15 近づく者達

 真っ暗闇。

 歌が聴こえない。あの優しい歌が。

 

「……どこ? どこにいるの……?」

 

 姿が見えない、声も聴こえない。何も感じない。

 ふと向こうに明かりが灯った。

 

「っ……────!!」

 

 名前を呼んだ。そのはずなのにそれは言葉にならずにただの息漏れに変わってしまった。灯りが遠ざかっていく。

 

「行かないでっ……! お願いです! 私のそばに……────ッ!!」

 

 息は漏れるばかり。それが音となることは無い。

 

 追いかける、追いかける。

 

 不意にその灯りが動きをとめた。こちらに気がついたのだろうか?

 

「良かった……────心配したのですよ……?」

 

 ふと気がつく。その灯りからこちらを見つめているのは4つの目。

 

 人の目は、2つ。手も足も、2つ。頭は1つ。

 

 違う、これは────じゃない!

 

『あれえ? クスクス。見つけたよ』

『見つけたね? クスクス。今日の目的は違ったけれど、思いがけないところで見つけちゃった』

『どうする?』

『どうしよう?』

『捕まえよう』

『捕まえて、捕まえよう?』

 

 灯りが目の前に迫った。そしてそこから4本の手が伸びてくる。

 

 だめ……だめ……! これに捕まってはダメっ……!

 

「助けて……────ッ……!」

 

 普段なら口に出さないことが思っただけで口に出てしまう。彼に頼ってはダメ……。あれだけ傷ついてしまったのだ。私が助けなきゃ、守らなきゃダメなのに。

 

「────ッ」

 

 しかし意思に反して口は、心は彼を呼ぶ。離れたくない、離したくない。

 

 手があと数センチのところまでゆっくりと迫る。

 ああ、もうダメだ……。

 

 ふわりと。優しい彼の匂いがした気がした。安心する、暖かい場所の。

 

 ──桜花。

 

 触れようとした手と私の間に大きな花が咲いた。美しくも儚い、薄桃色の花。

 

『なに?』

『なんだろう?』

『触れないね』

『触らない方がいいね』

 

 灯りから伸びていた手が引いていく。

 

『なんだか分からないけど運が良かったね』

『次は逃がさないよ』

『それじゃあまたね』

『またね、アイラ皇女』

 

 花が放つ温かい光が私を飲み込み浮上させていく。……ああこれは。

 

 大好きな────。ううん。

 

「サクライ……ッ」

 

 彼の温もりだ。

 意識が覚醒していく。不確かな世界は崩れ、現実へと帰っていく。

 

 

 

「っ……はあっ……はあ……」

 

 ガバッと飛び起きる。明け方の冷たくかわいた空気に、夢と現実の境目が分からず少しクラクラしてしまった。

 

「今のは……」

 

 ただの夢なのだろうか? それにしてはあまりにも鮮明すぎた。私のことを知っている様な会話を交わしていた幼げな2人の声、どこかで聞いたような……。

 

「あ……」

 

 その時、しっかりと繋がれた右手に気がついた。その手は温かく私の手を包み込んでくれていた。

 

「……さっきの花は」

 

 あの2人の女性の手が近づいてきた時それを阻んだ花はサクライの自動防御魔法の花だった。確か名は……サクラ。

 そっと顔を覗き見る。昨日の苦しそうな表情とは違い、安らかな表情で眠っている。

 

「私、いつの間にか寝てしまっていたんですね……」

 

 昨日の夜、中和を終えたあと眠りについたサクライと焚き火を見守るように起きていた。しかしふと思い立ってサクライの手を握ってみたのだ。その左手の指先は楽器を弾いているからだろうか? カサカサと硬くなっていたが決して不快ではなく、むしろこれが自分の大好きな音を奏でている指なのだと安心することができた。女の自分とは違う大きな手。それを握るだけでこんなに幸せな気持ちになれるのだとため息をついたところまでは覚えていた。その後の記憶は全くない。

