14 魔力中毒
私はウライ神聖帝国の巫女、アイラ・エルスタイン! 訳あって逃亡生活中の皇女です。
「ころころころ〜」
一緒に旅をしている仲間のサクライが買出し中なので1人でいるのですが、暇を極めて大きな雪玉を転がして作っています。今は止んでいますが昨日は雪が大分降っていたので積雪量はかなりのものです。転がすだけでふわふわの雪を纏って大きくなっていく雪玉を見ているのは暇と、そして不安を少し軽減してくれます。
「サクライ……何事も無いと良いのですが……」
彼とギンがワレスへと出かけてからかれこれ4時間以上が過ぎている。出発時に真上にあった太陽はもうほぼその姿を隠し、あたりに薄暗さを振りまいていた。ギンに乗っていれば迷うことはないとは思うが焚き火の明かりは絶やさないようにしている。
「さむい……」
焚き火の傍らに膝を抱え込んで座るとじんわりと表面を炙られるような痺れる感覚が心地よかった。ふと足元に視線をやると炎に照らされた靴が目に入る。
小さなガラス細工の花がついているちょっといい革靴。キラキラと光を跳ね返す様子に頬が緩む。これはサクライに選んでもらったもの。彼はこの世界の人では無いためもちろんお金を持っていない。だから買ったのは自分なのだが、気持ち的にはサクライからプレゼントされたも同然だった。
「へへ……っとと」
ハッとして緩みきった頬を引き締める。サクライと出会ってから、自分でも意図していない嬉しさで顔が崩れることが多くなった。お母様やトーアおばさまに撫でられた時とも違う。じんわりと胸の奥が暖かくなって落ち着かなくなる、そんな感情を逃がすための表情だった。
毎日神に祈り続けていた頃にはこんなことはもちろん無い。気がつけばサクライのことばかり考えてしまっている。
(きっとこれはサクライが昔のお兄様に似ているから)
強く、優しく、自分の身をかえりみず私を守ってくれようとしてくれる。彼は変わってしまう前のカルムお兄様にそっくりなのだ。大好きだった頃の……。
心臓がどきりと鼓動する。
大好き。その言葉を心の中で唱えた時、切ない痛みが胸を襲った。
(な、なに……? サクライのことを考えただけなのに……)
今までの人生で味わったことの無い感覚。痛くて苦しい感覚。でもそれが嫌じゃない。そう、サクライの固有結界の中で複写魔法によって治療を受けた時のような。まさか、これは。
「サクライを通して私の巫女としての力が……?」
ありえなくはない。サクライが神の使いであることはもうほぼ疑いようのない事実。その彼と関わり、彼のことだけを考え続けていればどこかで繋がりができても……。
だとしたら、これからも私はサクライのことを考え続けることが巫女として覚醒する近道なのかもしれない。ただひたすらに、彼のことを。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
背中から雪に倒れ込みゴロゴロと転がる。恥ずかしい。一体なんなんだろうこの感情は。
「はぁ……。貴方はどうして私の前に現れたのですか……サクライ」
苦しくて仕方ない。顔が見たくて、一緒にいたくて。
その時、森の向こうから何かが走ってくる音が聞こえた。反射的に身構えて振り向く。
「っ……あれはギンさんですね……」
何かを咥えて向こうから闇の中を銀色の体毛を輝かせた獣が走ってくるのが見えた。ということはサクライが。
「っ〜〜!!」
慌てて立ち上がり、身についた雪をはらい落とす。髪型は崩れていないだろうか?
しかしその時違和感に気がついた。背中に乗っているはずのサクライの姿が見えない。まだ少し距離はあるが、人が背中に乗っていれば流石にここからでも見えるはず。いや、何かは乗っている。あれは……っ!
「サクライっ……!!?」
悲鳴に近い声を上げてギンに駆け寄る。器用に背中に乗せたサクライを落とさないように走ってきたギンは私の前で静かに伏せた。
サクライはギンの背中の上でうつ伏せにぐったりとしている。その目は開いていない。
「サクライ! サクライ……っ一体何があったのですか!」
呼びかけても帰ってくるのは苦しそうな呼吸のみ。意識は無いようだ。とりあえず寝かせないと……! ギンを火の近くまで誘導してそこに伏せてもらい、抱え込んだギターをギンの上に残しそっとサクライを抱えて下ろす。
「っ……しょ……」
サクライの身体は自分とは違い、硬くずっしりとしていた。よろけそうになるがしっかりと踏ん張りそっと地面に下ろす。
「わふっ!」
ギンが咥えていたものを目の前に置いた。これは……購入したものか。どうやらワレスにはたどり着き買い出しは終えたらしい。ということはワレスで何かが?
