は見回しても見当たらない。

 

 

 

「何を言うご主人、言いつけ通りあの小娘を連れて守ったというのに……寂しいでは無いか」

「あの小娘……?」

 

 成り行きのままその声と会話をしていると部屋の入り口からギンが入ってきた。

 

「お! ギン。無事だったか! 良かった良かった……さっきはアイラのこと、ありがとな?」

 

 手を伸ばすと撫でやすい位置まで頭を差し出してきたので、わしゃわしゃと撫で回してやる。気持ちよさそうに目を細めて可愛いやつだ。

 

「く……このように撫でられるのは屈辱的であるのに……。毎回毎回この快感に抗えない……ッ!!」

「………………は?」

 

 目の前のギンと目が合う、澄んだ蒼い目は見ているだけで心が洗われる。美しい銀色の毛並みは今日も少しも乱れることが無くふわふわサラサラだ。もしこいつが人間だったらさぞ美人であっただろう……まるでこの声の持ち主のような……。

 

「ご、ご主人。あまり褒めすぎるな、照れるでは無いか……」

 。

 。

 。

 。

 。

 。

「はあああああああああああああああああああああああああああああぁあああああぁあああああああああああああああああああぁぁぁっ?!?!!???!??!!」

「ど、どうしましたかサクライッ!! あ、というより起きたんですね! 良かった……」

 

 俺の絶叫を聞いてアイラが部屋の入り口から駆け込んできた。しかし今はそれよりも……。

 

「ギ、ギンが……ギンが喋ってる……」

「はい?」

「む?」

 

 俺の言葉を聞いて女性陣は同時に首を傾げたのだった。

 

 

 

「つまりサクライは今、ギンさんの言葉を理解することができているとそういうことですか?」

「そうなのかご主人! 我の声は今通じているのか!!」

「う、うん……そうみたい」

 

 しかしギンの鳴き声がそのまま言葉として聞こえている訳では無い。まるで頭の中に直接響くようにギンの言葉が伝わってくるのだ。

 

「なんでしょう……私達の言葉を理解することができていることの延長線上なのでしょうか? 私にはギンさんの声はわふわふとしか聞こえません……」

 

 悲しそうにするアイラ。

 

「我の言葉を理解しているのはご主人だけで良いのだ。……しかし小娘が望むのならご主人から伝え聞くことくらいは許しても良いぞ……?」

「…………」

 

 何なんだこれは。

 

「今ギンさんはなんと……?」

「あー……アイラが望むなら俺からギンが言ってたことを伝えてもいいってさ」

「そうなんですか? ありがとうございますギンさん……。これからはたくさんお話しましょうね」

 

 余程嬉しかったのかニコッと笑いかけて、きゅっとその首に抱きつく。

 

「む……やめろ小娘。毛並みが乱れるでは無いか」

 

 そんなことを言いつつ満更でもなさそうなギン。

 

「今ギンさんはなんて?」

「あー……好きにしろってさ」

「ご主人?!」

 

 ひとしきりわちゃわちゃした後に、アイラがお茶を淹れできてくれたので一息つく。

 唐突に理解できるようになったギンの言葉。その謎の解明は一旦置いておいて今は現状の把握をすることが第一であるため、3人での話し合いを始めた。

 

 

 

「サクライが桜花で光の玉に触れた時、玉は消えるのではなく膨張しサクライを飲み込んだんです」

 

 その時のことを思い出すように天井の一点を見つめながらアイラが話を進める。

 曰く、俺を飲み込んだ光は10秒ほど経ったあとにアコギに吸い込まれたそうだ。そしてそれと同時に地震もピタリと収まり、アイラとギンは急いで祭壇裏部屋へと意識の無い俺を運び込んだらしい。

 それから3時間ほどが経ち俺が起床、今に至ると。

 

「本当に……本当に心配したんですからね」

「悪い。心配かけてばっかだな」

「ほんとですよ……もう」

 

 そう言いながらもアイラの表情はとても柔らかかった。

 

「とりあえず、目的は達成ってことでいいのかな……?」

「多分そうなると思います。光は聖具へと吸収されたのでアンサン聖池祭壇にはもう何も無いかと」

「そうか……」

 

 何か変化はあったのだろうか?