 

「守ってもらってばかり。ダメですね……しっかりしないと」

 

 魔力が濃い土地だから大丈夫だと思ってはいたが、夜絶対に敵襲が来ないとも限らない。気が抜けすぎていた。

 

「わふっ」

 

 サクライの寝顔を眺めながら反省をしていると、少し離れたところで丸くなっていたギンが私の起床に気が付き寄ってきた。

 

「ギンさん、おはようございます。もしかしてこの焚き火はギンさんが……?」

「うぉふうぉふ」

 

 少し歪な形ながらもしっかりと燃え続けていた焚き火はギンによって保たれていたようだ。火が苦手なのに私達の為に。

 

「ありがとうございますギンさん……」

「うぉるふんっ」

 

 なんでもないといった風に伸ばした手に頭を擦り付けて来る。本当によく懐いてくれているものだ。

 

「それじゃあ朝ごはんにしましょうか」

「ウォン!」

 

 嬉しそうに一鳴き。

 昨夜はサクライの傍を一切離れなかったので自分で狩りをして何かを食べてもいなかった。その為お腹が空いているのだろう。かく言う私も今の今まで空腹を忘れていた。元はと言えばそれを目的にサクライはワレスに行ってくれたというのに。

 少し名残惜しいが握った手を離し、立ち上がって伸びをする。

 

「うぅーーっ寒い……。お茶でもいれますか……」

 

 昨日少々荷解きした際にお茶の葉を買ってきてくれていることは確認済だった。そんなちょっとしたことでも私の好みを分かってくれていることが嬉しい。

 

「〜♪」

 

 鼻歌を歌いながらティースプーン2杯分の茶葉をポットに入れる。予め火にかけておいた水が沸騰したのを確認してからポットに注ぎ、蓋をして蒸らすために折りたたみの机の上に置いておく。

 

「えっと……ギンさんのご飯は……これですかね」

 

 大きな葉で包まれている生肉の塊を取り出してギンの前に置く。

 

「どうぞ、食べてください」

「わふっ!」

 

 私の言葉を聞いてから肉にかぶりつくギンさん。本当にお利口な狼だ。体が大きい為これで足りるかは分からないが、足りなければ自分で狩りにいくだろう。

 ギンの肉を用意してから次は自分と、ちょっと考えてからサクライの分を用意し始める。

 とは言っても火にかけたお湯の中に干し肉や塩、香草、サクライがアワみたいだと言っていたクアという穀物を入れて煮込むだけだ。少しするといい匂いが辺りに漂いはじめた。アンサン聖池はウライの最北に位置し魔力も濃すぎる土地柄上、生き物がほとんど寄り付かない。その為とても静かな朝であった。

 

「うっ……てて……」

「サクライ! 目が覚めましたか?」

「くうぉん!」

 

 毛布に包まれたサクライが身動ぎする。慌てて上体を起こすのを手伝った。ギンも心配そうに周りを忙しなく歩き回っている。

 

「俺は一体……」

「ギンさんの背中に乗せられて帰ってきたんです。覚えてますか?」

「ああそっか……あのまま気絶して……っつつ……」

 

 痛みに顔を歪ませるサクライ、その背中を支えながら説明する。

 

「今サクライの身体は外傷こそ少ないものの、受けた魔法の魔力が体内に滞っていた影響でかなりのダメージを負っています。治療はしましたが、しばらくはじっとしていてください」

「魔力が体内に……あの鎖のせいか……」

「鎖……ですか?」

「ワレスで買い物を終えた頃に追っ手に遭遇して戦闘になったんだ。その中の1人が聖具、確か魔剣ロウカルとかいう剣を使ってきたんだけどそいつの使う魔法に対して自動防御魔法が通じなかったんだ……」

「自動防御魔法が……?! 魔剣ロウカル、聞いたことがあります。魔力に変質を与え、少しの間物質化できる聖具だとか」

 