荷物を開封し中から2枚毛布を取り出す。焚き火の近くに1枚を縦に折り畳んで敷きそこに寝かせ、その上からもう1枚の毛布をかけてやる。
「すごい熱……」
抱えたサクライからは熱が伝わってきた。明らかに正常では無い温度だ。
風邪? しかしワレスに行く前はそんな素振りは見せなかった。額に手をあてて状態を診る。
「っこれは……一体どういう……!」
サクライの身体には現在サクライのものでは無い魔力が滞留していた。しかしそれ自体はいつものこと、彼は大地から魔力を受け取っているのだから。でもこれは違う。第三者によって変質した魔力。つまり魔法だ。体内に魔法が滞留し、その身体を攻撃し蝕んでいる。魔力中毒と同じ症状だ。
サクライはこの世界の人間では無いため元から体内に魔力を持っていない。つまりそれは菌への抗体がない様なもの。変質前の純粋な魔力であれば自然に流れ出ていくがこれは変質された魔力だ。まるでそこに留まることを命令されているかのような明確な攻撃の意志を額を通して感じる。
「でもどうして……サクライには自動防御魔法があるはずなのに」
それを調べる前にまずはサクライだ。この様子だとまだ魔法を受けてからそんなに時間は経っていない。今ならまだ中和が間に合う。額に手を当てて慎重に体内に滞留してしまった魔力を探す。
「あった……。これは雷ですね」
探り当てた時、ピリピリとした感覚を右手に感じた。一度額から手を離し今度は自分の手の先に魔力を練る。体内に残留している雷の魔力と同等の魔力を慎重に集めていった。やがて右手に薄茶色の光がグルグルと回り始める。
「少し、我慢してください」
彼の防寒マントをはだけ服を破き、肌を露出させしっかりと狙いを定める。
「お願いです……今だけは自動防御魔法が発動しませんように……っ」
そしてサクライのみぞおちの辺りに掌底の要領で一気に魔力を突き込んだ。
「っは!」
「ぐっ……は……ぁっ」
サクライがビクンと身体を折るように痙攣し呻きをあげる。しかし突き込んだ手は離さない。自動防御魔法は発動しなかった。手のひらで回していた土の魔力はサクライの中に滞った雷の魔力を取り込み、霧散させていく。
これは体内に滞ってしまった魔力をその属性に有利が取れる純粋な魔力で相殺していくという作業だ。しかし一度に全てをぶつければ良いというものでは無い。それではただの攻撃となってしまうので、少しずつ少しずつ正確に反応させていく。しかしやっていることは中和でも、他人によって体内に魔力を打ち込まれるというのは危険かつ苦痛を伴うものだ。魔力中毒患者が中和作業によって死に至るということも珍しくはない。体内で魔力を戦わせるというのは魔力耐性のないサクライにとっては拷問にも等しいだろう。
「かっ……ぐ、は……」
「お願い……お願い……耐えてください……耐えてっっ!!」
叫びながら祈る。いや、もはやこれは祈るというより願望の押しつけであった。
「貴方がいたからここまで来られた!! 貴方がいたから自分を信じることができた!! 貴方が……貴方と……っ」
涙が頬を伝い、サクライの肌で弾ける。
「私は貴方と……生きていきたいっ……!!!」
最後の魔力を押し込む。雷の魔力が土に破れ、すうっと消えていった。
呻き声をあげ痙攣していたサクライの身体からふわりと力が抜け、毛布にだらりと身体を預けた。まるで床に置かれた人形のように。
「っサクライ……?」
恐る恐る、その口に頬を寄せる。
感じる、弱々しいながら確かな呼吸を。身体から力が抜け、後ろに尻もちをうく。
「良かった……良かった……サクライぃ……」
堰を切ったように涙が溢れてきた。安心と喜びで身体に力が入らない。
「本当に、良かったぁ……」
まるで子供のような言葉遣いになってしまう。そんなことが気にならないくらいサクライが生きていてくれたことが嬉しかった。倒れ込むようにその身体をぎゅっと抱き、そっと頬に口づけをする。家族にするようなごく自然な動作であった。
「ありがとう、サクライ。ゆっくり休んでください……」
唇を離し、その頭を撫でる。そしてしっかりと身体を覆うように毛布をかけてやった。
ギンが心配そうに近づいてくる。
「大丈夫です。サクライは無事ですよ。連れて帰ってきてくれてありがとう……」