 オクライ山の時は俺が歌って光が弾けた時、空が晴れた。ずっと雨だったというウライに久しぶりの晴れ間をもたらしたのだ。あれ以来毎日の天気は晴れ、たまに雨という正常な姿を取り戻している。今回もそういう風に分かりやすい変化があると思っていたんだけど……。

 

「気がついていないのかご主人。そなたはこの地を襲い続けていた地の揺れを収めたでは無いか。これほど分かりやすい変化がほかにあるか?」

「……マジ?」

「ギンさんはなんと?」

 

 アイラにも今考えていたこと、ギンが言っていたことを伝える。

 

「そう……ですか。それでは地震がピタリと収まったのはサクライの力だったというわけなんですね」

 

 アイラはそれを聞いて納得したような顔をしていた。しかし待って欲しい。

 

「なあアイラ。これって……」

「……巫女の力、ですね」

 

 2人とも無言になる。

 巫女。それは神へ祈りを捧げることによりこの世に安寧をもたらす存在。そしてそれはウライ神聖帝国の初代巫女から脈々とその娘へ受け継がれてきたものだった。しかしアイラは巫女として覚醒することができていない。本人の話では巫女特有の大量の魔力も保有していないらしかった。

 そこに現れた俺という存在。大地から無限の魔力の供給を受け、止まない雨を収め、地震を鎮めた。

 

 これは……なんだ?

 

「……あくまで仮定の話にはなりますが」

 

 ぽつりと話し始めたアイラに無言で頷いて続きを促す。

 

「私が巫女として覚醒できず混乱が世に広がってしまった状況を解決するためにサクライは巫女の代わり、神の使いとして召喚されたのかもしれません」

「俺が……巫女の代わり……?」

 

 いや、しかし待って欲しい。

 

「俺がこっちに来たのって事故にあったからだと思うんだ。完全なる偶然だし、流石に都合が良すぎないか?」

 

 アイラが祈りを捧げたタイミングでたまたま事故にあい召喚された。ついでに神の使いとしての力を与えられたなんていうことがあるのだろうか?

 

「ですが実際にサクライは大地震を止めてみせました。それがなによりの証拠なのでは?」

「う〜ん……」

 

 確かにそれはそうだ。でもそれでは……。

 

「アイラが覚醒するまでの繋ぎ……ってことでいいんだよな?」

「い、いえ! そんなつもりで言ったわけでは……」

 

 手を振って慌てるアイラ。

 

「あ、違うんだ。責めてるわけじゃなくて、アイラが覚醒するまで代わりを務めるってことだよな?」

「え? あ……」

 

 俺の考えていることをことを理解して言葉を切らす。

 そう。これがアイラが覚醒するまでの繋ぎとしての役割ならいい。だがもし仮に、

 

 俺自身が巫女としての役割を与えられて、召喚されたとしたら?

 

「……なんてな! ごめん、そんな誰も幸せにならない想像しても仕方ない! あくまで俺はアイラが聖地を巡って巫女として覚醒するための手伝いをするのが役割だ。な! ギン?」

「…………」

 

 そんなの……そんなの、産まれてきた時からその為に生きてきたアイラはどうなるんだ。

 ギンは答えない。ただじっと俺たち2人を見守っていた。

 しかし口を開いたのはアイラだった。

 

「……例え、もしサクライが次の巫女として召喚されたのだとしても」

 

 こちらを真っ直ぐ見て告げるその目に迷いは無かった。

 

「私たちのやること、私の望みは変わりません」

「アイラ……」

 

 ──ウライ神聖帝国の巫女は神に仕え、祈りを捧げてこの国の安寧を守ることが使命です。つまり今は神の使いたるサクライ様に仕えるのが私の果たすべきこと。

 

 出会った頃のアイラの言葉だ。

 あの時からアイラは国のため、国民のためにずっと、ずっと1人で。こんなに近くにいるのに何も分かってやれていなかった。

 

 彼女には自分が無い。

 

 あれがしたい、これがしたい。全ては大義の為。

 俺の歌を聴いて涙する顔楽しそうにしている顔、ガーチョウの串に口を汚しながらかぶりついていた時の笑顔、指輪を送った時の胸が切なくなるような涙を溜めた笑顔。

 

 俺が守りたいと、大好きだと感じるアイラだ。

 

 今の顔はただひたすらに無表情を貼り付けたウライ神聖帝国皇女、アイラ・エルスタインとしての顔だった。

 

 こんな顔をさせたくて俺は共に旅をしてきたのか?

 

「……違う」

「サクライ……?」

「違うんだ……アイラっ」

「っ……あ」

 

 震え強ばるその細い手をぎゆっと握る。

 

「サ、クライなにを……?」

「国のためとか世界のためとか巫女の為とか俺にはよく分かんない。所詮俺は外の人間だ」

 

 俯き地面に言葉を吐き捨てる。吐露した事の無いその感情を。

 

「でもそんな中でも守りたいものが俺にもある」

「守りたい、もの……」

 

 包み込んだ右手の人差し指の指輪をそっと撫でる。

 

「アイラには常に笑っていて欲しい。巫女とか関係ない1人の女の子として。そのために俺はここに今いるんだと思う」

「え……?」

 

 アイラが虚をつかれたように俺の顔を見たのが分かった。

 