 やはりサクライは追っ手との戦闘になってしまったのだ。しかも最悪の相手との。

 

「ごめんなさい……私のせいでサクライがこんな怪我を」

「い、いや! それは違うというか……あいつらアンサン聖池を目指してきてた途中でワレスに寄ったらしいんだ。だから場合によってはアイラが1人で戦うことになってたかもしれない。そんなことにならなくて良かったよ」

「サクライ……」

 

 こんな怪我をしてまで私を庇ってくれる。私はこの人の優しさに何か報いることができているだろうか?

 

「それにアイラが治療してくれたならきっと大丈夫だ。すぐに良くなるさほら……っづぅっ?!」

「もう、ダメですよまだ安静にしていなくては……ふふっ」

 

  そう言って腕を回そうとしてどこかが痛んだのだろう。ビキリと顔を引きつらせたその様子に少し笑ってしまう。この様子なら魔力が残留していることも無さそうだ。

 

「そういえばこれ……ありがとうな」

「あ……」

 

 ふと気がついたサクライが首からネックレスを外しこちらに差し出す。

 

「思えば、これがあったから帰ってこれたのかもしれない。俺が弱気になった時、このネックレスのことを思い出したらギンがきてくれたんだ」

「わふ!」

 

 肩越しに鼻頭を寄せたギンの鼻を抱えて撫でてやるサクライ。

 

「まるで俺のピンチを感じ取って来たみたいなタイミングだったな? ギンがいたのは町の外だったしそんなわけは無いんだけどさ」

「ぅわふん?」

 

 何か? という顔で撫でられているギン。まるで小さい頃から連れ添っていたかのような仲良しっぷりだ。

 

「ピンチを感じ取って……」

 

 サクライから受け取ったほんのり温もりの残るペンダントを見つめる。私が産まれた時、お母様から貰ったペアアクセサリ。肌身離さずつけているように言われていた。お母様がつけている所は1度も見なかったけれど、お母様が亡き今片割れは今はどこにあるのだろう。

 今までこのペンダントについてなんの疑問も抱かずにいたけれど、もしかして特別な何かがあるのだろうか? 触れてみれば中に魔力が宿っているのは感じることができる。しかし今まで何かが起こったことは無かった。

 

「あ、そうだ。要らなかったり気に入らなかったりしたら突っ返してくれていいし、いつか自分で払うけどこれ……」

「はい……?」

 

 サクライが差し出した小さな紙袋に入った何かを受け取る。カサカサと軽い感触のそれを開けると、

 

「あ、顔布ですねありがとうございます……あれ、他になにか……」

 

 顔布を取り出したアイラがその奥の小さな木のリングを見つけて取り出す。

 

「指輪……? これは……」

「ごめん! 商売上手な店員さんにのせられて買っちゃったんだ……。いつか働いてこの分のお金は返すからっ!」

 

 サクライが勢いよく頭を地に着けて謝罪を口にした。しかしそんなことは気にならない。

 

「これは私のために……?」

「えっ? あ、うん。もしかして気に入らなかったか?! それならほんとごめん……! 自分でつけるから貸してくれ!」

 

 サクライが指輪を受け取ろうと手を差し出してきた。だが私はキュッとそのリングを大切に握り込む。

 

「ア、アイラ……?」

「ありがとうございます……サクライっ!」

「んぶっ?!」

 

 感情のままにサクライに抱きつく。

 ああ、どうしよう。こんなことをされたら自分を抑えられないじゃないか。

 

「靴に次いで指輪まで……こんなの、ずるいですよ……」

 

 完全な不意打ちだった。思わず涙ぐんでしまう。

 

「むぐぐ……喜んでもらえたなら、良かった」

「あっ、すみません。大丈夫ですか」

 

 胸に抱え込んだサクライが苦しそうにしていたので解放する。

 

「ぷはっ……大丈夫大丈夫……それよりいいのか?」

「何がですか?」

「いや、アイラから預かったお金を勝手に必要無いものに使っちゃったわけだから……」

 

 必要無いもの?