「くわぅ」
何でもないといったふうに私に鳴いた後、サクライの近くに丸くなる。火が苦手だったはずだが、傷ついたご主人を前にしては気にならないようだ。そんな様子に思わず笑みがこぼれる。彼女も心配していたのだろう。安らかなサクライの顔を見て安心したように目を閉じていた。
「っそうだ……。サクライをこんな風にしたのは一体……?」
これは雷の魔法、しかも特殊なものだ。ただ純粋に魔力に属性をのせて形作った魔法では無い。何か特別な力を加えて留まり続けているように細工がされている。しかしそこまで濃い魔力という訳でも無いため、それだけではここまで体内に残り続けることは無いだろう。恐らくサクライの身体は魔力への耐性がないためそれを害のあるものと判断する力が無く、留まろうとした魔法の意思に反応し外へ弾き出そうとする力が働かなかったのだ。本来であればそれを防ぐために自動防御魔法があったはずだがどういう訳か受けてしまったらしい。
サクライを敵と認識しその自動防御魔法を攻略してしまう相手が現れた。神の使いだから絶対に傷つかない、そんな風に過信してしまっていた。この世界にきてまだ1ヶ月も経っていない、自分の魔力を持っていない彼を。聖地付近以外で襲われた時は自動防御魔法が発動しないかもしれない、それに気がつき震えていた彼を思い出す。
あの時私はサクライを守ると言った。それなのにその優しさに甘えてしまっていたんだ。これは彼が襲われる可能性を考えていたのにも関わらず無策で送り出してしまった私の責任だ。しかしそれを悔いたところでサクライが無傷で目覚める訳では無い。今はこうして隣で彼を守りながら回復を待つのが先だ。
いつの間にか焚き火の火が無ければ足元が見えなくなったアンサン聖池の畔でそっと彼に身体を寄せるのであった。
『移譲プロセススキップ。召喚者の損傷確認』
『聖具により変質した魔力により一時中毒状態に陥るも、アイラ・エルスタインにより治療完了済』
『外傷は軽微、自然治癒可能』
『自動防御魔法の進化を確認。持続性のある魔力を包み込み消滅。自動発動には最適化が必要』
『被魔法データを参照。雷の魔力に対して耐性を作成開始。祭壇にて付与を予定』
ワレスの憲兵隊詰所には今、人がごった返していた。
「おい! 早くこっちの中和をしてくれ! 死ぬぞ!」
「こっちもやばそうだ! もう腕はダメかもな……」
「綺麗な布とお湯を持ってきてくれ! これじゃ足りない!」
昼間の戦闘で傷ついたアルナの部下達の治療が行われている。ヤイタの森の聖獣の濃い魔力に当てられたことによる中毒症状は短時間であっという間に兵士達の身体を蝕んでいた。一部の兵士の手足は真っ黒に変色し、例え中和に成功したとしても再び元通りになるとは思えない状況であった。
その時詰所の扉が開き、1人の男が入ってくる。
「ア、アルナ様」
「状況は?」
「はい。現在全力で治療を試みてはいますが、いかんせん中和療法を行える魔法使いが足りなくこのままだと……」
「……そうか」
苦しそうに呻く兵士達を見渡す。中にはもう動きを止めている者もいた。あれは中和治療後の兵士だろうか。そうでなければ。その黒く変色した身体を見ながらアルナは歯ぎしりしていた。
ヤイタから連れてきた部下は全員やられてしまった。あの白銀の狼、魔獣によって。あの突然の乱入者を止めよと命令したのは自分だ。この現状の責任は自分にある。しかも肝心の男は取り逃したのだ。腰に下げた聖具、魔剣ロウカルの重みがしっかりしろと訴えかけてくる。
この剣はウライ神聖帝国の王から賜ったものだ。アルナがヤイタの憲兵長として就任する際に王の手から授けられた。ウライでは王から聖具を賜るということは国の守護者として認められた証になる。これは聖具であると共にこの国とその民を護ることを誓った証でもあるのだ。
(分かってる……あの男、サクライは俺が必ずこの手で。そしてアイラ様も連れ帰ってみせる)
王……現在のウライのトップはカルム様だが、カルム様も俺がアイラ様を取り返すことに成功すれば実力を認めてもっと近くに置いてくれるに違いない。その為にはあの男が邪魔だ。楽器型の聖具を持ち、妙な魔法を使う素性の分からぬ男。聖具自体が珍しいものではある為あの男の出自は聖具を辿れば分かるかもしれない。