「俺はアイラの為に召喚されてアイラの為に今を生きている……だから」

 

 その目を俺も見つめ返す。赤く充血してしまったその眼を。

 

「俺の全てはアイラのものだ。この力も魔力も何もかも全て」

 

 そっとその頬に手をあてる。冷たくなってしまっているその頬に一筋、温かな感情の欠片が伝った。

 

「きっと俺自身が巫女なんてことは無いよ、先代の巫女の娘はただ1人なんだから。俺は例えるならアイラの聖具のようなもの」

 

 そっと目元を拭ってやる。

 

「だから気にするな。そんな無表情、アイラには似合わないよ。笑いたい時は笑って、辛い時は……泣いていいんだ」

 

 精一杯の笑顔で笑いかける。俺は上手く笑えているだろうか? ……きっと不細工な顔になってしまっているに違いない。でもそれでいいんだ。これがありのままの俺。嘘偽りない全てなのだから。

 

「……私、は」

 

 握ったその手に力がこもる。

 

「巫女としてウライに平穏をもたらすために生きてきました。……そこに個人的な感情はいりません」

 

 握った手がきゅっと引き寄せられた。

 

「お母様が亡くなった時も、お兄様がクーデターを起こして私を捕らえようとした時も、1人で逃げ続けた時も辛いなんて思うことは無かった、いえ。そんなことを思うことは許されていなかった。その暇があるなら祈り続けていた」

 

 祈るように顔の前に繋がれた手が持ってこられる。

 

「なのに……それなのにおかしいんです」

「……おかしい?」

 

 顔は隠れていてその表情は伺えない。

 

「最近は何をしていても別の感情が邪魔をするんです。ずっと1人でいたはずなのに1人が寂しくて、寒くて。巫女に感情はいらないのに……」

「……うん」

 

 俯いたままぶつけるようにトンっと身体を寄せてくる。

 

「ずっと……ずっと辛かった……寂しかった……っ!! お母様がいなくなってお兄様もおかしくなってしまって不安だった!! 怖かった!!!」

 

 遠慮がちに抱きしめた身体は酷く震えていた。涙が胸を濡らす。

 

「サクライと出会ってから感情の制御が上手くいかなくなって……まるで昔の私に戻ってしまったようで……っ!! 幸せだった昔の夢を沢山見るようになって」

 

 そしてアイラはその顔を上げた。真っ直ぐな視線が俺を射抜く。

 

「全部、貴方のせいです桜井……トウシ」

「っ…………」

 

 上手く息が吸えなくなるほどの衝撃に打たれ喉が鳴る。アイラの頬は紅く染まり、熱に浮かされたようなその瞳は濡れていた。

 ハラハラと流れる涙はまるでアイラ中のの淀んでいたものを洗い流していく様で、この世の何よりも美しいと感じる。

 

 心臓の早鐘が感情と理性の制御を狂わせていくのが分かった。今身体は走り出したくなるような熱を芯に帯び、これはまるでアイラを治療したあの固有結界を発動した時のような……。

 

 ドクンッ

 

「っう……?!」

「ぁっ……!」

 

 突如胸が痛みを伴うほどの激しい鼓動を打った。アイラも何かを感じ取ったようで右手を抑えている。

 

「今のは一体……」

「……これは、指輪を通してもらった時と同じ?」

「っ何かわかるのか?」

「もしかすると……」

 

 まだドクドクと何かが流れ出しているような鼓動は続いていた。アイラが何かに気がついたかのように右手を胸の前に掲げる。

 

 瞬間、俺たちの間に目が眩むほどの光を発する魔力が吹き荒れた。

 

「うぉっ……?!」

「ご主人っ!!」

 

 ゴオゴオとまるで吹雪のように吹きすさぶ魔力が周りのものを吹き飛ばしていく。ギンが慌てたように駆け寄ろうとしたが、俺の前に展開した花弁を見て足を止めた。

 

「す、すみません!! 制御が効かなくて……っ」

 

 ワタワタと手を振って集まった魔力を霧散させるアイラ。本人にも予想外のことだったようだ。

 

「い、今のは一体なんだったんだ……?」

「瞬間的なものだったが、先程のウガメルに対して放ったよりも多量の魔力が一瞬にして放出されていたぞ小娘」

 

 ギンの言葉をそのまま伝えるとアイラは頷く。

 

「信じられないことですが……今私はサクライから魔力を受け取り、それを放出していました」

「俺から……っていうと……?」

「つまり、サクライが大地から吸い上げている魔力をそのまま頂いて使ったんです。あまりに多量だったので調節を誤ってしまいましたが……」

 

 再びアイラが右手を目の前に出したのでビクリと身構えたが、次は先程のようなことにはならなかった。

 キラキラと薄青の魔力が大量にアイラの手から溢れ出し、やがてそれは棒状の物を象っていく。

 