 

「むーーーーっ!」

「え? なに? やっぱりまずかった?!」

「知りません! もう」

 

 こんなに喜んでいるのを見て必要が無いなんてよく思えるものだ。サクライからアクセサリーのプレゼントを貰ったことが泣くほど嬉しいのに。

 綺麗な木の指輪を見て、むくれた顔が解ける。接ぎ無しで削りだされているその表面は綺麗にやすられており、指で撫でてみるとその感触は絹に触れているようであった。

 

「それ、アンサン聖池の魔力を浴びて育った木から削り出して作られたものなんだってさ。だから魔力が宿ってるかも? みたいなことを店員さんは言ってた」

「アンサン聖池の……」

 

 確かに微力ながら魔力が宿っているのを感じる。何かが起こるほどでは無いがこのワレスの地で強い魔力にあてられながらも育ったという生命力を感じさせるそんなリングだった。

 

「素晴らしいプレゼントをありがとうございます。本当に嬉しいです……」

「そっ……か。はあぁ……良かった」

 

 サクライが胸を撫で下ろしている。もっと自信を持てばいいのに。私はサクライから貰うもの、感じるもの全てをこんなにも……。

 

「────ッ!」

 

 顔が一瞬で赤くなるのが分かった。その熱を誤魔化すようにサクライの方に指輪をのせた右手と、広げた左手を差し出す。

 

「え? やっぱりいらない……?」

「ちーがーいーまーす!! サクライに、嵌めて貰いたいんですよ」

「俺に?!」

 

 サクライが慌てたように仰け反る。

 

「男性が女性にリングをプレゼントしたんです。当然でしょう」

「いや、それはまた別の意味を持つような……」

 

 何かを言っているサクライを無視して、ずいっと両手を差し出す。

 

「ほら、お願いします」

「う、うん……いいのかなあ……」

 

 恐る恐る私の右手からリングを取り上げたサクライが私の左手を取った。その手の感触はやはり私のことを安心させてくれる。

 

「じゃあ、嵌めるよ」

「はい、お願いします」

 

 そっと優しく私の手を引き寄せたサクライはその人差し指にゆっくりとリングを通した。

 

 パチッ

 

「っ……!」

 

 その瞬間、私の中にサクライから何かが流れ込んだ。それは静電気のように一瞬の出来事だったが確かに私の中に何かが生まれたのが分かった。

 

「良かった。サイズはピッタリだな」

「今のは一体……」

「え?」

 

 サクライがキョトンとする。どうやら今の感覚はサクライには伝わっていなかったらしい。

 

「い、いえ。なんでもありません」

「? まあいいか。俺のいた世界では左手の人差し指につける指輪には精神、目標へ進む力をもたらしてくれるって意味があったんだ。迷信みたいなもんだけど今の俺たちにはピッタリだろ?」

 

 サクライがにっと笑いかける。

 

「……はいっ!」

 

 返すように笑顔を浮かべる。

 リングが私達に作り出したものは笑顔、信頼、そして前に進む力。今ならなんでもできそうな気がした。

 この時私達はまだ指輪の意味すること、力については気がついていなかったのだった。

 

「じゃあ、ご飯にしましょうか」

「そだな。俺も正直腹ぺこなんだ」

 

 2人とも昨日の朝から何も食べていないのだ。湯気をたてる干し肉とクアのスープを器に取り分け、サクライに手渡す。

 

「ありがとう、いい匂いだな」

 

 サクライが嬉しそうに鼻を鳴らす。サクライに教えてもらい、今では私も簡単な食事ならこうして作ることができるようになっていた。

 ポットを持ち上げ蓋を外し、中をスプーンでひと回ししてから茶こしでこしながらマグカップにお茶を注ぐ。たちまち辺りにはお茶のいい香りが漂った。ギンも茶葉の匂いがお気に入りなのかスンスンと鼻を鳴らしている。