(だがそれは必要ない。奴はこの地で死ぬ)
もうヤイタへの連絡は済んでいる。明日には増援が到着するだろう。ワレス憲兵からも憲兵長と有志が参加してくれる。アイラ皇女の極秘奪還任務。皆士気は高い。あの時山賊のうわ言と流さなくて本当に良かった。
明日にはアンサン聖池に向けて30人の小隊で出発する。あの地は魔力が濃すぎる為近づくにも限界があるが戻ってきたところを待ち伏せればいい話だ。絶対に成功させる。
「何か手伝えることはあるか?」
「よろしいのですか……! でしたら中和を行っている者のサポートをお願いします。中和治療は正確な魔力コントロールと相応の魔力が必要になります。この人数の治療をするには医療魔法使いの魔力が足りないのです。ですので上から手を重ね、ゆっくりと魔力を流し込みサポートをお願いできればと思います」
「分かった。そんなことならいくらでも手伝おう」
治療を受けている1人の元へ向かう。
「今から俺がサポートに回る。お前は魔力の中和コントロールにだけ集中しろ」
「ア、アルナ様?! ありがとうございます」
治療をしていた者が驚いたように振り返った。
「良い。俺の指示で受けた傷だ。その治療の手伝いをするのは当然のこと」
中和治療魔法を使用している者の手に自分の手を重ね、ゆっくりと魔力を送る。
「ぐっうぅぁ……」
魔力を流し込まれた部下が呻き声をあげた。苦しいのだろう、額に汗が滲んでいる。こいつは最前で聖獣を牽制していた。一番多くの魔力を浴びてしまい、他のものより黒く変色してしまった範囲が広い。
「くっ……属性が混ざりすぎていて中和が上手くいかない……」
「どういうことだ?」
「聖獣は特定の属性を扱っているわけでは無いらしく、ぶつけられたのは色々な属性の混ざった魔力なんです。中和はその魔力に対して相殺できる魔力をぶつけなければならないのですが、複雑に絡まった2属魔法となるとこれが中々……」
中和治療を行っている魔法使いが歯噛みする。
「どうにかならないのか」
「ですのでまずはその2属を解くことから始めています。微量の魔力を反応させていき、属性を減らしていきます」
「そんなことを体内で行っても大丈夫なのか?」
「……本人の気力次第です」
中和治療という魔法自体がそもそも危険なものなのだ。体内の魔力を他人の魔力によって弄くり回すのだから。それに加えて今回は体内に滞留している魔力の1属化を行っている。患者には相当な負担がかかっているだろう。
「かっ……は……ぐ」
「魔獣め……」
白銀の巨大な狼。ヤイタの森で遭遇報告があった時も逃げ遅れた兵士が1人魔力中毒で死んでいた。ヤイタの森の地割れによる魔力の噴出に当てられたものだと思っていたが今回真相がはっきりした。
聖獣とは大地から吹き出す濃い魔力に当てられて生き延びた人智を超えた存在。土地によっては崇められ神の使いのように扱われているらしい。だがこんなふうに人に牙を剥くのならばもうそれは魔物の類である。そしてそれを手なずけている男。聖獣を手なずけるなど聞いたことが無いが、現にあの白狼はサクライのピンチに駆けつけ奴を回収して行った。
(明日の作戦では確実にあの魔獣とも戦うことになる。何か対策を講じなければならないな)
サクライはロウカルによってかなりのダメージを負わせたはず。今日の戦闘を見た限りでは強力な魔法を使うようだが、手負いであれば出てきたとしてもそう脅威にはならないはず。人数を揃えて封じ込めてしまえばいい。問題は魔獣と、そして。
(本当にいるのならばアイラ皇女……か)
アイラ・エルスタイン皇女。ウライ神聖帝国の巫女であり、国最強の魔法使いカルム・エルスタイン皇太子の妹。昔は魔法が使えないのでは? という噂があったが流石は巫女の血を引いているだけあって現在は魔法の扱いには長けているようだ。得意とする氷の2属魔法においては右に出るものはいないだろう。医療魔法やその他様々な専門分野にも精通しているらしく、その知識量だけで考えればカルム様すら超えるかもしれない。
そんなアイラ皇女を生きたまま、できれば無傷で捕らえ王宮へと送還する。それが今回の任務だ。