「はっ……」

 

 そしてその右手を握りこんだ瞬間、光が弾けた。

 そこには一振りの氷の剣が握られている。美しく透き通っているそれはアイラという少女の在り方を象っているように見えた。

 

「魔力の固着化……。こんな簡単に」

 

 しかしそれを生み出した張本人は呆然としていた。

 

「すげえ綺麗な剣だなそれ。なんか驚くことがあったのか?」

「……はい。魔力というのは基本不定形なものなんです。サクライの光槍も私の魔法も基本的にはモヤモヤとした形の無い魔力をイメージした形にまとめて放っているだけです。だから魔法は基本的に着弾と同時に消滅してしまう」

 

 言われてみれば確かにそうだ。自動防御魔法によって防いだ魔法はほとんどがその瞬間に消滅している。アルナという兵士はそれを一定時間留めることのできる聖具を使っていた。、

 

「ですがこの剣は今実体を持ってここにあります」

 

 少し後ろに下がってアイラがヒュンッと剣を振って見せた。しかしその剣は消えることなくその手に握られている。

 

「これは途方も無い量の魔力を凝縮することによって、モヤモヤとした不定形では無く1つの固体としてこの空間に固着させているんです。こんなことができるのは固有結界を使うことのできる程の魔力と技術を持つ魔法使いか……巫女のみ」

「な……それって……」

 

 アイラが手を開くと剣は光の帯となって解けていった。

 

「今私は巫女と同等……いや、それ以上の魔力をサクライを通して使うことができているんです……![#「!」は縦中横]」

「凄いじゃないかアイラ……!!」

「ええ……。こんな、溢れる程の魔力を感じたのは初めてです。これがお母様達が見ていた世界……」

 

 剣を握っていた右手を呆然として見るアイラ。

 

「やったな……! 遂に巫女として覚醒することができたんだ」

「いえ……ですがこれはサクライから受け取っている魔力です。私の力では……」

「いいや、そんなことないさ。いくら魔力があったって俺にはそんな事はできない」

「……サクライ」

 

 さっきアイラは途方も無い量の魔力と技術があれば魔力を固着化させることができると言っていた。それはつまり魔力さえあればそれを実現できるところまで魔法を磨き上げていたということ。決して俺の力では無い。

 

「それは紛れもないアイラ自身の力。俺はその為の燃料に過ぎない。……まるで本当にアイラの聖具になったみたいだな俺」

「そんなこと……! サクライは道具なんかじゃありません!!」

 

 笑いながら言うとアイラが怒ったように詰め寄ってくる。

 

「この指輪が……私達を繋いでくれたのだと思います」

「指輪が……?」

 

 アイラが差し出した人差し指の指輪。俺から見ると何の変哲もない木のリングだ。

 

「……本当にありがとうサクライ。貴方は私に返しきれないほどのものをくれますね」

 

 左手で大事そうに右の手を包み込むアイラ。ドクドクと脈打つ鼓動は未だに痛いくらいに胸を打っていたが、それが気にならないくらい温かな気持ちが全身に満ちた。

 その時、ふと気がつく。

 

 

 

 あぁ、俺はこの子を護りたいと思うだけじゃなくて……。

 

 

 

「巫女として覚醒できたわけではありませんが、本当に大きな1歩を踏み出すことができました……重ねて、ありがとうございます。サクライ」

「っ……!」

 

 ニコリと笑った眩しい笑顔が直視できない。今俺の顔は真っ赤に染まっているに違いなかった。

 

「? どうしましたか」

「い、いや! 何でもないよ!」

 

 裏返る声を押さえつけながらバッと後ろを向く。

 身体の熱よ、早く収まってくれ……。

 

「ご主人はヘタレだな」

「どうしたんですか? ギンさん」

 

 アイラに聞こえないのをいいことにアイラに擦り寄りながら言いたい放題なギン。

 くそぅ……。

 

「と、とりあえず久しぶりの屋根のある空間なんだし、ゆっくりしよう! 俺なんか飯作るわ!!」

 

 ハテナを浮かべたアイラと生温い視線を送ってくるギンを後にして部屋を出る。

 

 ギンと言葉を交わせるようになった、アイラが俺から魔力を受け取って魔法を使えるようになった。この変化はきっと祭壇に触れたことによるものだ。だとすればこの先四方の祭壇を巡っていけばアイラは巫女として覚醒できるのかもしれない。

 

「っし……頑張ろ」

 

 今は自分のことよりアイラのこと。あの娘が自分に自信を持って周りに目を向けられるようになった時、俺がまだそばに居ることができたらこの気持ちと決着を付けよう。

 ヒヤリとした洞窟の空気を肺に取り込みながら、俺は未来へと思いを馳せるのであった。

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