 

「ふふっ……ご主人様にそっくりですね」

「わふ!」

 

 机を移動させてサクライとの間に置く。まだ身体を動かすのが少し辛そうなサクライを支えながら机に向かせてやった。

 

「それじゃあ、食べましょうか」

「うん。ありがとうなアイラ」

 

 そして2人で手を合わせて。

 

「「いただきます」」

 

 命に感謝する食前の挨拶。これも今やすっかり馴染んでいた。

 ホカホカと湯気をあげるスープを2人で啜る。空腹と冷えた身体に染みる、これ以上無い食事であった。

 

 

 

 同時刻、ワレス憲兵詰所前広場。

 

「装備が整った者から隊列に加われ!! 小隊ごとに馬車を用意してるから揃ったところから報告しろ!」

「「「「了解ヤー!」」」」

 

 総勢30名ほどの兵士が装備を鳴らしながら集まっていた。帯剣した兵士も、魔法使いも皆気合いと緊張が半分半分といったところだ。6つの馬車が音を立てて停車する。砂埃の中で馬達のたてる朝の寒さによる湯気が揺らめいていた。

 そこに赤髪の剣士ヤイタ憲兵長のアルナと、丸い大盾を背負った熊のような男ワレス憲兵長のコリンがやってくる。

 

「憲兵長達がいらっしゃった! 敬礼!!」

 

 準備をしていた兵士たちが一斉に敬礼をする。アルナとコリンもそれに応えた。

 

「まずは今日の作戦に援軍として来てくれた者、志願してくれた者に大きな感謝を」

 

 耳慣れないアルナの感謝の言葉に兵士たちの間に緊張が走る。

 

「知っての通りだと思うが今日の作戦、表向きはワレスに現れた賊の追撃任務となっているが目的はそいつの逮捕だけではない……。そいつが逃亡を幇助していると思われるウライ神聖帝国皇女のアイラ・エルスタイン様の保護、送還が最終目標となっている」

 

 ざわざわと動揺が広がった。無理もない、こんな北の辺境にアイラ様がいると言っても説得力は無い。作戦概要は皆知っているはずなので初めて聞いたわけでは無いだろうが改めてアルナの口から発せられたことにより現実感が増したのだろう。

 

「剣士3人、魔法使い2人の小隊を6つも用意したこんな大袈裟な編成で向かうのもそれが原因だ。アイラ様は国でも有数の強力な魔法使い。どのような抵抗をしてくるかは分からないが大人しく捕まってくれるとは思えない」

 

 アルナが唇を噛む。昨日の戦闘に参加した兵士たちで、今日の朝目を覚ました者は3人だけだった。

 今回も全員無事で帰ることは不可能だろう。しかしそれを知ってなお志願してきた者達。少しでも犠牲を減らすためにもここのブリーフィングが重要になってくるのだ。

 

「更にそれに加えてヤイタ狼が聖獣化した白狼の魔獣もいると思われる。そいつの魔法で大量の殉職者が出たのは皆も知っての通りだ。奴が出てきたら絶対に近づくな、牽制しながら下がれ」

 

 検死の結果、白狼は火、水、木、土、雷、風の魔力を合わせたものを体外に放出していたことが分かった。高濃度のそれは掠っただけでもそこから身体を侵食し根を貼る。それを防ぐには即全ての属性の魔力を中和するか、食らった部位を切断するしかない。生存者は位置の関係で前の者に隠れていた為、直接魔力を浴びることが無かった。

 

 それが生死を分けたのだ。

 

「し、しかし牽制しながら下がるといっても、飛び込んできていきなり放たれたら対処のしようが……」

 

 ヤイタからやってきた援軍の1人が恐る恐ると言った様子で発言する。

 