(はっ……正面から戦って勝てるかもわからん相手を生け捕りにしろとは……。カルム様も無茶を言ってくれる)
巫女はこの国の象徴、神と交信を行える唯一の存在。カルム様がこの国を治める上で確実に障害になる。
あのクーデターによってこの国は大きく変わった。先代の巫女が崩御なされた後、この地を災害が襲うようになり神は我々を見捨てたのだとそう広まった。唯一の希望のアイラ皇女の祈りは天に通じず民は疲弊していくばかり。そんな中でカルム様は神に頼るのでは無く自分達の力によってこの地を治めていこうとそう宣言された。反発する者は当然いた。しかしカルム様はその圧倒的な力により自ら手を下し、反対する者達をねじ伏せていった。元々そんなに信心深い方では無かったアルナにとって、神に全てを預けるのでは無い人の力による統治というのはとても魅力的に映ったのだった。
このウライ神聖帝国ができて300年。人の心は目に見えぬ神を信じることに疑問を抱き始めていたのかもしれない。
(本当に神がいてこの国を見ているのだとすれば、明日俺達は天罰を喰らうことになるかもしれないな)
護り、崇めるべき存在に刃を向ける。それが何を意味するのか、何が起こるのか。予想もできなかった。
だがやるしかない。俺が上にいくためにはこのチャンスを逃す訳にはいかないのだ。
「アルナ様……ダメです。もう彼は……」
気がつけば中和治療を受けていた部下は呻くことすら無くなっていた。その身体は一部を除き、黒く変色しきっていた。
「……ご苦労だった。ゆっくり眠れ」
その顔に脇に置いてあった上着を被せてやる。そしてしばらく目を瞑り、黙祷した。
(お前達の仇は絶対にとってやる。魔獣は必ず俺がこの手で……)
本当に聖獣が神の使いなのならば、これが神の意志だというのか。こんな惨い最期を迎えさせることが。
(だとすればやはり俺は神に刃を向けよう)
神によって造られたといわれる聖具。その剣を創造主に向ける。
目を開き、立ち上がる。
「俺は明日の作戦の準備にかかる。何かあれば呼びに来い」
治療を受ける部下の呻き声を背に部屋を出る。あいつらに報いる為にも明日は絶対に奴らを逃す訳にはいかない。その為に今すべきことは少しでも対策を講じること。外に出た後、その足をワレス憲兵の宿舎へと向けた。
ワレスの憲兵長、コリンは考えていた。
「…………んむ」
筋肉隆々の腕を組み、じっと考える。熊のような大柄な身体に髭を蓄えた顔。その目は一点を見つめ細められていた。
そこにノックの音が響く。
「おーーいコリン、いるんだろ。明日の作戦について話がしたい」
「…………うんむ」
考える。考える。
「おーい……って開いてんじゃねえか。仮にもワレスの憲兵長という立場のお前がこんな不用心でどうするんだよ」
ガチャリとドアノブを捻り、赤毛の男ヤイタ憲兵長のアルナが部屋に入ってきた。
「アルナよ。お前はどう思う」
「どうって……まーたなんか変なこと考えてんのかお前は」
アルナは呆れたようにため息をつきながら適当な椅子に腰を下ろした。そして机の上に置いてあった酒のビンを勝手にあおる。
「1体1で向き合った時どうすれば勝てるのか。そう思ってな」
そんな様子を咎めることも無くコリンは静かに続ける。
「1体1って……ひょっとして明日の作戦のことか? お前もたまには……」
「ヤイタ狼とガーチョウ。その2匹が向かい合った時、ガーチョウはどうすればヤイタ狼に勝てると思う?」
「なんて考えた俺が馬鹿だったよ……」
アルナが背もたれに身体を預け、ずるりと沈む。
「お前は馬鹿なんだから何も考えなくていいんだよ」
鉄壁のコリン。そんな異名を持つこの男。聖具である丸い大盾、カイカンを持ち自分への攻撃、味方への攻撃を全て防ぎ切る。彼の部下になれば死なない、それを信じて下につく者も多い。
しかし何かを一度考え始めるとそれに結論がでるまで考え込んでしまうという癖があり、何か事件が起きた時に考えごとをしていると部下達はあの手この手でコリンの気を逸らす作業に追われるのだった。
「無力なガーチョウが牙を持ち俊敏な肉食獣に対抗するにはまずは距離を取らなければならない。だがヤイタ狼はそんな距離を一瞬でつめてくるだろう」