「ああ、奴が本気でこちらに向かってくれば逃げる間も無いだろう」

 

 しん。と聞いていたものたちが静まった。自分達が生きて帰ることは無いのか、と。

 

「……そこで俺の出番だ」

 

 アルナの横で沈黙を貫いていたコリンが背の盾をズンと正面に立てた。

 

「この聖盾カイカンは物理攻撃を全て防ぐだけでは無い。聖具として備えられた魔法がある」

「カイカンに備えられた魔法……?」

 

 兵士達が顔に疑問を浮かべる。

 

 聖盾カイカン、これを構え不動で全ての攻撃を防ぎ切るコリンは鉄壁のコリンの異名を持つ。しかしカイカンの本当の力を使っているコリンを見たことは付き合いの長いアルナですら1回しかない。

 

 ──魔力反射。

 

「……カイカンはひとたび魔力を込めれば触れた魔力を全て弾く、対魔法特化聖具となる」

 

 おおお、と兵士達に興奮が広がっていった。コリンが最前線でカイカンを構えていれば魔獣の魔法に怯える必要は無いのか。全員の士気が一気に高まっていった。

 

 聖盾カイカン。魔力反射という能力を備えた対魔法特化聖具。しかしそれをコリンが頻繁に使わないのには理由がある。

 受けた魔力を跳ね返す。それだけを聞けば無敵のように思えるこの聖具だが、魔法を受け止め跳ね返すのは使用者本人がどれだけその魔法の衝撃に耐えることができるかにかかっていた。コリンの熊のような筋肉隆々の身体、これはこの聖具を扱うために鍛えられたものだったのだ。

 初めてこの反射を使ったのはコリンがまだワレスに配属される前のこと。300年前、建国の時代からウライ神聖帝国に反抗し続ける勢力が首都ライバーンに攻め込んできたときだった。相手の魔法使いが使う強力な魔法に仲間が倒れていく中、最前線で1人でも多くを守ろうと耐え続けていたコリンの元に王より届けられたのが聖盾カイカン。

 全てを終わらせよと放たれた相手の魔法使い5人による大魔法、3属魔法に分類されるその凶大な魔法を魔力反射によって受け止め跳ね返して見せた。反抗勢力達は自らが放った大魔法を受け、消滅・・

 この戦いによって参加した兵士達は軒並み昇進をした。アルナがヤイタに憲兵長として配属され魔剣ロウカルを授けられたのもこの頃である。

 

 あの戦いは間違いなくコリンがいなければ敗北に終わり、今のウライは無かっただろう。しかしそのコリンは大魔法を受け止め跳ね返し終えた際にその衝撃を一身に喰らい、体外体内に全治半年の怪我を負ってしまい生死の境を彷徨ったのであった。その上跳ね返す対象が強大であればあるほど要求される魔力も大きくなるため、1度強力な魔法を跳ね返してしまえば再度の使用には期間を空けなくてはならない。

 これが魔力反射という強力すぎる聖具を持ちながらもその本当の能力を見た者が少ない理由であった。

 

 (理想はコリンにカイカンを使わせず捕らえることだが)

 

 サクライという男だけならまだしも、アイラ皇女にあの魔狼。一筋縄でいくことはないだろう。コリンが命をかけて繋いでくれるチャンスを絶対にモノにしてみせる。

 カイカンという絶対守護を得た兵達は目に見えて高まっていた。コリンはあえて真実は告げない。お前達は俺が護ると、それだけしか。

 

「それじゃ、それぞれの小隊の役割を告げるぞ──」

 

 1人でも多く生きて帰る。それを胸に6つの小隊を乗せた馬車はワレスを出発した。

 アイラ、サクライ、ギン。アルナ、コリン。誰一人として結末を知る者はいない。この世界を包みこもうとしている闇に気が付かずにただイタズラに命を削り散らす闘いへと身を投じていくのであった。

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