「聞いちゃいねえな……ったく明日のことについて話そうと思って来たのによ」
「ガーチョウが聖獣だったとしたらどうだろう? 魔法を使いヤイタ狼を攻撃することができれば、足が遅く弱いガーチョウでもヤイタ狼に勝つことができるのでないか?」
「あーめちゃくちゃ言ってら……。大体明日の相手はそのヤイタ狼が聖獣化したでっかい狼なんだよ」
「なに……? ヤイタ狼も聖獣だと……それでは差が縮まらないではないか」
もう好きにしてくれとばかりに両手を上げ酒をあおるアルナ。古い付き合いである故にこうなったら何を言っても無駄なことは分かっているのだ。
「カイカンをガーチョウに背負わせれば背中から攻撃を受けることは無い。常に背を向けていれば負けることは無い……?!」
ハッと何かに気がついたように目を見開くコリン。もうアルナは聞いてすらいない。
「問題はガーチョウがカイカンの反射を使えるほどの魔力を持ち合わせているかどうかだ……」
「酒選びのセンスだけは良いんだよなあこいつ」
ひたすら考え込むコリンの対面でビンを揺らす。
訓練生時代からの付き合いであるアルナとコリンは同時期に王から聖具を賜り、ヤイタとワレスという近場に配属された。攻撃に特化した聖具である魔剣ロウカル、そして防御に特化した聖盾カイカン。このふたつによって北の地の治安は保たれているのであった。
「……アルナよ」
「うおっびっくりした! なんだもう考え事に結論ついたのか?」
「ガーチョウはヤイタ狼には勝てないんだ」
「そりゃそうだろ。捕食者と被捕食者、肉食と草食。勝てるわけが無い」
「でもだからこそ、知恵を絞り逃げ方を覚えるのだ」
いつしかコリンは真剣な顔でアルナを見つめていた。
「本当に明日、戦うのか?」
「ああ。魔獣を討伐し、アイラ皇女を捕らえる」
それを聞いて静かに俯くコリン。
「……どうして俺が鉄壁と呼ばれているか分かるか?」
「あん? そんなのカイカンがあるからだろ? 実際お前に防御に徹されたら俺も勝てる自信ねえよ」
しかしコリンは首を振る。
「違う。勝てない勝負はしないからだ。狼を前にしたガーチョウは逃げるしか無いんだよ」
「…………手を出すなと。そう言いたいのか?」
「…………」
2人の間に沈黙が流れる。窓の外で吹く風がやけに大きく聞こえた。
「お前が攻撃を防いでその後ろから他の奴らが攻撃する。それならこっちの被害は抑えられるだろ? お前には反射もある。可能性は0じゃない」
「…………」
「ここでアイラ皇女を捕らえることができればお前も俺もライバーンの憲兵……下手すりゃ親衛隊入りなんてこともあるかもしれねえ。そしたらこんな辺境の地で退屈な生活を送ることもねえんだ。そうだろ?」
アルナの言葉をじっと聞いていたコリン。やがて顔をあげた。
「……分かった。明日はなんとしても俺がお前達を守ろう。だから決して傍を離れるな」
「傍を離れるなって……ガキじゃねえんだから」
反論しようとしたアルナだったがコリンの真剣な眼差しにたじろぐ。昔からコリンの予感はよく当たる。考えることは素っ頓狂だが間違ったことは言わないやつなのだ。
「……わあーったよ。明日は俺も部下達もお前の近くで戦うようにする」
「そうか」
表情は変わらないが少し安心した声色になる。自分がどれだけ傷つこうと仲間が傷つくことを良しとしないこの男。犠牲を払おうと作戦を成功させることを第一に考えるアルナとは対極の存在である。だがそれが故にお互い一目置きあっているのであった。
「俺はこの北の地が嫌いではない。昼間の騒動のように再びワレスの人々が傷つけられる可能性があるのならばそれを放置する訳にはいかないな」
「……悪いな、コリン。アイラ皇女を送還したあとは好きな道を選べばいい」
この男は戦うことが好きではない。憲兵になったのも貧しい家に金を入れるためだった。皇女を捕らえ送り届ければ一生暮らせるだけの報奨金が出るだろう。そうすればこいつも穏やかに暮らしていけるはずだ。
「生きて帰るぞ」
「……ああ」
目を合わせて拳をぶつけ合う。
こうしてアイラ皇女奪還作戦の前夜は過ぎていったのだった。
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